第531話 復調の朝

 その後、俺の怪我の治療のために一か月の時間を要した。


 怪我してから最初の三日は、碌にベッドから起き上がることもできなかったが、三姉妹たちの献身的な介護のお蔭で、四日目からは起き上がってリハビリを開始することができた。



 あの夜、レド様の話を聞いたソラは、レド様が生きているかもしれないとと聞いて驚いてはいたが「そうですか……」とただ一言だけ告げて再び床に就いた。


 てっきりもっと喜んでくれると思っていたのが、あの時のソラがどうして冷静な態度を見せたのかは定かではない。


 それは、母親から受け継いだ力の未熟さを見咎められたと思ったのか、それともソラはレド様が生きていることを既に知っていたのだろうか?


 あの時のソラのリアクションからそれはないと思うが、どうしてもっと喜ばなかったのかという理由は、一か月経った今でも聞けていない。



 ただ、ソラがレド様のことをシドたちに話していないようなので、もしかしたら母親が生きているという確証が持てない中では、残る二人の姉妹に遠慮して感情を控えているのかもしれなかった。


 そんなソラに倣って、俺もシドとミーファにレド様のことは話していない。


 ……まあ、実は予知夢で見た俺の態度に怒っているだけでした。なんて事も考えたが、ソラは翌日以降も動けない俺を甲斐甲斐しく世話をしてくれたし、話しかければ穏やかな笑みを浮かべて応えてくれた。



 そんなソラの優しさに応えるためにも、いつか親子の再開が果たせるようにしたいと強く思いながら、俺は日々のリハビリをこなしていった。




 ――朝、ここ最近の日課である朝の散歩に出かけるため、ベッドから起き上がった俺は、着替えるために上着を脱いで上半身裸になる。


 胸に三本走る爪の痕も、左腕の牙の痕も痛々しく残ってはいるが、痛みはない。

 ゆっくりと傷の具合を確認するように動かしてみるが、動きに支障がでることもなかった。


「…………よし!」


 体に何も問題ないことを確認した俺は、手早く着替えを終えて部屋の中へと声をかける。


「散歩行くけど、一緒に行くかい?」

「わん」


 俺の声にすぐさま反応する鳴き声が聞こえ、ロキが隣に並んでスリスリと頬擦りしてくる。

 すっかり馴染みとなった朝の挨拶に、俺は相好を崩しながらロキの頭を撫でて応える。


「ハハッ、おやよう。ロキ」

「わん」


 互いに挨拶を交わした俺たちは、前に牧場で朝を迎えた時と同じように、朝の散歩に出かけるために部屋を後にした。




 母屋の外に出ると、辺り一面朝靄が立ち込めて殆ど先が見えないほどだった。


「おおっ、寒っ」


 ここ最近、汗ばむ陽気が続く毎日だったが、夜や朝方の冷え込みは中々のもので、俺は念のためにと持って来たフードを被ってアサシンスタイルとなる。


「さて、何処に行こうかな……」


 リハビリで牧場周辺を散策することはあったが、今日はちょっと遠出するつもりだった。

 時間にして一時間か二時間はかけてじっくりと散歩するつもりだったが、それにはある理由があった。



 しっかりとストレッチをしながら体を解していると、


「わふ……」


 後から外に出てきたロキがやって来て、俺の左腕の牙の痕ををクンクンと匂いを嗅いでくる。


 あの日以来、ロキは毎日俺の様子を確認する度に自分が傷付けた匂いを嗅いでくる。

 最初は罪の意識に苛まされているのかと思ったが、どうやらそれは違うようだった。


 左腕の匂いをひとしきり嗅いだロキは、今度は俺の胸に顔埋めてさらに匂いを嗅ぐ。

 最後に顔を上げて俺の頬をペロリと舐めたロキは「わんわん」と怪我の具合は大丈夫だよ。と太鼓判を押してくれる。


「うん、ありがとう」


 ロキからお墨付きを貰った俺は、感謝の意を込めて巨大狼の顎下に手を伸ばして撫で回す。



 何年か前にテレビで見たことがあるが、人間を遥かに凌駕する犬の嗅覚は、怪我の具合や病気の有無による僅かな臭いの違いをも嗅ぎ分けることができるようで、ロキも毎日俺の怪我した部分の匂いを嗅いでは、少しずつ良くなっていく様を事細かに伝えてくれた。



 このロキの忠告のお蔭で、俺は山道の修復作業が終わったという報せを聞いても慌てて出発しようとはせず、しっかりと怪我を治すことに専念することができた。


 そう、嵐の所為で発生した土砂崩れによって長いこと足止めを受けたが、その障害は既に取り払われた。


 今日、朝の散歩でわざわざ遠出をするのは、これから次の目的地に向けて旅立つ前に、体に不調が出ないかどうかをしっかりと確認するためだった。

 ここで何も問題がなければ、午後に物資の補給のために買い物に出かけ、早くても明日にでもここを発つ。



 一か月もの長い間、嫌な顔一つせずに俺たちの逗留を許してくれたリックさん一家には、感謝しかない。

 今日がこの牧場で過ごす最後の日となると考えると、お世話になった一家に何かしてあげたいと思った。


 すると、


「おにーちゃん!」


 母屋の扉が開き、小さな影が飛び出して来て俺の背中に飛び付いてくる。


「ミーファもおさんぽいく!」

「ハハッ、わかったわかった」


 朝から元気なミーファが落ちないようにしっかりと背負うと、さらに母屋の扉から眠そうなニーナちゃんも出てくる。

 俺が部屋から出る音を聞いて慌てて準備してきたのか、ボサボサの頭で寝間着姿のままの二人を見て、俺は苦笑しながら二人に提案する。


「二人共、待っててあげるから出かける準備をしておいで」

「は~い」

「ふぁ……すみません、三分で準備してきます」


 俺の提案に、二人の少女は踵を返してパタパタと慌ただしく母屋の中へと戻っていった。

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