第485話 将来が不安になる顔

 肩幅に足を開いて大きな木槌を振りかぶった俺は、地面に少しだけ刺さっている半径五センチぐらいの丸い杭目掛けて、渾身の力を籠めて木槌を振り下ろす。


 狙い違わず杭の頭頂部真ん中に木槌が当たると、コーン! と胸がスッとする甲高い音を聞こえ、杭が僅かに地面に埋まる。


 杭に打ち付けた反動で跳ね上がった木槌を最上段で止めた俺は、再び杭目掛けて木槌を振り下ろす。

 その度にコーン、と響く小気味いい音を聞く度に、俺は心の中でガッツポーズを決める。



 実は何気なく木槌を振り下ろしているように見えるが、こうして毎回狙った場所に木槌を振り下ろすのは、思った以上に難しかったりする。


 それに、木槌が食いの真ん中にクリーンヒットしないとコーン、という音が出ずにゴスッ、という鈍い音がして俺の手が痺れてしまったり、木槌に傷が付いたり、最悪の場合は杭が曲がってこれまでの努力が一瞬にして水泡に帰す場合がある。


 つまり何が言いたいのかというと……今の俺、凄くね? ということだ。


 実際、この域に達するまでに手が痺れた回数と、一からやり直しになった杭の本数を数えることはしたくない。

 だが、幾度となく失敗を繰り返した結果、こうして本職顔負け……は少し言い過ぎかもしれないが、まともに杭を打ち付けられるほどには成長した。



 そうして何度か杭に向かって木槌をクリーンヒットさせていると、


「はい、そこで大丈夫です」


 予定の位置まで杭が埋まったのか、リックさんが手を上げて完了報告してくれる。


「ありがとうございます。後は僕がやりますから、コーイチさんは座って休んでいて下さい」

「はい、ありがとうございます」


 リックさんの提案に従い、俺は木槌をリックさんに渡すと、近くの木陰へと移動して腰を落として一息吐く。


「アン! アン!」


 俺が腰を下ろすと同時に、ポメラニアンによく似た子犬のパン君が嬉しそうに駆け寄って来て「頭を撫でて」と尻尾を激しく振りながら甘えてくる。


「ハハハ……わかったわかった」


 俺はパン君を抱き上げて膝の上に乗せると、パン君の顎の下をわしゃわしゃと慣れた手つきで撫でて行く。


「キュ……キュ~ン…………」


 パン君が撫でて欲しいところを撫でてやると、子犬はすぐさま双眸を細めて悦に浸ったかのような表情になる。


 普段から人に甘えることに慣れているのか、お腹を丸出しにするパン君の無防備過ぎる姿に思わず苦笑してしまう。



 だが、


「キュフ……キュッフ~ンンンンン……」


 気のせいかもしれないが、何だか前に撫でてやった時には上げなかったような嬌声を上げるようになっている。


「ハフ……ハフ…………フッ、フウウウウゥゥゥン!」

「…………」


 何だろう。ただ、子犬を撫でてやっているだけなのに、何だかとてもイケナイことをしているような気になってくる。


 そう……まるで何者にも染まっていない純粋無垢な子供に、犯罪の手ほどきをするような、そんな背徳的な行為をしているような気になってくる。


「キュフ………………ハフ、ハフ…………キュフフ…………」


 いや、実はもう既に手遅れなような気もするのは考え過ぎだろうか?


「…………」


 一体誰が無垢な子犬にこんな調教を施したのかはわからないが、これ以上はこの子犬の将来について関がるのはやめて、俺が打ち付けた杭に横板を括りつけているリックさんを見やる。



 牧場でお世話になって早一週間、復旧作業をはじめて五日経ったが、皆の頑張りもあってあの横板を付け終えた時点で、牧場内の片付けは一段落つく。


 流石に岩によって開いてしまった穴に緑が戻るのはまだ先になるが、この後はリックさんたち家族だけでも、どうにか元の形に戻すことはできるだろう。



 だが、まだルストの街に続く山道の復旧には時間がかかるようだし、全ての問題が片付いたわけではない。


 今、最も気になることといえば、昨日の夕方に納屋で見つけた謎の生き物の白い毛だ。


 もしかしたらトントバーニィのものでは? と盛り上がったが、実際にこの目で目撃したわけではないので、まだ安心はできない。


 もし、あの毛皮の持ち主がトントバーニィではなく、ヴォーパルラビットだとしたら……リックさん一家に訪れるかもしれない未来は想像もしたくもないし、それだけは絶対に避けなければならない。


 どうにかルストへの山道が復旧してここを発つ前に、あの白い毛の謎は解明したいものだ。


 そんなこと思いながら、悦に入った表情が最早キモいパン君をあやしていると、


「精が出ますね」


 誰かに声をかけられ、俺は声のした方に顔を向ける。


 そこには大きな荷台を引いた壮年の男性が、にこやかな笑顔を浮かべて立っていた。

 胸元まで伸びる立派な顎ひげを蓄えた男性は、頭に被った帽子を外すと、思わず聞き惚れるほどのバスボイスで挨拶してくる


「どうも、こんにちは」

「あっ、はい、こんにちは……」


 俺は挨拶を返しながら、男性のある部分に思わず目が向く。


「……ん? どうしました。私の顔に何か付いていますか?」

「あっ、いえ……何でもないです」

「そうですか……」


 俺の態度に特に気分を害した様子も見せず、男性は穏やかな声で問いかけてくる。


「もしかして、私の頭の耳が気になりますかな?」


 そう言って男性は、頭頂部にあるシドと同じ形の三角形の耳を、ピクピクと動かした。

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