第540話 俺、囚われました。

「…………うっ?」


 首筋に強烈な痛みを感じて、俺の意識が覚醒する。

 うっすらと目を開けると、真っ暗で何も見えなかった。



 確か、荒野のオアシスで休んでいた時に、知らない女性と出会ったところまでは覚えている。


 状況から察するに、あの女性……もしくは彼女の仲間に襲われた……ということだろうか?


 一体どうして見ず知らずの人に襲われなければならないのか、全く理解できないが、一先ずここは何処だろうと思い、体を動かそうとしたところで、


「――ふぐっ!?」


 手足が全く動かず、さらには喋ることすらままならないことに気付く。

 後ろ手て拘束され、足もぴっちりと閉じた状態から動かすことができないし、口には猿ぐつわのような何かを嵌められていた。


 試しに逃れようと力を籠めて身を捩るが、当然ながらそんなこと程度ではビクともしない。


 ただ、どういうわけか寝かされている場所は、この世界に来てから初めて、といっても過言ではないほどのふわふわの寝心地のいいベッドの上にいるようだし、手足の拘束具も、肌に優しい素材なのか思いっきり力を籠めて動いても全く痛くない。



 人このことを攫っておいて、微妙に優しい対応をみせる辺り、一体何がしたいのかわからないが、このままおとなしく捕まっているつもりはない。


 ――っ、そういえばミーファは?


 あの時、俺と一緒にいたミーファ、そしてうどんはどうなったのだろうか?

 せめてミーファだけの無事を確認したいが、周囲は相変わらずの闇なのと、後ろ手で拘束されている所為で思いの外、体を自由に動かすことができない。


「……ふぉ! ふぉ! ふふぉ!」



 まるで何処かの異星人のような声を出しながら、必死に体を捩っていると、


「……目覚めたか?」


 背中の方から明かりが刺したかと思うと、女性にしてはやや低い、落ち着いた声音が聞こえた。


 コツコツ、と硬質な音を響かせながらこちらに近付いてくる音に対し、無駄だと思いつつも警戒態勢を取っていると、俺の前にオアシスで見た黒服の女性が現れる。



 女性は俺の前に跪いて視線を合わせると、カンテラを掲げながら話しかけてくる。


「先に言っておくが、おとなしくしていてくれれば手荒な真似はしない……いいな?」

「…………」


 そう言われても、この状況が既に手荒な真似に入るのでは? と思っている俺としては、素直に頷く気になれない。


 すると、女性が俺から僅かに視線を逸らす。


「君の連れていた娘……あの子の無事は確保しておくべきではないのか?」

「――っ!?」

「安心しろ。今は腹いっぱいになって眠っている」


 そう言いながら女性が俺をひっくり返すと、暗がりの向こうに、何処で手に入れたのか仕立ての良さそうなフリフリのドレスを着たミーファが、すやすやと気持ちよさそうに眠っているのが見えた。


「…………ふみゅう、もうたべられにゃいよ」

「…………」


 余りにもベタ過ぎる寝言を言うミーファに呆れながら、俺は女性に向かって目で問いかける。


 ミーファに料理を振る舞ってくれたのは、あなたか? と。


 口には出していないが、女性は俺の表情から何を言いたいのか察したのか深く頷く。


「そうだ。あの娘……背丈の割に大食漢で驚いたぞ。流石は最強の獣人、狼人族ろうじんぞくといったところか」

「…………」

「気にするな。君が私の言うことをおとなしく聞いてくれれば安いものだ」


 そう言いながら再び俺と視線を合わせた女性は、無言のまま問いかけてくる。


 どうする? と。


 一応、俺に判断を委ねてくれてはいるが、選択肢はないも同然だった。

 俺は囚われの身で、ここで彼女の提案を拒絶すれば、自分の身だけでなくミーファの安全は保障されない。


「…………ふぅ」


 俺は肩で大きく息を吐くと、女性に向かって了承の意を込めて頷く。


「結構」


 女性はゆっくりと頷くと、自分の胸に手を当てて自己紹介をする。


「私はネロ。この屋敷でとある方の執事をしている。悪いが君には、今からその方のふりをしてもらう」

「…………?」


 一体どうやって? と目で問いかけると、ネロと名乗った女性はゾッとするような薄い笑いを浮かべて俺の口にある猿ぐつわを指差す。


「心配しなくていい。そのまま寝ているだけでいい。そうして全身を拘束しておけば、何かをする必要はなくなるし、口を封じておけば喋らなくていいからな」


 何だそれ、と思うが、ネロからすれば、俺がただそこにいるだけでそ十分だと思っているようだった。


 ネロが俺に何をさせたいのか全く理解できないが、それぐらいのことぐらいはやってみせよう。



 俺はちらりとミーファに目を向け、彼女の身の安全は絶対に確保しろよ、と訴えるように睨みながらネロに向かって頷く。


「結構、では私は一旦席を外す。次に戻って来た時、君は言われた通りにベッドの上でおとなしく寝ていてくれ……そうだな。茫然自失といった表情でいてくれればいい。決して、余計な考えなど起こそうとしないように」


 ネロは俺に釘を刺すと、コツコツと来た時と同じリズムで立ち去っていった。




 さて、どうしたものか。


 俺を攫ったのが、オアシスで出会った女性、ネロであることはわかったが、その理由はよくわからない。


 ただ、なんとなくネロが仕えていると思われる人物には思い当たる節があった。


 おそらくだが、ネロが仕えている人物は、あの悪趣味な馬車に乗っている人物だろう。

 これまで何度も名前も知らない人物と勘違いされたのだから、きっとそいつと俺は瓜二つなのかもしれない。


 だから俺にそいつのふりをしろというネロの要望はわかる。


 しかし、そのふりをするのに、手足を拘束して猿ぐつわを噛ませるとは一体どういうことか?

 一体どんなことをすれば、こんな酷い仕打ちをされなければならないのか?


 もう今から嫌な予感しかしないが、引き受けると……言ってはいないが了承した以上、やり遂げるしかなかった。




 それから暫くの間、呑気に寝ているミーファの寝顔を見て和んでいると、突如としてバアァン! と何かが破裂するような音がする。


「――ふぉっ!?」


 余りにも大きな音に、俺は驚いて思わず声を漏らしながら背後を振り返る。


「よう、今回は随分と手間取らせたじゃないか……ああん?」


 そこには全身にキラキラと輝く宝石を身に付けた巨漢が、こちらを見てと血のように真っ赤で長い舌でチロリ、と舌なめずりするのが見えた。

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