第444話 生まれたての小鹿のように
翌日、牧場の復旧作業はソラたちに任せ、俺とシドは土砂崩れが起きたという場所を目指して移動していた。
「うひいいいぃぃ、怖い……怖いよおおおお!」
俺はシドの腰にしっかりとしがみつきながら、情けない声を上げる。
「走る馬の上が、こんなにも怖いなんて思わなかった」
「ハハハッ、何だ。コーイチの世界では馬に乗る習慣はないのか?」
「ないよ……乗馬をする人はいるけど、俺は少なくとも今回が初めて……うひいいいぃぃ!」
障害物を避けたのか、大きく跳躍する馬の上で俺は泣き叫びながらシドの腰にしがみつく。
今乗っている馬は、俺たちの馬車を引いてくれている二頭の馬ではなく、リックさんの牧場で飼っている馬を借りたものだ。
いつもの馬で鳴くリックさんから牧場の馬を借りた理由は、俺たちの二頭の馬は馬車を引くために調教されているため、あまり人を乗せて長距離を移動するのが得意でないから、ということらしい。
リックさんが所有する馬は普段から人を乗せているので、こうして二人乗りしても全く問題ないということだが……ハッキリ言って俺は乗馬というものを舐めていた。
馬の背に乗ると、見える景色は普段と比べものにならないほど高く、風を切って走る速度も車と遜色ないのでは? と思うほど速い。
一応、人を乗せるための鞍を装備してはいるが、何だかグラグラしてお尻が何度も宙に浮くし、少しでも重心が横にズレたら、そのまま馬上から落ちて大怪我をしてしまいそうだった。
乗馬のコツは、足で馬の胴を挟み込むように、と言われたが、止まっている時ならいざ知らず、こうして走っている最中はそんなことを考える余裕はない。
俺ができることといえば、こうして恥も外聞も捨ててシドの腰にしがみつき、この地獄が一刻も早く終わるのを祈るだけだった。
「シ、シド……ちょっと待て!」
風を切る感覚に恐怖すら感じない俺は、シドの背中越しに見えた景色に、思わず顔を青くさせる。
五十メートル先に、嵐で倒れたのか、巨大な倒木が道を塞いでいるのが見えたのだ。
「ま、まさかとは思うけど、あの倒木を飛び越えたりしないよね?」
「おいおい、何言ってんだ」
「ですよね……」
あの先がどうなっているかもわからないのに、倒木を飛び越えるなんて危険な真似するわけないよな。
そう思っていたが、
「回り道なんてめんどくさいこと、するわけないだろ」
「ええっ!?」
「ハハッ、しっかり掴まってろよ。でないと舌を噛んじまうぞ」
そう言って笑うシドは、馬に容赦なく鞭を入れる。
そうすると、当然ながら馬は「心得た」と張り切って速度を上げるわけで、
「うひいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃ!」
みるみる迫る倒木を前に、俺の実に情けない悲鳴を上げるだけで精一杯だった。
その後、勇猛果敢なシドの采配と、それに同調した馬による常軌を逸した過激な乗馬は、実に二時間にも及んだ。
目的地付近である山道の入口付近でようやく馬の足が止まると、俺は崩れるように馬から降りる。
「すべっ!?」
……というより、馬から落ちた。
だが、これでようやく一息つくことができる。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った」
全身を強かに打ったたため、あちこちが痛くてしょうがないが、地に足が付いているという感覚は何事にも代えがたいと思った。
さて、後は立つだけなんだけど……、
「フン……」
どうにか立ち上がろうと四肢に力を籠めようとするが、馬上でずっと全身の筋肉を酷使してきた所為で体中の筋肉に乳酸が溜まっているのか、思うように力が入らず、まるで産まれたての小鹿のように四つん這いの姿勢でプルプルと震えるだけで、立ち上がることすらできない。
「……コーイチ、何をしているんだ?」
プルプルと震える俺を見て、颯爽と馬から降りたシドが呆れたように尋ねてくる。
「もしかして立てないのか?」
「もしかしても何も、その通りだよ……」
シドにカッコ悪いところを見せたくないと思うが、どうにも体に上手く力が入らない。
現状維持が精一杯で碌に顔すら上げられない俺は、盛大に呆れているであろうシドに向かって自棄になって叫ぶ。
「どうしてかわからないけど、全然上手く立てないんだよ……笑うなら笑えよ」
「バカ……笑うわけないだろ」
シドは優し気に話すと、俺に手を差し伸べて肩を貸して立たせてくれる。
「乗馬は普段使わない筋肉ばかり使うからな。初めてなら、立てなくなってもおかしくはないさ」
「……悪い」
「だから気にするなって、辛いときは相棒が支える……そういう約束だろ?」
「そう……だったな」
もう何度目の確認になるかわからないが、
俺は花のようなシドの香りにドキドキしながら、意地を張るのをやめて彼女に体を預ける。
「……じゃあ、悪いけど暫く肩を貸してもらっていいかな?」
「ああ、もしつらいならお姫様みたいに抱っこしてやってもいいぞ」
「……それは遠慮しておきます」
ニシシと白い歯を見せて笑うシドに、俺は苦笑しながらかぶりを振る。
どちらかといえば、それは俺がシドにしてあげたいことだからだ。
いつもならここでシドをからかうために、キザな台詞の一つでも言いたいところだが、流石に今はそれだけの余裕がない。
もし、シドをからかった時のリアクションで彼女が倒れてしまったら、今の俺では冗談では済まない怪我を負ってしまうかもしれないからだ。
そして何より、これから土砂崩れの現場を見た後、再び同じ道を辿って牧場に戻ることを考えると、今から気分が鬱になってくる。
「…………」
牧場に戻ったら、リックさんにお願いして乗馬の仕方を教わろうと思いながら、俺はシドの力を借りてゆっくりと山道を登り始めた。
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