第526話 王の力

 逃げたガルムを追うために飛び出したシドは、疾駆するロキを難なく乗りこなしながら、激しく燃える炎のような視線を前方へと向けていた。



 溢れる怒りを抑えるように深呼吸を繰り返しながら、シドは会話が成り立たないとわかりつつもロキに話しかける。


「ロキ……今日ばっかりはあたしは自分を抑えられる自信がないよ」

「わふっ?」

「フッ、今のはあたしでも何言っているかわかったよ」


 シドは思わず苦笑を漏らしながら、尚も独り言を続ける。


「別に聞き逃してもらって構わないさ。ただ、これだけは言っておく。あたしは今日、奴に本気を出す……止めても無駄だからな」

「……わん!」


 相変わらず何を言っているかわからないが、それでも自分の言いたいことを理解してくれたことだけは理解してくれたと、シドはロキの背中を撫でる。


「フッ、いい子だ」


 事前に細かい打ち合わせなど必要ない。

 何故なら、あの魔物は自分一人で倒すからだ。


 森を抜け、牧場の畑を一瞬で置き去りにし、目的地が見えて来たところで、シドはロキの背中を撫でながら犬歯を剥き出しにして獰猛に笑う。


「さあ、奴に生まれて来たことを存分に後悔させてやろうか」

「わん!」


 シドの呟きに、ロキは「任せた!」と応えるように一声鳴いた。




 咄嗟にトントバーニィが掘った穴に入ってまんまと浩一たちから逃げたガルムは、狭い穴を這うように進んでいた。

 途中、何度か振り返って呪縛から解き放たれたトントバーニィが追ってこないかと思ったが、その心配は杞憂に終わった。


 そうして這い続けること数分、前方に出口と思われる灯りが見えて来たところで、ガルムは逃げ切れたという安心感からか、口から思わず愚痴が零れる。


「クソッ! ジユウキシガ、調停者の瞳ルーラーズアイノモチヌシダナンテ、キイテナイゾ!」


 自分の能力とは相性最悪といえるあの能力さえなければ、人間たちと懇意になったトントバーニィをヴォーパルラビットへと変え、今度こそあの裏切者のウサギたちを皆殺しにできるはずだったのに……


 ガルムは何度も「クソッ!」と汚い言葉を発しながら、自分の完璧な作戦を邪魔した人間たちの顔を思い浮かべる。


「アノ、ニンゲンドモ……ゼッタイニユルサナイゾ! アイツダケハ、トクニジユウキシハ、ワガキバデ、コナゴナニカミクダカネバ、キガスマナイ」

「ほう、そんな真似、許されると思っているのか?」

「――っ!?」


 突如として響いた声にガルムが反応するより早く、頭上の壁が崩れてきてガルムの首根っこを掴む。


 そのまま天井を突き破りながら無理矢理地上へと引っ張り出されたガルムの目に、あの自由騎士と一緒にいた狼人族ろうじんぞくの女、シドが映る。


「よう、会いたかったぜ。クソ犬!」

「ダ、ダレガ、イヌダ!」


 穴から引き摺り出されたことよりも、犬呼ばわりされたことに怒りながら、ガルムは身を捻って口を大きく開けると、自分を掴んでいる手に噛み付く。



 普通の魔物より上位種にあたるガルムは、体のサイズこそ小さいが動きは俊敏で、噛む力も並みの犬や狼をも凌駕し、単体で巨大なバイソンすらも狩ってみせる実力があった。

 流石にネコ科の大型動物よりは劣るが、それでも自分の実力に自信があったガルムは、がっちりと噛み付いたこの女の腕を、このまま噛み切ってやろうと思っていた。


 だが、


「どうした? 自慢の牙……通っていないぜ」

「――ッ!?」


 シドにそう言われてガルムは、噛み付いたと思った牙が硬質な何かに阻まれていることに気付き、慌てて口を離して相手の腕を蹴って束縛から逃れる。


 クルクルと空中で回転しながら距離を取り、加齢に着地したガルムは、一体どうして自分の牙が通らなかったのかを確かめようと、シドの腕を見る。


「ナッ、バカナ!?」


 そこでガルムは驚愕の事実に気付く。

 てっきり籠手か何かの防具を仕込んでいると思われたシドの腕には、これといった防具が見られなかったのだ。


「どうした? まさか自分の牙が通らなかった理由が、防具か何かを噛んだからだとでも思ったか?」


 まるでガルムの考えを見透かしたかのように、シドはニヤリと笑いながら自分の腕を見せる。

 そこにはガルムの牙が突き立てたと思われる小さな凹みこそあったが、血は疎か怪我の痕跡すらなかった。


「ハッ、驚くのはそれだけじゃないぜ」


 呆然とするガルムを前に、シドはニヤリと笑いながら振り上げた足を勢いよく下ろす。


「ヒッ!?」


 瞬間、体が浮くほどの地響きが発生し、ガルムは恐怖を覚えてその場から大きく飛び退く。

 全身に走る悪寒に怯えるガルムであったが、そんな彼に追い打ちをかけるようなさらなる恐怖が訪れる。



「はあああああああああああぁぁぁ……」


 シドの声に応えるように地響きが発生し、周囲の地面が次々に隆起したかと思うと、彼女の体に劇的な変化が訪れる。


 気合の雄叫びを上げるシドの髪留めが弾け飛び、長い髪が何かに操られるかのようにふわふわと漂い始めたかと思うと、彼女の全身の筋肉が覚醒したかのように次々とバンプアップし高と思うと全身を覆う体毛が次々と生え、体躯が倍近くに膨れ上がる。


 同時に見目麗しい容姿にも変化が現れ、犬歯が牙のように発達したかと思うと鼻が伸び、顔中を覆う毛が生え、まるで本物の狼さながらの顔付きになる。


「ソ、ソンナ、ソノチカラ…………マサカ!?」


 伝説の魔物、人狼ワーウルフさながらの変身を遂げたシドを見て、ガルムは彼女が何者であるかを理解する。


「オマエハ、ジュウジンオウノ……」

「ハッ、今頃気付いてもおせぇよ!」


 シドはズラリと並ぶ鋭い牙を見せつけるようにニヤリと笑う。


「これが、あたしだけが獣人王から受け継いだ王の力だ。ただ、あたしはこの力が嫌いだ。特にコーイチの前では絶対に使用しないと決めている」


 この姿を見た浩一がどんなリアクションをするかはわからないが、少なくとも好きな男に、こんな醜い姿を晒したいと思う女はいるまいとシドは思う。


「だが、お前は別だ。お前はあたしの大事な家族を傷付け、操り、挙句にコーイチを殺そうとした。しかも、形勢不利とみるやそそくさと逃げ出すときたもんだ。そんな卑劣な奴を生かしておくと思うか?」

「クッ……」


 獣人王を相手にするのはマズイ。そう思ったガルムは、後ろを振り返って一目散に逃げ出そうとする。


「ガルルルル……」


 だが、いつの間にか背後には自分より遥かに大きな巨大狼が立ち塞がっていた。


「ナイスだロキ、そのままそいつを抑えていろ」


 ロキを見て固まるガルムを前に、王の力で変身したシドは風のような速さで飛び出して丸太の様に太くなった腕を振りかぶる。


「これで、終わりだああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」

「ヒッ、ヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィ!!」


 怯えたように情けない声を上げるガルムに向かって、シドは容赦なく渾身の拳を振り下ろす。



 次の瞬間、爆音と共にこれまでより一際大きな地響きが起きたかと思うと、上空十メートル付近まで土砂が舞い上がった。

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