第553話 あの人とは違うから

 意識を取り戻したソラが目を開けると、見慣れない石の天井が見えた。


「………………ここは」


 確か、姉の後を追っては知っていたところ、急に気分が悪くなったところまでは覚えている。


 その時、誰かに強く手を引かれたところまでは覚えているが、あれが一体誰だったのかまではわからない。

 ただ、あの乱暴な感じから決していい人ではないと思われたが、もしかして自分はその人物に攫われたのだろうか?



 もし、攫われたのだとしたらこんなところ一刻も早く出なければ……そう思っていると、


「プッ!」


 ソラが意識を取り戻したことに気付いたうどんがやって来て、嬉しそうに頬擦りしてくる。


「うどん? そう……あなたがいるのなら、ここは悪い人のところじゃないのね」


 ソラはうどんのふわふわの頭を優しく撫でながら、ホッ、と胸を撫で下ろす。


 どうやら最悪の事態は避けられたようだが、だとしたらここは何処だろう?



 まだ気怠い感じがして身を起こすのが億劫だと思ったソラは、呆然と天井を眺めながらうどんの頭を撫で続ける。

 すると、


「やあ、気が付いたみたいだね」


 背後から誰かに声をかけられ、ソラは緩慢な動作で背後を振り返る。


「大丈夫? 何処か辛いところはないかい?」

「は、はぁ……ってコーイチさん!?」


 部屋の入口に寄りかかるように立つ人物の顔を見たソラは、驚愕の表情を浮かべる。


「…………って、あれ?」


 だが、すぐさま浩一と何かが違うことに気付いたのか、ソラは探るように男の顔を見る。


「あなたはコーイチさんじゃない……ですね」

「うん、違うよ。ああ、大丈夫。まだ寝ていた方が良いから起きなくていいよ」


 警戒するように身を起こそうとするソラを、男は手で制しながら質問する。


「ところで僕ってば、そんなにコーイチっていう人に似ているのかい?」

「あっ、はい……それはもう……でも、見た目だけで、他は全然違います」

「ふ~ん」


 浩一に似ていると言われた男、ラドロは興味深そうにソラの顔をまじまじと見ると、軽く挨拶するようなノリで問いかける。


「君はそのコーイチ君のことが好きなの?」

「はい…………って、あっ!?」


 余りにも自然に聞かれたので、つい本音で応えてしまったソラは、百面相をしながらあたふたと慌てるが、


「…………はい、その……好きです」


 これ以上は無駄だと悟ったのか、おとなしく浩一への好意を認める。


「だからあなたがいくらコーイチさんと似ていても、私は絶対にあの方とあなたを見間違うことはないです」

「ハハハ、そうか。そのコーイチという人は随分と君に愛されているんだね」


 ラドロは白い歯を見せて快活に笑うと、首を反対側に向けて誰かに向けて声をかける。


「好きな人がいるんじゃ、残念ながら君たち姉妹には手を出せないな」

「んなっ!? そ、それってあたしも入っているのかよ!」


 男の声に反応するように、慌てたシドの声が聞こえる。


「違わないだろ? 僕が瓜二つの彼でないのを見破れたのは、君も噂のコーイチ君のことが好きだから、だろ?」

「うっ……」



 図星を指されたシドは、赤くなった顔を隠すようにラドロから視線を逸らすと、彼を押し退けて部屋の中へと入って来る。


「ソラ、大丈夫か?」

「姉さん……あの、一体何があったのですか? それと、ここは何処ですか?」

「ここはな、ソラのお気に入りの人の家だよ」

「えっ、それって……」


 誰? と問いかけようとすると、シドの後から続けて入って来た人物が手を上げる。


「私だよ。ソラ、また会えたわね」

「ア、アイシャさん!? ということはここは……」

「うん、私の家。ソラは暑さにやられて倒れたんだよ」

「暑さにやられて……私が?」

「ああ、やっぱり知らなかったんだね」


 ソラが眠るベッドの枕元に座ったアイシャは、彼女の頭を優しく撫でながら彼女が倒れた原因、熱中症について説明した。




「そう……だったんですね」

「まあ、この街の人間なら常識だけど、つい昨日来たばかりのソラたちが知らなかったのは無理ないよ」


 そう言ってアイシャは、手にしている木の器を掲げる。


「ソラが暑さで倒れたって聞いたからトマトスープを作ったんだけど、飲める?」

「えっ、でも……」

「飲める? 飲めない? どっち?」

「ええっ、その……飲め……ます」


 アイシャの有無言わさない迫力に圧されたソラは、おどおどしながら頷いて身を起こす。

 そうして渡された木の器に入った赤いスープを匙で掬って口に運ぶ。


「……あっ、美味しい」

「そう、よかった。水分と塩分を摂った方がいいから少し多めに塩入れたけど、しょっぱくない?」

「大丈夫です。私はこれくらいの方が好きかも……」

「フフッ、ソラはいい子ね」


 素直なソラに、アイシャは我慢ならないといったように抱き付き、ぐりぐりと容赦なく頭を撫でながら呆れたような顔をしているシドに懇願する。


「あ~、ソラってば本当に可愛い。ねえシド? よかったらこの子、私にくれない?」

「やるわけないだろ……それに、ソラには行かなきゃいけないところがあるんだよ」

「そうなんだ。じゃあ、どうしてこんなスラム街なんかにいるんだ?」

「別に来たくて来たわけじゃねぇよ。ただ、ソラの財布が盗られて……」

「あちゃ~……そうか、盗られちゃったか」


 このスラムではよくあることなのか、アイシャはバツが悪そうな顔をしながら首を振る。


「残念だけど、ソラの財布はもうなくなったと思った方がいいわ。ここは、こう言う場所なの」

「…………だろうな」


 大事な財産の一部を失ったと知ったシドは、悔しそうに歯噛みする。



 その表情から何か察したのか、アイシャは二人にある提案をする。


「ねえ、もしお金が必要なら、働けるところ案内してあげようか?」

「……えっ?」

「待遇はいいわよ。まあ、ちょっと勇気は必要だけど……いいですよね。ラドロ様?」


 アイシャからいきなり話を振られたラドロは、軽く手を振りながら応える。


「いいよ……といっても、僕はまだ職場に戻るつもりはないから、全てアイシャに任せるよ」

「えっ? ええっ?」


 自分を差し置いてどんどん話を進めるアイシャたちを見て、シドはただひたすら狼狽するばかりだった。

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