第二部 第一章 嵐の後に

第426話 静かで穏やかな朝

 湖面に垂らした糸の先から、手の平にピクリという僅かな手応えを感じ、俺は勢いよく手を引く。


「おっ」


 水飛沫を上げながら飛び出した糸の先に、十センチほどの魚が付いているのを見て、俺の顔に喜色が浮かぶ。


 リールなんて便利な道具はないので、手動で糸を手繰り寄せると、慎重に魚を針から外して、湖面に浮かべておいた藁を編んで作ったふごへと入れる。


「よし、こんなもんだろう」


 畚の中を覗き込むと、既に十匹以上の魚影が見て取れる。

 魚の種類には詳しくないが、昨晩食べた魚と同じだから、問題なく食べられるだろう。


 十分な釣果を得た俺は深く頷くと、畚を手に立ち上がってもくもくと煙を上げている迷いの森の聖域内に設営したキャンプ地へと戻る。



「わんっ!」


 小さくなった焚き火以外に光源のない真っ暗闇のキャンプ地に戻ると、馬車の見張りを買って出てくれていたロキがやって来て「ご苦労様」と労いの言葉をかけてくれながら鼻を擦り付けてくる。


「ハハッ、ロキ。くすぐったいって。それに、静かにしないと皆が起きちゃうから」

「……わふっ」


 顎を撫でながら注意を促すと、ロキは耳をパタリと閉じて、そっと馬車の方を見やり、誰も起きてこないことを確認してホッ、と胸を撫で下ろす。

 そんな気遣いもできるロキの様子に感心しながら、俺は彼女の耳元で囁く。


「……皆が起きて来る前に、朝食の準備をするからロキは薪を拾ってきてくれるかい?」

「…………わふっ」


 俺の要請に、賢い巨大狼は「任せろ」と小さく鳴くと、尻尾をふりふりと振りながら悠然とした足取りで薪広いへと出かけていった。




「さて、それじゃあとっとと準備しますか」


 俺は誰となく独り言を言いながら、石で組んだ竈に残った薪を入れながら炎を大きくする。


 そうして視界を確保した俺は、畚の中から黄色く輝く魚を取り出すと、まな板代わりの平たい石の上に置いて、腰から引き抜いたナイフの柄で頭を叩いて気絶させる。


 次に手に塩を一つまみ取って魚の表面を擦ってぬめりを取って軽く水で洗うと、腹を割いて内臓を取り出し、喉に切れ込みを入れてエラを取り出す。


 背骨に溜まった血合いを取り除きながらもう一度洗った後、口から糸を縫う要領で串を刺し、全体に塩を振っていく。


 最後に尻尾に少し多めに塩を付けたら、これで串焼きの準備は完了だ。


「…………よしっ」


 問題なく一匹目を捌き終えた俺は、竈に背中を向ける形で置き、二匹目の調理へと取りかかる。

 二匹目は青い模様の入った一回り小さな魚だが、これも同じように捌いて串を刺し、焼いていく。


 う~ん、まるでベテランキャンパーのような手際の良さだな。


 実際は師匠であるオヴェルク将軍の厳しい指導による賜物だが、ちょっとぐらいはいい気になっても良いだろう?


「…………」


 言いたいことはわかってる。普段から人に起こされてばかりの俺が、こうして誰よりも早く起きて、朝食の準備をしていることに違和感を覚えているのだろう?


 その理由は実に簡単だ。こうして外で野宿をする時には、安全を確保するために俺とシドのどちらかが寝ずの番に立つことになっており、初日である今日は俺が担当だというだけだ。


 本当なら一人で寂しい夜を過ごすことを覚悟していたのだが、クラベリナさんの粋な計らいによってロキも同行してくれることになったのは大きかった。

 流石にロキを休ませないわけにはいかないので、極力眠ってもらうようにしたのだが、彼女が隣にいてくれるだけで安心感が段違いだった。


 その後、日の出の一時間前きっかりで起きたロキが見張りを代わってくれることになったので、俺は朝食確保のために聖域内にある湖へと魚釣りへと出かけたのだった。




 そうして捕まえた魚を全てに串を通し、竃へと並べ終えた頃には、最初の一匹の表面がパリパリになり、美味しそうな匂いを辺りに漂わせる。


 その間に鍋にお湯を二つ沸かしておいた俺は、その内の一つに焼き上がった魚と適当に切った野菜と香草を束ねたものを放り込み、塩とコショウで味を調えるだけのお手軽スープを作る。


「……うん、美味い」


 試しに一口味見をしてみたが、魚の出汁がいい味をだしているようで、とても塩コショウだけで味付けしたとは思えないスープの出来に、俺は大きく頷く。


 後はここにパンかエモといった主食があると好ましいのだが、生憎と俺の料理スキルではこれ等のものは用意できないので、今朝は主食のなしの朝食で我慢してもらおう。


「うみゅぅ……ごはん?」


 すると、香ばしい匂いに釣られたのか、馬車の名から寝癖でボサボサ頭のミーファが顔を覗かせる。

 そのまま目を擦りながら俺の下へとやって来たミーファは、一家団欒時の定位置である俺の膝の中に納まると、そのまま俺の胸にもたれかかってくる。


「……おにーちゃん、おはよ」

「おはよう、ミーファ」


 俺はミーファのボサボサの寝癖を手で直してやりながら、初めてのキャンプの感想を尋ねる。


「どうだい、よく眠れたかい?」

「う~ん、シドおねーちゃんがギリギリうるさかった」

「ギリギリ?」

「うん、なんかおくちからへんなおとしてた」

「……ああ、歯ぎしりかな?」


 まあ、色々と苦労が絶えないシドのことだから、夜もぐっすりというわけにはいかないのだろう。

 シドの負担を少しでも軽くしてあげたいと思うが、眠っている最中の行動まではどうにもできないので、せめて普段から心労が減るように努めようと思う。


 俺はミーファの頭を優しく撫でながら、自分の密かな決意を話す。


「ミーファ……お兄ちゃん、ミーファがぐっすり眠れるように頑張るからな?」

「んん? う~ん、じゃあ、きょうはいっしょにねてくれる?」

「勿論だ」

「そっか、んふ~」


 何だか話が少し噛み合っていない様な気もするが、お姫様がご満悦そうに笑っているのなら、それはそれでよしとすることにしよう。



「わふっ」


 その後、もっと撫でてとせがむミーファの頭を撫でていると、口に薪を咥えたロキが戻ってくる。


「ありがとう。ロキ、助かるよ」


 俺はロキを労うように頭をわしゃわしゃと撫でながら、よく乾いた木の枝を焚き火へと放り込んで火を調節する。


 さて、そろそろか。


 俺は朝食の準備が一通り済んだことを確認すると、そろそろ目が覚めて来たであろうミーファへと仕事を頼むことにする。


「それじゃあミーファ、皆でご飯を食べるから、シドたちを起こしてロキのご飯の用意をしてくれるかい?」

「わかった。ロキ、いこ」

「わん!」


 俺の声に、ミーファたちは勢い置く立ち上がって馬車の方へと駆けていく。


 それを見て、俺はリムニ様からもらった銀製のポットを取り出し、茶葉を匙で掬って入れると、スープを作ったとは別の鍋で沸かしておいたお湯を使って全員のお茶を淹れていく。


「あふっ……コーイチさん、おはようございます」


 茶葉を蒸らし、中に入れた葉が開くのを待っていると、欠伸を噛み締めたソラが起きて来て挨拶してくる。


「おはよう、ソラ。よく眠れたかい?」

「はい。コーイチさんのお蔭でぐっすり……あっ、お茶なら私が淹れますから、コーイチさんは休んでいて下さい」

「そう? じゃあ、お願いしようかな」


 紅茶の事なら俺よりずっとソラの方が詳しいので、ここは美味しいお茶にありつくためにも、彼女に任せることにする。

 ソラは全員のカップを用意すると、慣れた手つきでお湯を注いでカップを温める。


「ふあぁぁ……眠っ」


 そうしてお茶のいい香りが漂い始めると同時に、ようやくシドが起きて来て、俺の隣にどかっ、と腰を下ろす。

 はしたなく胡坐をかいて座ったシドは、再び大きな欠伸をすると、溢れてきた涙を拭いながら話しかけてくる。


「くぁ……おはよう、コーイチ」

「うん、おはよう。シドがすんなり起きて来ないなんて珍しいね」

「ああ、昨日は何だか寝つきが悪くてな……環境が変わったからかな?」

「へぇ……」


 珍しい。シドでもそんなことあるんだな。


「おい、コーイチ……」


 そんなことを思っていると、シドが三白眼で俺のことを睨んでいることに気付く。


「お前のことだから、ガサツなあたしでもそんな繊細なことあるんだな? とか思っているだろう?」

「い、いや、そんなこと……ナイデスヨ?」


 しまった……またいつものように顔に出てしまっていたのか。


 俺は思っていることがつい顔に出てしまうという自分の悪癖に辟易しながら、シドに言い訳の言葉を並べていった。

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