第558話 既視感(デジャヴ)

「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております」


 アイシャが最後の客に向かって深々と頭を下げて見送り、本日の営業が終了する。


「…………」


 そのまま深々と頭を下げたままのアイシャは、ちらと自分のすぐ脇に立つ人物に目を向ける。


 まるで石像のように微動だにせずに立っているのは、黒服に身を包んだボディーガードで、普段は不逞の輩から従業員を守る頼もしい存在だが、今はその存在が不気味でしょうがなかった。



 実は、どさくさに紛れてソラだけでも帰そうとしたのだが、黒服の男たちが見逃してくれるはずもなく、店内でおとなしくしているようにと命じられてしまった。


「どうした? 早く中に戻れ」


 すると、頭を下げたまま固まっているアイシャに黒服から声がかかる。


「今日はこれからグリード様が来られるのだ。早く入口を閉めるんだ」

「……わかってるわよ」

「これから行われることは、少なくともお前に関係のないことだ。早く閉めてとっとと休むんだな」

「わかってるって言ってるでしょ!」


 黒服の伸ばされた手を払いながら、アイシャは苛立ちを露わにするように爪を噛む。


 これまでアイシャは店の顔の踊り子として前面に出てきたこともあり、グリードが主催するお見合いパーティーには、他の踊り子と同様に参加を免除されていた。

 アイシャがいなくなれば店の客と彼女のファンが黙ってはいないだろうし、彼女と同じレベルの踊り子を用意するとなると、かなりの手間と時間がかかる。


 そもそもこの店の踊り子は全員が各地で既に踊り子として活動していた者ばかりで、アイシャたちは他の従業員よりあらゆる面で厚遇されてきた。


 故に、お見合いパーティーの存在は知っていてもその中身までは知らないし、そもそもラドロの義理の父親だというグリードの姿を見たこともなかった。


 そういう意味ではここに来て自分が何も知らないという事実が、アイシャは悔しくて堪らなかった。



 多少の羞恥心はあるが、それでも好きな踊りをして皆に喜んでもらい、世間一般の普通の女の子より多くの金を貰い、故郷の家族に楽をさせてあげられることが何よりも嬉しかった。


 ただ、その影で他の誰がどうなっているかなんて、気にかけたこともなかった。


 ソラと出会わなければ……顔立ちは似ていないが、それでも何処か故郷の妹を思わせるあの愛らしい娘と出会わなければ、アイシャは今日のお見合いパーティーのことなど歯牙にもかけなかっただろう。


 まだお見合いパーティーが、シドが懸念するような危ない催し物であると決まったわけではない。


 だが、ラドロが外でいかに恨みを買っているかを知らされてから、彼にそっくりの浩一が現れたと聞いてから、アイシャの胸はざわついて仕方なかった。


「お願い、あの子だけは……ソラだけは……」


 お世話になっている店に弓を引く勇気がないアイシャにできることは、ソラが無事に帰れることをどうにか祈るだけだった。




 一方、店の中で待つように命じられたソラは、シドにぴたりと寄り添いながら頭の上の耳を忙しなく動かして周囲の状況を探る。


「姉さん、これから行われることって……」

「ああ、例のお見合いパーティーとやらだろうな」


 同じように耳を動かして周囲を警戒しているシドは、ソラの腰に手を回しながら耳元で囁く。


「……いざとなったら、あたしが能力を解放して前だけでも守ってやるからな」

「や、やめて下さい。ここにはコーイチさんもいるんですよ」


 シドの隠された力を知る数少ない一人であるソラは、姉がいかに自分の力を嫌っているかを知っていた。


 ソラはシドの手を取ると、姉の目を見て静かに語りかける。


「心配しなくてもいざという時はコーイチさんがどうにかして下さいますから、姉さんの力を使うのだけはやめて下さい」

「だが……」

「お願いします」


 きっと力を解放させて獣の姿を晒してしまったら、シドは浩一の前から消えてしまう。

 そんな確信があるソラとしては、浩一を巡る三角関係のこんな決着のつけ方は認めたくなかった。


「お願いします。それに、私たちが選ばれると決まったわけではありませんから……」

「…………そうだな」


 ソラの気迫に根負けしたシドは、大きく息を吐いて肩の力を抜く。


「まだ、あたしたちが選ばれると決まった訳じゃない。このまま何事もなく終わるなら、今日でこの仕事ともオサラバしよう」

「ええ、後はコーイチさんとミーファと合流して、これからのお金をどうするか皆で考えましょう」

「……だな」


 ようやく笑顔を見せたシドを見て、ソラは小さく頷く。


 だが、その内心は決して穏やかではなかった。

 浩一の姿を見た時から、ソラはこれがどういう状況であるかを理解していた。


 それはこの街に来る前、牧場で浩一の近くで眠った時に見た予知夢だ。


 あの時は誰かしらの横槍が入った所為で最後まで見ることができなかったが、これまでの経験から、予知夢を見る時はソラにとって都合の悪い出来事が起きることを示唆していた。


 今回、その災難が降りかかるのはソラかシドか、それとも浩一か……


 ソラは自分の中で生まれた不安に押し潰されないように、未発達の胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。



 すると、


「やあ、皆、今日もお疲れ様」


 店の奥から黒いタキシード姿の浩一が現れ、愛想よく手を振りながら従業員たちに話しかける。


「もう、聞いたかもしれないけど、今日はこれからちょっとした催し物があるから皆にはもう少し残ってもらいたいんだ」

「あはっ、ラドロ様……それって夜のお誘いですか?」

「とうとう、ご自身の伴侶を決める覚悟ができたのですか?」

「フフッ、今日のラドロ様、なんだかいつもより可愛い」


 この店の従業員には大人気なのか、浩一の周りに次々とあられもない姿の女性が押しかけ、あれこれと話しながら適度にスキンシップをはかっていく。



「ああん? 何だあれ、あれが本当にコーイチか?」


 普段とは全く違う雰囲気の浩一に、シドは眉根を寄せるが、


「…………やっぱり、同じだ」


 ソラはかつて見た予知夢通りの光景に、顔を青くさせて小さく震えるのであった。

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