第539話 癒しの水辺

 散々な目に遭った街から逃げるように立ち去った俺たちは、綺麗に整備された街道を通って一路ルストの街を目指した。


 見える景色は相変わらず岩と砂だらけの荒野だったが、道に迷わないように街道の両脇には綺麗に石が並べられ、さらには街路樹代わりなのか、サボテンが一定間隔に植えられていた。


「ウフフ、おにーちゃんみて、へんなかたち」


 初めて見るサボテンに、ミーファは興味津々といった様子でサボテンの形を口にしていく。


「あっちはうねうね、こっちはくねってしてるね」

「面白いよね。あれはサボテンっていうんだよ」

「サボテン?」

「そう、サボテン。水が極端に少ないところでも育つ植物で、ものによっては食べられたりするんだよ?」

「そうなんだ…………おいしい?」

「どうだろ? 流石に食べたことないからな……」


 サボテンステーキなんてものがあるぐらいだから、調理の仕方によっては美味しいのだろう。

 世話が楽だという理由で、サボテンを育てたことがある人は多いと思うが、あんな固い植物を食べようと最初に思った人は凄いなと思う。


「…………」

「ミーファ?」


 俺がサボテンを食べられると言ったからなのか、ミーファは通り過ぎるサボテンを見えなくなるまで追ったかと思えば、くるりと振り返って次のサボテンを興味津々と熱心に眺め続ける。


 も、もしかしてミーファさん?


 まさかと思って心ここにあらずといった様子のミーファを眺めていると、


「………………じゅるり」


 案の定、ウチの天使は溢れてきた涎が垂れないように、慌てて口元を拭き取っていた。



「…………ねえ、おにーちゃん」

「食べないからね?」


 袖をくいくい、と引っ張って来るミーファに、俺は彼女の頭を撫でながら諭すように話す。


「残念だけど、サボテンはそう簡単に食べられないから俺たちには無理だよ。それに、あそこにあるサボテンは皆の目印だから、食べちゃったら皆が困っちゃうだろ?」

「そっか……」

「そうだよ。それに今日の夜には大きな街に着くから、そこで美味しいご飯をたらふく食べような?」

「……うん」


 夜という単語にまだまだ時間があると思ったからなのか、ミーファはやや不服そうだったが小さく頷くと、それ以上はサボテンを食べたいと口にすることはなかった。



 だが、それでも後ろ髪を引っ張られるのか、サボテンの脇を通る度に、彼女の視線は不思議な形をした植物へと吸い込まれていった。




 流石に終始物欲しそうな顔をするミーファを横において粛々と歩を進める気概がなかった俺は、道を外れた場所に休憩できそうな水場を見つけたので、少し休憩をしようと提案をして水場に立ち寄ることにした。


 訪れた水場は、砂漠のオアシス……とは少し違うかもしれないが、それでも荒野に咲いた一輪の花といった緑豊かな場所で、この周囲だけ温度が五度以上は違うのでは? と思うほど涼しく、過ごしやすい場所だった。

 中心にある大きな泉からは水が絶えず湧き出ているのか、あちこちからコポコポと気泡が発生しており、中には魚が元気に泳いでいるのが見えた。


 魚がいるということは飲み水としても利用できるだろうということで、少し早いが俺たちはここで昼食を兼ねた大きな休憩を取ることにした。



「…………はぁ」


 馬たちが水を飲んでいる間に餌を用意し、手持ちの飲み水の補給を終えた俺は、木陰にある大きな岩に背中を預けて大きく嘆息する。



 牧場を出発してたった二日しか経っていないが、何だか既に疲れが溜まっているような気がする。

 その理由は考えるまでもない。


 昨日、街で受けた訳の分からない数々の仕打ちによって、次は何をされるのかと気を張り続けていたので、精神的に参ってしまっているのだろう。


 ちなみに三姉妹は、せっかくだからと洗濯をするついでに水浴びをすることにしたらしいので、俺はただ一人、彼女たちから声がかかるまで待機することになっていた。


「うっ、姉さん……もしかして、また大きくなりました?」

「んにゃにゃっ!? だ、だからっていきなり揉むことはないだろう」

「クッ、大きいだけじゃなく柔らかさまで……それでコーイチさんを垂らし込むつもりですね?」

「ちょ、やめ……お前、存外に力がつよ…………ふわぁ…………あぁん」


 何だか遠くから仲良さそうな姉妹の会話が聞こえ、俺は思わずそちらに意識を奪われそうになる。


「プッ!」

「…………わかってるよ」


 そんな俺に、うどんから「ダメだよ?」という注意が飛んできて、俺は苦笑しながらふわふわの毛玉の頭を撫でる。


 どうしてかこのウサギ、一緒に水浴びをしようと言うミーファの提案に対し、男である自分が一緒にいるわけにはいかないという謎の気概を見せ、こうして俺と一緒に待機組に回ってくれている。


 メスであるロキは「せっかくだから綺麗にしてくる」と言って三姉妹と一緒に水浴びに行ってしまったので、こうしてうどんだけでも残ってくれるのはありがたかった。

 といっても、最低限のやるべきことはやってしまったし、三姉妹たちが水浴びをしているので下手に動いて覗いていると思われるのも困る。



「おにーちゃああああああああああぁぁぁん!」


 結局、こうしておとなしく待っているしかないのかな? と思っていると、バシャバシャと派手な水音を立てながらミーファが近付いてくる気配がして、俺はゆっくりと声のした方に目を向け、


「――ぶっ!?」


 盛大に噴き出した。

 そこには一糸纏わぬ姿のミーファが、こっちに手を振りながら駆けてくるのが見えたからだ。


「おにーちゃん、きもちい~よ!」


 思わず目を逸らそうとする俺に、駆けてきたミーファは体当たりをするように抱き付いてくる。


 その瞬間、ミーファの濡れた髪が俺の顔にベチャッ、と張り付いたが、なるべく平静を装って張り付いた髪をどかしながら、胸の中の天使に話しかける。


「ミーファ、もう水浴びは終わったのか?」

「うん! ミーファ、ちゃんときれいにしたよ?」

「そうか、じゃあ体を拭かないとな」


 突然のことに一瞬だけ面食らったが、地下生活をしている時にも、こういった展開は何回かあったので、俺は荷物からタオルを取り出して小さな体を拭いていく。


「あれ? ミーファがいない……ミーファ、何処に行ったの!?」


 わしゃわしゃと長くて艶々とした茶色の髪を拭いていると、ソラの心配そうな声が聞こえたので、俺は彼女に向かって叫ぶ。


「ソラ! ミーファならここにいるから心配しなくていいよ」

「コーイチさん? す、すみません。あの子ったら目を離すとすぐに……」

「ハハッ、こっちは大丈夫だから、ゆっくりしていいよ」

「…………すみません、お願いします」

「任された」


 ソラから末妹を任された俺は、気持ちよさそうに双眸を細めているミーファの髪を拭いていく。


「よし、綺麗に拭けたぞ」


 ミーファの髪をしっかりと吹いた俺は、次は彼女に服を着せるために荷物へと手を伸ばそうとする。



 すると、俺の前に調度よくミーファの下着が差し出される。


「あっ、どうも」


 俺は差し出された下着を受け取りながら、手櫛で髪を直しているミーファを立たせ、下着を付けさせる。


「……ん?」


 そこで俺はある違和感を覚える。


 シドとソラはまだ水浴びをしているはずなので、誰が俺に着替えを差し出したのだ?


 そう思って首を巡らせると、いつの間に現れたのか、見知らぬ女性が冷たい視線をこちらに向けていた。

 褐色の肌に長い黒い髪を一房にまとめ、着ている服は黒のフォーマルなスーツだったが、隠しきれない胸のふくらみによって、目の前に立つ人物が女性であるとわかった。


 粗暴ではない、ちゃんとした身なりの人物の登場に、俺は警戒を僅かに解きながら話しかける。


「あの……何か?」


 俺の問いかけに、目の前の女性が手を素早く振るのが見えた。


「えっ?」


 次の瞬間、視界が真っ暗に染まり、


「うぐっ!?」


 首筋に強烈な打撃を受け、俺の意識は暗い闇へと沈んでいった。

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