第546話 大人な雰囲気の場所へ

 露出の激しい受付の女性の後に続いて店の中に入ると、中は思った以上に広い空間が広がっていた。


 そこかしこに照明が焚かれた店内の明るさは十分で、しっかりと磨かれた大理石の床にシミ一つない白い壁、奥の棚には異国情緒溢れる小物がずらりと並び、店の雰囲気としては悪くないとシドは思った。



「……姉さん」


 壁にかけられた何処かの国で造られたと思われる巨大な絨毯を見ながら歩いていると、背後を歩くソラがシドの耳に口を寄せて囁く。


「あ、あの……いかにも高そうなお店ですが、予算は大丈夫ですか?」

「……知らん」


 わざとらしく視線を逸らすシドに、ソラは信じられないと目を見開きながら問い詰める。


「知らないって……どうしてお店に入る前に予算の確認をしなかったのですか!?」

「し、仕方ないだろ。それに、それを言うならソラが聞いてくれればよかっただろ?」

「そ、それはそうですが……その、あの人の姿に呆気に取られてしまって……」

「あたしもだよ。とにかく、注文する前に値段を聞いて、無理だと判断したらどう思われようと帰るぞ」

「……それしかありませんね」


 元、王族であるはずなのだがすっかり庶民の感覚が板についている姉妹は、ソラが持っている巾着の形をした財布の中身をひっそりと見て予算を確認すると、互いの顔を見て頷き合う。



 財布を無くさないように、しっかりと腰のポーチにしまったのを確認したソラが一息吐くと、


「ああ、クソッ! 負けた!」

「――っ!?」


 突如として大きな声が聞こえ、ソラは体をビクリ、と過剰に反応させる。


「ああ、ごめんなさいね。驚いたでしょ」


 胸を押さえて息を整えているソラに、受付の女性がやって来て彼女が安心するように手を握る。


「あっちに席は、賭け事専用なの。今のは負けた人が思わず声を上げたのよ」

「賭け事……ですか?」

「フフッ、賭け事は苦手?」

「あっ……その、はい」

「そう、いい子ね。あなた名前は?」

「えっ? あっ、その……ソラです。こっちは姉のシドです」

「ソラにシドね。二人共良い名前ね。きっとご両親が沢山悩んで付けて下さったんでしょうね」

「あ、ありがとうございます」

「フフッ、ごめんなさいね。ソラを見てたら、故郷の妹を思い出しちゃったの」


 畏まるソラを見て、受付の女性は慈母のような優し気な笑みを浮かべる。


「それじゃあ、本当は追加のお金をいただかないといけないんだけど、あなたたちは静かにご飯を食べられる特別な席を案内してあげるわ」

「そ、そんな悪いです。私たち、その……お金もあまり余裕がなくて……」

「それも大丈夫。言ったでしょ? お手頃価格だって。お酒は値が張る物もあるけど、食事だけなら銀貨一枚もしないでお腹いっぱい食べられるわ」

「そ、それならなんとか……」


 今日は既に一週間分の宿の料金を払ってしまったので、これ以上の痛い出費は控えたいと思っていただけに、受付の女性からの案内は魅力的だった。


 だが、これだけの高級そうな店でそんなに安く食事を摂れるとなると、きっと他に理由があるに違いない。

 そう判断したそらは、念のためにと受付の女性に気になったことを尋ねる。


「……ちなみですが、その特別な席は普段はいくら払わないといけないのですか?」

「そんなたいした金額じゃないわ。たったの銀貨三十枚よ」

「さ……ん」


 ある程度は予想していたが、それを遥かに上回る金額を指示されて固まるソラに、受付の女性はいたずらっぽく笑って唇に人差し指を寄せると「内緒よ?」と言ってウインクをしてみせた。




 ギャンブルに興じる男たちの山を乗り越え、その先にある二回へと続く階段を登ると雰囲気が一変する。


 階下と比べると薄暗い照明に、広く感覚が取られた席には既に何名かの客がいたが、一階と比べるとその人数は圧倒的に少ない。



 弦楽器の穏やかな曲が流れる落ち着いた雰囲気を楽しむように、静かに酒をくゆらせている客の脇をすり抜け、受付の女性は一番奥の机にシドたちを案内する。


「さあ、ソラ、こちらにどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「フフッ、どういたしまして」


 椅子を引いてソラを席に座らせた受付の女性は、メニュー表をソラたちに見せながら尋ねる。


「それで、注文はどうする? お金に余裕がないのなら、私が予算内で適当に見繕ってあげるけど?」

「そう……ですね」


 メニュー表を確認して、女性の言葉通り自分たちでも十分に払える金額であることを確認したソラは、顔を上げて小さく頷く。


「お願いします……姉さんも、それでいいよね?」

「あたしとしては腹が満たせれば問題ない。後は、こっちの狼には肉を、ウサギには野菜……できればオリーブをくれ」

「任せて。全部まとめて銅貨五十枚以内に収めてみせるわ」


 受付の女性はソラから銅貨を受け取ると、その内の一枚にキスをして「よい夜を」と一声残して立ち去っていった。




「……やれやれ」


 受付の女性が立ち去った後、シドは心底疲れたように椅子の背もたれにだらりと体を預けながら口を開く。


「とりあえずどうにかルストの街までは来れたけど、とんでもないことになったな」

「まさか、ミーファとコーイチさんと離れ離れになるとは思いもしませんでした」

「全くだ……しかも、手がかりは一切ナシときたものだ。こんな大きな街で二人を見つけることなんてできるのか?」

「できますよ」


 シドのぼやきに、ソラは語気を強めて姉の目を真っ直ぐ見据えながら話す。


「この街に何千、何万と人がいようとも、私は必ず二人を見つけてみせます……姉さんは自信がないのですか?」

「んなっ!? そんな訳ないだろ! コーイチはあたしの相棒なんだ。コーイチを見つけるのは、あいつと誰よりも長くいたあたしに決まってるだろ」

「では、どっちが先にコーイチさんを見つけるか勝負ですね」

「望むところだ」


 二人は火花をバチバチと交錯させるように視線を交わす。



 だが、それも一瞬のことで、二人の興味はすぐに別のものに変わる。


「ところでさっきから気になっているのだが……」

「ええ、あれは何でしょうね?」


 そう言って二人が見る先にあったのは、二階の三分の一を占めるであろう巨大な円形の舞台だった。

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