第二部 第二章 二つの顔

第537話 装いも新たに

 新たにトントバーニィのうどんを仲間に加えた俺たちは、順調に山越えを果たし、新たな地へと足を踏み入れた。



 目に映る景色は、これまでの緑豊かな地から、土が剥き出しの荒野と表現できる地へと移り変わり、それに合わせて気温も上がってきた。


「…………暑いな」


 御者台に座る俺は、熱射病対策のために白いフードをしっかりと被り、燦燦と降り注ぐ陽の光を恨めし気に睨みながら馬車を元気に引っ張る二頭の馬に尋ねる。


「随分と暑いけど君たちは大丈夫? 少し休もうか?」

「ブルル……」

「ヒヒーン!」


 俺の質問に、二頭の馬はそれぞれ「問題ない」「まだまだいけるよ!」と元気な声で応え、それが嘘でないことを示すように尻尾をフリフリ振りながらリズムカルに足を動かす。


 暑さにも強いのか、まだまだ元気そうな馬たちを見て大丈夫そうだなと思った俺は、すぐ隣で歩いている巨大な影に尋ねる。


「ロキたちはどう? 疲れてない?」

「わふっ!」


 その質問に、余所行きの服を着たロキは、すぐさま問題ないと返事が返ってくるが、


「ふみゅう……あつ~い」

「ププゥ……」


 ロキの背に乗るミーファと彼女に抱かれているうどんは、素直に辛そうな表情を見せる。


 ずっと地下で生活していたミーファと、北国出身で、つい最近まで夏用の毛皮に着替えることすら知らなかったうどんにとっては、今まで経験したことのない暑さであるから、相当堪えているようだった。


「ミーファ、うどん、ちょっとこっちにおいで」


 馬やロキが元気である以上、こんな何もない荒野の真ん中で休むことは得策ではないと思った俺は、馬に速度を落とすように命じながらロキの上に乗る一人と一羽を呼ぶ。


「は~い」

「ププッ」


 ロキも馬車に合わせて速度を落としたので、あっさりと馬車の方に移動してきたミーファを膝の上に乗せると、自分のフードを取って彼女の頭に乗せてやる。


「ほら、熱射病になっちゃうからこうして頭を守っておきな」

「うん、ありがとう……でも、おにーちゃんは?」

「俺は……まあこれでも被ってるよ」


 そう言って俺は、汗拭き用のタオルを頭に乗せてニッコリと笑う。


「ププゥ……」

「ああ、ゴメン、ゴメン。うどんのことを忘れたわけじゃないよ」


 不満そうに「僕は?」と唇を尖らせるうどんに、俺は好物の熟成オリーブを差し出してやる。


「ほら、これで塩分を補うといいよ。後は水分補給を十分すること、いいね?」

「プップゥ!」


 熟成オリーブを見た途端、うどんは目の色を変えてウサギらしく飛び跳ねるようにして俺の手に飛び付き、熟成オリーブを美味しそうに食べる。


「ミーファ、うどんに水を用意してあげて……後、自分の分も忘れずにね」

「わかった」


 フードが落ちないように大事そうに頭を抱えながら、ミーファはとてとてと馬車の中へと入っていく。



 暫くして出てきたミーファの手には、水の入った皮袋が二つあった。


「はい、おにーちゃんのぶん」

「おっ、ありがとう」


 俺の分まで用意してくれるなんて、何てできた子だろう。

 俺はミーファの頭をよしよしと撫でながら皮袋を受け取って水を一口飲むと、手桶を作って水を掬ってオリーブに夢中のうどんに差し出す。


 オリーブを食べ終えたうどんは、続けて俺の手の中の水を喉を鳴らしながら飲んでいく。


「フフッ、くすぐったいな」


 こうして手から動物に餌や水を与えていると、どうしてかその動物の親になったような慈しみの気持ちが沸々と湧き上がって来る。


 これが父性というやつのなのかどうかはわからないが、今ならどんな横槍が入っても、感情を揺さぶられない自身があった。



「あっちいな……」


 まるで僧にでもなった気分で水を飲むうどんを見ていると、背後からシドの声が聞こえてくる。


「おお、コーイチ。よかったら場所変わろうか?」

「ああ、わかった。頼むよ……」


 二時間おきに交代する約束をしていたので、もうそんな時間かと思いながら俺は背後へと振り返る。


「…………えっ?」


 その瞬間、俺の思考が停止する。


「な、何だよ……」


 俺の視線を察して、渋面を作りながら肢体を隠すように両腕をクロスさせるシドであったが、それも無理もないことだと理解して欲しい。


 その理由は、シドの服装にあった。


 昨日までどこぞの探検隊の活発なお姉さんといった翡翠色の服装だったのだが、あの服は生地が熱かったのか、今は上は黒いチューブトップブラのような薄い布一枚と、同じ色のパンツ一枚になっていた。



 口を開けて呆ける俺を見て、下着同然の姿となったシドは、腰に手を当てて「フフン」と胸の谷間を強調するようなポーズを取って挑発的な笑みを浮かべる。


「どうした? あたしの体が気になって仕方ないってか?」

「…………うん、すっごく気になる」

「――っ!? そ、そうか……」


 てっきりいつもみたいに猫みたいな悲鳴を上げながら逃げ出すのかと思ったが、ある程度覚悟を決めてやって来たのか、臆することなく俺のすぐ背後までやって来る。


 まるで、あたしを見ろ! と謂わんばかりに堂々としているのは非常に眼福でありがたいのだが、


「…………詰めが甘いな」

「えっ? 何か言ったか?」

「ううん、何でもない」


 俺はしっかりとシドの姿を目に焼き付けながら、ゆっくりとかぶりを振る。



 果たしてシドの詰めの甘さを指摘しようかどうか悩んでいると、


「ね、姉さん。いくら何でもその格好は……」


 あられもない格好のシドを止めるため、背後から陽射し対策のフードをすっぽりと被ったソラが出てくる。


「暑いのはわかりますけど、そんな下着同然の格好で御者台に座るのはやめて下さい。」

「ええ、別にいいじゃないか。実際、これは下着じゃないんだし、何よりここにいる男はコーイチだけだぞ?」

「そ、それはそうですけど、御者台に座ったら他の人が見るじゃありませんか?」

「ついでに言うと、俺は馬車の中に戻るから痴女同然の女が一人、御者台に残ることになるな」

「あっ……」


 そこでシドは自分の考えの甘さを思い知ったのか。急に真顔になると、


「…………着替えてくる」


 そそくさと踵を返すと、馬車の中へと戻っていった。


「…………」

「…………」


 それを見て、俺とソラは顔を見合わせて揃って肩を竦める。


 う~ん、残念だったな。


 シドなりにソラに対して思うところがあるのか、時々ああやって俺に対して攻めるような姿勢を見せてはくれるのだが、恋愛経験が未熟過ぎてどうにも上手くいかない。



 別に焦らなくても、夜遅い時間とか、二人きりの時にしてくれればいいのにと思うのだが、どうしてかそういう時に限って、ビビッて何もしてくれない。

 お蔭で、今のところシドのやる気に反して、俺が魅了されるような事態に全くならないのは非常に寂しいところだった。


 せっかくだから、次のルストの街では、少しでもシドとの仲を進展できればいいな、と思う。


 この時の俺はそんなことを思っていたが、これから思いがけない不幸が連続で降りかかり、それどころじゃなくなるとは露にも思わなかった。

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