第576話 焦燥

 きっと隠された出口があるに違いない。そう結論付けたソラたちは、床に壁にと体をピタリと寄せて必死に出口を探す。


 酒場での勤務を終え、この地下に至るまで一切の休みなしで活動し続けているソラたちの体は既に限界を超え、露出している部分が多い肌には、大なり小なりの傷がつき、壁を触る度に耐え難い痛みが走る


「…………」

「…………」


 だが、そんな状況にも二人は文句ひとつ口にすることなく、ただひたすら出口はあると信じて一心不乱に床と壁を調べ続けた。



 だが、そんな二人の努力も空しく、どれだけそれらしい出口は見つからなかった。


「……もしかして、出口なんて本当はないのかも」


 爪が割れ、血が滲んで痛む指を噛みながら、アイシャは悔しそうに肩を落とす。


「私たち、このままここで死ぬのかな?」

「アイシャさん! 弱気になってはダメです」


 茫然自失といった様子で立ち尽くすアイシャに、ソラは駆け寄って彼女の目を見て語りかける。


「確かに状況はよくないですが、こういう時に諦めるのは絶対ダメです。気持ちかで負けてしまったら、そこからズルズルと死に向かっていってしまいます」

「でも……こんなに探しているのに見つからないのよ。きっとこっちの方に出口なんてなかったのよ」

「そんなことありません。だったら、私たちより先にここに来た方たちの姿が見えない理由の説明がつきません」

「きっと、あいつ等はここまで来なかったのよ。きっと今頃皆揃って……」

「アイシャさん!」


 自棄になって不吉なことを口にしようとするアイシャを、ソラが諫めようと声を荒げる。


「思うのは自由ですが、不吉なことは口にしてはダメです! 余計なことを口にすると、それが現実になってしまいます!」

「じゃあ、どうしろと言うのよ!」


 どこまでも真っ直ぐなソラの正論に、嫌気が差したアイシャは嫌悪感を露わにして捲し立てる。


「こんな暗くて何もない場所で、何時間も閉じ込められてもう体も限界よ! 例え出口が見つかっても、その先で誰かに追いかけられるようになったら、逃げる気力なんてもうないわ! わかるでしょ! もう、何もかも限界なのよ」


 ここまで溜めた鬱憤を一気に吐き出したアイシャは、最後に怒りの矛先をすぐ近くの壁へとぶつける。


「アイシャさん!」


 そんなことをすれば、アイシャの手が傷付き、最悪の場合折れてしまうと思ったソラがと目に入ろうと手を伸ばす。



 だが次の瞬間、アイシャの姿が突如としてソラの視界から消える。


「…………えっ?」


 まさかの事態に、ソラは何が起きたかわからず目を白黒させる。


「ア、アイシャさん?」


 今しがたアイシャがいた場所へ手を伸ばすが、その手が何かを掴むことはない。


 ソラはキョロキョロと目を忙しなく動かして周囲の状況を探るが、狼人族ろうじんぞくの優れた目をもってしても、消えたアイシャの姿を捉えることはできなかった。


「い、一体何が……」


 こんな薄気味悪い地下で一人になってしまった途端、言い知れぬ恐怖が押し寄せてきて、ソラは震える体をどうにかして抑えようと自分の体を抱く。


「落ち着いて……落ち着くのよ」


 ここで慌てて、取り乱すことだけはいけない。そう何度も自分に言い聞かせながら、ソラは何が起きたのかを考える。


 今の一瞬で何が起きたのかわからないが、一つ言えることはアイシャは消える直前に壁を叩こうとしていたのは確かだ。


 ならばここは、自分もアイシャに倣って壁を叩いてみるべきだ。



 そう思ったソラが手を振り上げると、


「……グルルルル」

「――っ!?」


 通路の向こうから獣の鳴き声が聞こえ、ソラは弾けるように声のした方へと目を向ける。


 まさか、と身構えるソラの目に、暗がりの中に怪しく浮かび上がる二つの黄色い目が映る。


 体長は一メートルほどの四足歩行の獣……巨大なドーベルマンであることはわかったが、気になるのはその獣の足元に、何やら巨大な影が見えることだった。



 一体何だろうと思ったソラは、よせばいいのに目を凝らして影の正体を探ろうとし、


「――ヒッ!?」


 その正体に気付いて、小さく悲鳴を上げながら一歩後退りする。


 ソラの目が捉えたのは、あらぬ方向に首が曲がった女性の死体だった。


 おそらくあのT字路で、ソラと反対側へと逃げた女性の一人と思われる死体は、ここに来るまで相当乱暴に扱われたのか、片目は抜け落ち、頬から顎にかけてが欠損して口内が丸見えとなっていた。

 当然ながらここまで引きずられてきたと思われる体は傷だらけで、そこには数時間前まで酒場で男性客たちを魅了していた人物の面影は残されていなかった。


「…………」


 ソラは悲鳴を上げてドーベルマンを刺激しないように口を両手で押さえ、必死に恐怖に屈しないようにするが、意思に反して目から涙が溢れ出し、足はガタガタと震えて今すぐにでも膝を付きそうになる。


 さらに、まるで海中に投げ出されたかのように体がふわふわと浮いたような感覚に陥り、前後不覚になって自分がどうやって立っているのかもわからなくなってくる。


「…………グルルルル」


 すると、殺した獲物を運んでいたドーベルマンがソラの存在に気付き、咥えていた獲物を離して彼女に向かって唸り声を上げる。


(……ダメ! 今すぐ逃げないと)


 恐怖に屈しないように必死に指を噛みながら正気を保とうとするソラであったが、恐怖で竦んだ足は言うことを聞いてくれず、その場に縫い付けられてしまったかのように動けなかった。



 そうこうしている間にドーベルマンはをゆっくりとソラとの距離を詰め、腰を落として力を溜めると、


「ウガゥ!」


 唸り声を上げながら、床を大きく蹴ってソラへと襲いかかった。

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