第498話 悲しいすれ違い
オルテアさんと別れた後、牧場の修復作業を終えた俺は、夕食の準備をリックさんに任せ、女性陣の帰りを母屋近くにある薪を切る用の切り株に腰かけて待っていた。
陽は随分と傾いて、空は茜色から夜を告げる紫から紺へと続く美しいグラデーションを描いている。
後一時間もしない内に完全に日が暮れて夜が訪れるのに、シドたちは疎か、ミーファたちもまだ帰って来てなかった。
「…………皆、遅いな」
「キュンキュ~ン……」
「はいはい、わかったよ」
首を巡らせて皆を探していると、俺の膝の上に顎を乗せているセントバーナードに似た大型の牧羊犬の「もっと撫でて」という甘えた声でせがまれたので、その要望に応えるべく腕を動かす。
「それにしても……」
俺は自分の周囲をぐるりと見渡しながら、じぶんのしでかしたことを少し後悔する。
「…………ばふぅ」
「ふひっ、ふひっ……」
「クンク~ン……」
俺の周りには、悦に入ったままだらしなく体を投げ出している牧羊犬の面々が転がっていた。
シドたちの帰りを待ち始めてから程なくして、仕事を終えた牧羊犬たちからパン君みたいに撫でてほしいとせがまれたので、彼等彼女たちから撫でて欲しい場所の希望を聞きながら撫で始めた結果、この死屍累々の惨状が生まれたのであった。
ただ、五匹目辺りを昇天させた辺りから、俺はこの状況が明らかに異質であることに気付いた。
いくら動物たちの言葉がわかり、撫でて欲しい箇所が的確にわかるとはいえ、流石に十分程度撫でられた程度で、これだけ多くの犬たちを昇天させられるはずがない。
確かにこれまでもやたらと動物たちから撫でてくれとせがまれたり、撫でてもらう権利を巡って喧嘩になりそうになったりしたことがあったが、それは単に自分の希望通りの場所を撫でてもらうことが特別に嬉しいからだと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。
この背景には、言うまでもなく犬に特に強く作用するアニマルテイムの恩恵があることは間違いないが、まさかその力の中に動物たちを快楽に導く作用なんてものがあるとは思いもしなかった。
「バフゥゥゥゥン……」
そうこうしている間に、また一匹昇天させてしまったのか、大型の牧羊犬がだらしなく舌を垂らしながら仰向けになって四肢を投げ出す。
「……フッ、全く、我ながら恐ろしい手を持ってしまったぜ」
これでこの牧場で飼われている牧羊犬の全てを昇天させた俺は、一仕事やり終えた職人のように、額の汗を拭いながらゆっくりと立ち上がって背筋を伸ばす。
この牧羊犬が全て女の子だったら、ハーレムルートのエンディングでも始まるんじゃないか? などとくだらないことを考えながら腰を回し、明日に疲れを残さないようにストレッチを続けていると、
「おっ……」
彼方から複数の人影と巨大な狼が見え、俺は一先ず安堵の溜息を吐く。
別に明確な門限を決めていたわけでもないし、何時までに帰る約束をしたわけでもない。
こうして帰って来てくれただけでも十分だと割り切り、ここは怒ったり癇癪を起こして波風を立てるような真似はせずに、おとなしく笑顔で迎え入れよう。
そう思いながら俺は帰ってきた皆を労うために、死屍累々の牧羊犬たちを掻き分けて駆け足で彼女たちの下へ向かった。
そうしてシドたちを出迎えた俺の目に飛び込んできたのは、長女の背中でぐったりとしているミーファと、手に包帯を巻いている姿が痛々しいニーナちゃんだった。
「ふ、二人共、どうしたんだ!? どうして二人が怪我を……ロキは……ロキは何をしていたんだ!?」
「コーイチ、落ち着け。あたしもまだ正確に状況を理解していないんだ」
慌てふためく俺に、シドが鬱陶しそうに顎でしゃくりながら睨んでくる。
「最初に言っておくが、ロキは何も悪くない。だから間違っても、ロキを責めるような真似はするなよ」
「わ、わかった。ゴメン、ロキ……少し冷静さを欠いていた」
「わふっ」
俺が謝罪すると、ロキは「気にしていない」と言いながらも無念そうに肩を落とす。
わざわざ俺が責めなくとも、ロキはロキでミーファたちに怪我させてしまったことを後悔しているようだ。
俺は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、改めてシドに問う。
「それで、一体何があったんだ?」
「畑にバンディットウルフの群れが現れたんだ。ついでにベアブローの野郎もな」
「なっ、魔物が畑に!?」
「ああ、だけどそっちはあたしとロキが問題なく片付けた。ただ、ミーファたちはトントバーニィにやられたらしい」
「トントバーニィって……あの?」
その問いかけに、シドは無言のまま肯定するようにゆっくり頷く。
「そんな……」
どうやら恐れていた最悪の事態が起きてしまったようだ。
詳しい状況はわからないが、きっとミーファたちはトントバーニィを見つけて不用意に近付いて、襲われてしまったのかもしれない。
オルテアさんが危惧していた通り、住んでいた森を追われたトントバーニィは、白い災厄と呼ばれるに相応しい存在のようだ。
だが、これはこれでよかったかもしれない。
怪我こそ負ったものの、幸いにもミーファたちの命に別状はないし、オルテアさんに次にトントバーニィが現れた時の対策は依頼済みだ。
俺はシドの背中にいるミーファを元気付けるために、殊更明るい声で話しかける。
「ミーファ、傷は大丈夫か?」
「……うん、まだちょっといたいけど、だいじょーぶ」
「そうか、それはよかった」
こういう時、ミーファがただの人より丈夫で頑丈な
「今日はちょっと怖い目に遭ったかもしれないけど、もう安心していいぞ」
「あんしん……ほんとう?」
「そうだよ。実はお兄ちゃん、トントバーニィが現れた時の対策をバッチリやっているんだ。だから、次に怖いウサギが現れても、返り討ちにしてやるからな」
「――っ!?」
その瞬間、ミーファが驚いたように目を見開き、わなわなと震え出す。
えっ、あれ? 思っていたリアクションと違うんですけど……、
なんて思っていると、
「…………ばか」
「えっ?」
「おにいちゃんの、ばかああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!」
いきなり俺の耳元で、ミーファが怒鳴り始める。
「ばか! ばか! おにいちゃんのおおばかもの!」
「えっ? ミ、ミーファ?」
「どうして? どうしてそんなひどいことするの!?」
「ひ、酷いことって、俺はミーファのためを想って……」
狼狽えながらもどうにか宥めようとする俺に、ミーファは感情に任せて手を振り上げる。
「きらい! きらい! おにいちゃんなんてだいっきらい! もう、どっかいってえええええええええええぇぇ!」
「ぐぼべらっ!?」
そうして振り下ろされたミーファの平手が俺の頬にクリーンヒットして、俺は碌に受け身を取ることもできずに後ろにバタン、と倒れ、そのまま意識を失った。
その一撃は、この世界にやって来てから受けた攻撃の中で最も効いたといっても過言ではなかった。
それだけミーファに「大嫌い」と言われたことによるダメージは大きかった。
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