第445話 崩落現場

 普段から体を鍛えている効果があったのか、手足の痺れは程なくして治まり、シドの肩を借りなくてもどうにか山道を登れるようになった。


「おいおい、本当に大丈夫かよ。まだフラフラしてるじゃないか」


 ゆっくりとした足取りで歩く俺に、シドがオロオロしながら手を出したり、引っ込めたりを繰り返す。


「お姫様抱っこするなんて言って悪かったから……なあ、そんな無理をしないであたしに支えさせてくれ、なっ?」

「いやいや、別にそれを気にしているわけじゃないよ」


 まるで過保護な母親のような態度のシドに、俺は苦笑しながら一人で歩く理由を話す。


「これが下水道で、死体漁りスカベンジャーとしての仕事の最中であれば、間違いなく手を借りるだろうけど、今日はただの様子見だからね」


 そう言いながら俺は、自分の太ももをパンと叩く。


「今日まで結構鍛えてきたつもりだけど、まだまだこんなにも鍛え足りない箇所があるとわかったからね。せっかくだから、これもトレーニングの一環と思って、可能な限り負荷をかけていきたいんだ」

「……まあ、コーイチがそう言うのなら」


 一応の納得はしてくれたのか、シドは俺の方をチラチラと見ながらも見守るように離れる。

 だが、まだ不安なのか、シドはハラハラした表情で俺のすぐ後ろに陣取る。


 些か反応が過剰過ぎないかと思うだろうが、今置かれている状況と、俺の歩き方を見れば、シドの反応も納得するかもしれない。


 俺たちは土砂崩れが起きた現場目指して山道を登っているのだが、右側は切り立った岩の壁、左側は一歩でも足を踏み外せば、奈落の底に落ちていくような崖になっている。

 道幅は馬車が通れるぐらい広いので落ちる心配はないが、雨でぬかるんだ地面は、まるで粘土のように重く、注意深く足を高く上げなければ、足を取られて転びかねない。


 だから一歩一歩、足取りを確かめるようにゆっくりと進んでいるのだが、シドから見ればかなり危うく見えるのだろう。

 だからシドを安心させるためにもここは落ち着いて、確実に前へ進もうと思う。


 そう思っていたのだが、


「おわっ!?」


 ぬかるんでいると思っていた地面の一部が乾いて、突起物のようになっている個所に足を引っかけてしまい、俺は危うく前のめりに倒れそうになる。


「――っ、危ない!」

「ぐえっ!?」


 そのまま倒れるかと思ったが、後ろから手を伸ばしてきたシドが服の襟首を掴んで転ぶのを防いでくれるが、代わりに首が絞まって俺は潰されたカエルのような声を上げる。


「シ、シド……苦しい」

「あっ、悪い……」


 慌ててタップすると、シドはすぐさま手を離して解放してくれ、俺をちゃんと立たせてくれる。

 ついでに正面に回ったシドは、俺の乱れた着衣を直しながら真剣な表情で話してくる。


「コーイチ……お前、やっぱりあたしの肩に掴まれ」

「えっ、でも……」

「でもじゃない」


 俺の言い訳をピシャリと封じると、シドはその理由を滔々と話す。


「あたしはな、お前に転ばれるとあたしが困るんだよ」

「ど、どうして?」

「理由は簡単だ。ここで転ぶと服がめちゃくちゃ汚れるし、ここの土、何だか臭うんだよ。そしたら戻る時にあたしの服も汚れるし、馬も汚れちまうじゃないか」

「あっ、はい……」


 何だ、そんなことか……と反射的に想ってしまったが、その反応は明らかに間違いだった。


「コーイチ、お前……今、何だそんなことか、と思ったろ?」


 またしても顔に出てしまったのか、目を三白眼にさせたシドは、俺を担ぐように肩を貸すと、転んで汚れることがいかに不快なことかを語り続けた。




 その後、シドに説教されて全面降伏した俺は、彼女に抱えられるようにして山道を進み続けた。

 そうしてゆっくりと山道を左右に折り返しながら歩くこと一時間、カーブ先から何やら人の威勢のいい声が聞こえてきた。


「……着いたのかな?」

「そうみたいだな」


 俺とシドは顔を見合わせて頷き合うと、声のする方へ向けて歩き出す。


 そうしてカーブを曲がった先、いよいよ土砂崩れが起きた現場に遭遇する。


「うわぁ……」


 崩落現場は思った以上に悲惨なことになっていた。


 右側の崖が大きく崩れて本来あったであろう道は完全に塞がれ、さらに降り積もった土砂の上にいくつもの大岩があった。

 下では何人もの屈強な男たちが汗だくになって土砂を取り除く作業をしているが、下手をすれば土砂の上に乗った大岩が転がって来そうで、非常に危うい中、作業をしているのが伺えた。


「これは……思った以上だな」

「そうだな。この復旧には時間がかかるだろうな」


 このまま引き返しても良かったが、せっかくここまで来たのだからと、俺たちは現場の責任者に話を聞くために近付くことにする。


「お~い、そこ! バランス考えないと崩落するぞ!」


 土砂から少し離れた場所で大きな声で指示を出している頭に布を巻いている偉丈夫の姿を見つけて近付くと、


「そう! そのままゆっくり下ろせ……って、何だ。兄ちゃんたち、悪いがここは通れないぞ」


 俺たちの姿に気付いた偉丈夫が、背後の土砂を指差しながら話す。


「聞くまでもないと思うが、あの上を通るなんて言わないよな?」

「いやいや、それはないですよ……ただ、俺たちはどれくらいでこの道が通れるようになるかを聞きに来たんです」

「う~ん、そいつは難しい質問だな」


 偉丈夫は作業する仲間たちを見据えながら、気難しい顔をして首を捻る。


「崩落がここだけならともかく、他の場所にも同じようなことが起きてたら、その分時間がかかるからな。今のところは数週間は見てくれとしか言えん」

「そう……ですか」


 ここの現場を見るだけでもかなり大変だと思うが、それでも数週間で元に戻すと言っているのだから、素人が余計な口出しをするべきではないだろう。


 この道に関しては彼等に任せるしかないだろうが、俺はダメもとで偉丈夫に質問してみる。


「……ちなみにですが、ルストの街に行きたいのですが、ここ以外に別のルートはあったりしますか?」

「ルストだぁ? そうだな……あるにはあるぜ」


 そう言いながら偉丈夫は、崖の下を見るように顎でしゃくる。


「山道を通らずに、下の森を通り抜けるルートがあるが、そっちは勧められんな」

「どうしてですか?」

「どうしてって、そりゃあ、森の中は魔物がうようよいるし、何より河越えをしなければならん」

「河……ですか?」

「ああ、森の中にカビール河っていう大きな河が流れているんだがな。そこを超えるのは余程泳ぎが達者な者でないと厳しいし、何よりあの嵐でかなり増水しているから……」

「それは無理ですね」


 偉丈夫の言葉に、俺はあっさりと下のルートを使うことを諦める。


 そんな大きな河川が通っているなら馬車に乗って超えるのはかなり難しいし、ソラやミーファを連れてとなると、危険極まりないだろう。


「お忙しいところ、お話しいただきありがとうございました」


 この山道が復帰するまでさ気には進めないことがわかった俺は、偉丈夫に向かって深々と頭を下げる。


「お仕事、大変だと思いますが頑張ってください」

「おう、皆の期待に応えるのが俺たちの仕事だ。道が復帰したら周囲の街に教えて回るから、それまでおとなしく待ってな」

「はい、お願いします」


 俺は再び頭を下げて後を託すと、今度こそ背を向けてシドと一緒に歩き出す。


 自然災害が相手ではどうにもならないので、おとなしく道が復旧するのを、リックさんの牧場の復旧作業を手伝いながら待つとしよう。

 そう思っていると、


「ああ、そういやお二人さん。戻るなら一つ、伝言を頼まれてくれないか?」


 そう言って偉丈夫は、俺たちにある情報を伝えてきた。

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