第448話 野生動物たち

 俺はロキを連れて母屋の外へと出ると、あるものを見るために辺り一帯の草原が一望できる丘の上を目指して歩いていた。


「ふぅ……ふぅ……」


 思ったより急勾配で、草の生い茂る斜面に四苦八苦しながら、俺は一歩ずつゆっくりと歩を進める。


「わんわん、わふぅ?」


 すると、ロキが横に並んで「背中に乗る?」と優しく声をかけてくれるが、俺はゆっくりとかぶりを振る。


「気持ちは嬉しいけど、これも体を鍛えるためだからさ。頑張って一人で登るよ」

「わん、わん!」

「えっ? じゃあ、ちょっと走って来ていいかって? それは構わないけど、あんまり遠くに行かないでおくれよ。流石に俺一人で魔物に接敵したら勝てる自信がないからさ」

「わん!」


 ロキは「わかった」と元気よく吠えると、跳ねるように丘を駆け上っていく。


「…………凄っ」


 重力を感じさせないロキの軽やかな身のこなしに唖然としながらも、俺は一歩一歩、踏みしめるように丘を登っていく。


「はぁ……はぁ……はぁ…………」


 基礎体力は大分ついてきたと思うが、やはりこういう高低差のついた場所の昇り降りは使う筋肉が違うのか、平地を歩く時より遥かに疲れる。

 それでも決して歩みを止めることなく、俺は予定に遅れることなく丘を登り切る。


「わん!」


 丘を登り切ると同時に、ロキが「お疲れ様」と駆け寄って来て、労うように顔を舐めてくる。


「ハハハッ、コラ、くすぐったいって」


 ロキの激しい労いにそのまま押し倒された俺は、尚も甘えてくるロキをどうにか押しやりながら、身を起こして座る。


「おっ……」


 俺が起きると同時に、暗闇が支配する地平線の彼方に一条の光が灯り、黒一色だった世界に命が灯るように赤く染まりはじめる。


 そうして地平線から顔を出すのは、朝の訪れを告げる陽の光だ。


 果たしてあれが、俺が地球で見ていた太陽と同じなのか、はたまた似た性質を持った全く違う星なのかはわからない。

 だが、こうして陽の光を浴びると、体中の細胞が目が覚めるかのように血の巡りがよくなり、全身に力をみなぎっていくのを感じるのは太陽と同じだった。


 まだ少し肌寒いが、こんな清々しい気持ちになれるなら、たまには早起きするのも悪くないと思った。


「…………気持ちいいな」

「わん!」


 思わず漏れた俺の呟きに、ロキが「そうだね!」と言いながら俺にスリスリと身を寄せてくる。

 どうやら俺が寒さに震えるのを見て、温めてくれているようだ。


 俺はそんなロキの優しさに双眸を細めながら、もふもふの毛皮を一度ギュッ、と抱き締めて温かさを堪能すると、名残惜しいけどゆっくりと身を離して立ち上がる。


「ロキ、ありがとうな……でも、そろそろ皆起きるだろうから、行こうか?」

「わんわん!」


 すぐさま立ち上がって「何処に行く?」と尋ねてくるロキに、俺はアラウンドサーチで反応があった場所を指差し、安全を確認する旨を伝えて歩き出した。




 朝の散歩がてらの調査に出た俺たちが最初に訪れたのは、初めてトニーを見つけた窪地だった。


 窪地全体を見下ろせる場所に辿り着くと、一昨日に豪雨にも負けずにトニーがひたすら草を食んでいた場所に、いくつかの影が見えた。


「あれは……鹿かな?」


 鹿というには些か頭の角が短く、体躯も小さいような気もするが、赤土を思わせる色といい、四足歩行の引き締まったフォルムといい、鹿に非常に似た動物が四匹、美味しそうに草を食んでいる姿が見て取れた。

 四匹の鹿っぽい動物は周辺の草には目もくれず、一心不乱に一か所に固まって草を食んでいる。


 ……何だろう。この前のトニーもそうだが、あそこに生えている草は、草食動物にとって特別美味い草でも生えているのだろうか?


 流石にあの四匹に混じって草の味見をしてみるつもりはないが、一つ言えることはあれはヴォーパルラビットではないということだ。


「……次に行こうか?」

「わふぅ」


 これ以上近付いたら、鹿たちがロキに気付いて驚いて逃げてしまいそうなので、彼等の食事を邪魔しないように、俺たちはそっと身を翻して次の目的地へと向かった。



 次に向かった場所は大雨の影響で増水した近くの小川で、そこにはバイソンのような立派な角を持つ巨大な牛たちが、群れを成して喉を潤していた。


 他にも真っ白な羽を持つ水鳥や、イタチのような小さな動物たちの姿が見て取れたが、互いに干渉し合わない場所に陣取っている。

 どうやらここにはヴォーパルラビットは疎か、彼等を脅かすような危険な動物や、魔物はいないようだ。


 野生動物たちの平和な日常の一幕に、ほっこりと頬を緩ませていると、


「グルルル……」


 隣で伏せているロキが「美味しそう……」と言いながら口の端からダラダラと涎を垂らし、今にも飛び出しそうになっていた。


 獲物を前に、肉食獣が持つ狩りの本能が現れているのかもしれないが、流石にこの長閑な雰囲気をぶち壊すような真似はしたくない。


「ロキ……後でたらふくご飯を食べさせてやるから、ここは我慢してくれ……な?」

「キュウゥゥン…………わふぅ」

「うん、ありがとうな。偉いぞ、ロキ」


 渋々ながらも頷いてくれたロキを褒めるように、わしゃわしゃと思いっきり撫でまわしてやった後、俺は彼女の気が変わらぬうちに次の目的地に向けて移動することにした。




 次にやって来たのは、リックさんたちが野菜を育てている畑から少しあるいた場所にある針葉樹が生い茂る森の中だ。


 これまで回った二箇所から、この辺りは数多くの野生動物が生息していることがわかったので、ここも何かしらの野生動物がいると思われた。

 だが、


「グルルルル……」


 森の中に足を踏み入れたところで、何かに気付いたロキが「気を付けて」と言いながら俺の前に出て威嚇するように唸り声を上げる。


「ロキ、何かあったのか?」

「グルル……わふっ!」

「えっ……血の匂いがするって」


 鋭く発せられた警告するような鳴き声に、俺は思わず腰のナイフに手をかけながら周囲を警戒する。

 だが、目に見える範囲には、怪しい影や何かが潜んでいそうな遮蔽物は見当たらない。


「ロキ、悪いけど俺のことを守ってくれ」


 俺はそう短く発すると、目を閉じてアラウンドサーチを発動させる。

 そうして脳内に広がる索敵の波に集中するが、結構な範囲を索敵しても俺たち以外の反応は現れない。


 これでわかることは、血を流した何かは絶命していることと、襲った何かは既にどこか別の場所に行ってしまったと思われることだ。

 完全に安全だと言い切れる状況ではないが、このまま何もせずに帰るわけにもいかない。


 俺はゆっくりと目を開けると、すぐ隣に寄り添ってくれているロキに話しかける。


「……ロキ、血の匂いがしたという場所に連れて行ってくれるかい?」

「わん!」


 ロキは「わかった」と短く答えると、鼻をヒクヒクと動かしながら俺を戦闘するように森の中へと入って行った。

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