第425話 旅立ちの時

 ――翌日、いよいよグランドの街を旅立つ日がやって来た。


 昨日は見事な茜色に染まる空が見えていたので天気の心配はしていなかったが、今日も雲一つない見事な蒼穹が広がっていた。


「よし、どうどう……」


 リムニ様からいただいた立派な幌が張られた馬車に乗り、この街に始めてやって来た城壁から外に出た俺は、そこで馬を止めて御者台から降りる。


「お前たち……今日から頼むぞ」


 これからお世話になる馬車を引く二頭の馬を順番に撫で、それぞれに餌と水を与えた俺は、背後を振り返って街の外の広大な草原と、土を踏み固めて造られた何処までも続いているように見える道を見据える。



 初めてこの世界に来た時は、RPGの世界に迷い込んだような光景に感動し、脳内で壮大なBGMを流しながら能天気にウキウキとしたものだが、今は幾分か落ち着いて冷静に周囲の状況を見られるようになった。


 試しに目を閉じてアラウンドサーチを発動させると、広大な草原の中にいくつかの赤い光点が見える。

 あそこには野生の動物か、はたまた魔物が生息しており、無警戒で迂闊に近付こうものなら、不意を打たれてそのまま死ぬ可能性があることも重々承知している。


 日本とは違ってこの世界では死はとても身近で、常に危険と隣り合わせと言っても過言ではないが、それでも俺は未だにこの世界に来た時と変わらない高揚感を持っている。


 それはエルフやドワーフといった、ファンタジーお馴染みの種族に会えるかもしれないということもあるが、何よりこの道の先には、まだ見たことも聞いたこともない世界が広がっており、今からそこへ冒険に行くからだ。


 そう、冒険だ……子供の頃、ファンタジー映画やゲームをして憧れを抱いたことがある人は多いだろうが、実際に冒険家となって世界中を巡る人は殆どいない。

 たまに本物の冒険家たちの活躍をテレビで見ることがあっても、そこに関心を覚えることはあっても心揺さぶられることはない。

 それはきっと、情報社会で家にいてもありとあらゆるものが見えてしまうので、殆どの事象を間接的にとはいえ、既に知ってしまっているからだ。


 だが、俺がこれから向かう先は、決してテレビやネットでは見ることも知ることもできない、何が起きるのか全く予想もできない本物の冒険なのだ。


 怖くない……といえば嘘になるが、それ以上に子供の頃に憧れたファンタジー世界での冒険の旅に行けるという興奮の方がはるかに大きい。


「それに、一人旅じゃないからな」


 異世界にやって来た俺を、家族として迎え入れてくれた三姉妹と一緒だから、ソラを救うための旅だから、是が非でもやり遂げたいと強く思っていた。




 朝陽の柔らかな光と、肌を撫でる心地良い風を全身に浴びながら大きく伸びをする。


「う~ん、気持ちのいい朝だな……」

「何が気持ちのいい朝だ」


 ストレッチをしながら体をほぐしていると、後ろからシドが現れ、背中合わせになって俺を背負うように背中を伸ばしてくれながら呆れたように話す。


「結局、今朝も一人で起きられなくて、宿屋の姉ちゃんに起こされていただろう?」

「ま、まあ、睡眠は大事だからさ……って、待って落ちる! 落ちるから!」


 シドは体をくの字に折って俺を落とそうとするので、足をバタつかせながら必死に言い訳をする。


「ゴメン、悪かったって! 明日から、明日から一人で起きるから勘弁して!」

「…………ったく」


 必死の懇願が通じたのか、シドは苦笑しながら元の姿勢に戻って俺を降ろしてくれる。


「全く、こっちは頼りにしてるんだから、しっかりしてくれよな」

「…………肝に銘じておきます」


 シドの咎めるような声に、俺は恭しく頭を下げて応える。


 女の子に頼られて嬉しくない男はいないだろうし、それが好きな女の子であれば尚更だ。

 あの下水道での告白以来、何となくなし崩しになってしまった俺とシドの関係だが、最近はそこに元気になったソラも絡んできたりして、ますます混迷を極めていたりする。


 特にソラは、夢での未来を見る力があるお陰なのか、それとも嗅覚が鋭いのか、俺とシドの間に流れる空気が男女のそれに変わるものなら、何処からともなく現れて全力で止めにかかってくる。


 ……少し試してみるか。


 最後にこの街の空気を堪能したいと言って先に出てきたので、現状ここには俺とシドしかいない。

 俺は乱れた服装を直していつものアサシンスタイルになると、旅装に身を包んだシドを見やる。


 ゆったりとした白のローブに身を包んだシドは、フードこそ被っていないが、全身をすっぽりと覆うような服装なので、いつもと比べると明らかに露出が少ない。


「んん~、でも本当に気持ちがいいな」


 だが、朝の冷えた空気を思いきり吸うように大きく伸びをした途端、フードの前面がめくれて、中から女性としての魅力が抑えきれない艶やかなボディラインがちらと見える。


「……な、何だよ」


 俺の視線に気付いたシドが訝し気に見てくるが、俺は構わず手を伸ばして彼女のローブの前面を開いてみる。


「んにゃにゃ!?」


 狼の特性を持つ狼人族ろうじんぞくなのに、まるで猫のような悲鳴を上げて固まるシドの服装を、俺は改めてまじまじと見る。


 この日のために服を新調したのか、白を基調として要所要所に新緑を思わせる鮮やか翡翠色があしらわれた上着と、同じ色の丈の短いズボンは、シンプルなデザインながらも動きやすそうで、活発なシドによく似合っていた。


 俺が服装に注目していることに気付いたシドは、もじもじと恥ずかしそうに顔を伏せながらも、上目遣いで俺に感想を求めてくる。


「……ど、どう?」

「うん、とっても似合ってる…………可愛いよ」

「かわっ!?」


 可愛いと言われ、一瞬でゆでだこのように真っ赤になるシドを見て、相変わらずちょろいな、なんて思いながらも、俺はローブからそのまま手を滑らせて彼女の赤くなっている頬に手を当て、そのままスベスベの肌を優しく撫でる。


「シド……君は本当に可愛いよ。いつもの格好も好きだけど、また新しい一面が見れて正直今、ドキドキしてる」

「コーイチ……」


 俺の言葉に、頬を上気させたシドも、まんざらではないというように大きな瞳が揺れだす。


 ……このままいけば、キスぐらいはできそうだな。


 そんなことを思っていると、


「姉さん、コーイチさん。お待たせしました!」

「おまたせ~」


 俺とシドの間に割って入るようにソラとミーファが現れる。

 シドを押し退けたソラとミーファは、俺の前に立つとシドとお揃いの白いローブの前面をめくってその場でくるりと回ってみせる。


「少し準備に戸惑ってしまいましたが、どうです似合っていますか?」

「にあう?」


 そう言う二人の格好は、ボーイスカウトを思わせるようないかにも丈夫そうな布地で作られた、ポケットがたくさんついた上下揃いの服を着ていた。


 ただ、それぞれに思い入れがあるのか、ソラは名前を彷彿とさせるような深い蒼に下はフリルのついたスカート、元気いっぱいのミーファは、燃えるような赤い上着にキュロットスカートという出で立ちになっている。


 それぞれの特徴を如実に表したような見事な服に、俺は大きく頷きながら手放しの賞賛を送る。


「二人とも本当によく似合っている。とっても可愛いよ」

「フフッ、ありがとうございます」

「やった、やった~!」


 俺の言葉に、二人はハイタッチを交わして、大輪の花が咲いたかのように全身で喜んでくれる。

 素直な気持ちを言っただけなのだが、こんなに喜んでくれるとこっちまで嬉しくなってくる。


 だが、少し今の発言は失言だったかもしれない。


「むぅ……」


 自分だけが特別だと思っていたシドが、唇を尖らせて拗ねてしまったのだ。


「コーイチは誰にでも可愛いって言うんだな」

「い、いやいやいや、だって本当に可愛いって思ったんだから仕方ないだろ」


 かといって下手な言い訳をしてソラたちまで不機嫌にするわけにはいかないので、俺は必死に言葉を紡ぎながら、へそを曲げてしまったシドに機嫌を直してもらうために奔走した。




 その後、どうにかシドを宥め、機嫌を直してもらっている間に泰三やソロ、オヴェルク将軍やマーシェン先生と孤児院の子供たちといった街の人たちが俺たちの見送りに来てくれ、最後の別れの挨拶をしていた。


「すまぬな、待たせたのじゃ」


 するとそこへ、昨日、俺たちに渡す餞別があるから待っていろ言って別れたリムニ様が、息を切らせながらやって来る。

 余程慌てて来たのか、額に汗を浮かべ「ぜぇはぁ」と荒い息を繰り返していたリムニ様だが、それでも習慣なのか、貴族式の見事な一礼をしながら口を開く。


「皆の者、おはようなのじゃ」

「おはようございます」


 代表して俺がリムニ様に挨拶すると、呼吸が整った様子の彼女に尋ねる。


「それで、俺たち何か渡すものがあるということですが……」


 旅の資金だけでなく、馬車や食糧、服や調理道具に至るまで、何から何まで用意してくれたリムニ様だったが、これ以上、一体何をくれるというのだろうか?


「うむ、ちょっと準備に手間取ったが、クラベリナからどうしてもと言われてな」

「クラベリナさんが?」


 ということは、今からくれるのはクラベリナさんが用意してくれたものということだろう。

 一体何をくれるのかと思っていると、


「待たせたな。今日も美しいお姉さんが来たぞ」

「わん!」


 クラベリナさんと「おはよう」という元気な鳴き声が聞こえて巨大な影が現れる。


「えっ、ロキ?」


 クラベリナさんの背後からのしのしと悠然とした足取りで現れたロキは、何やらいつもと装いが違っていた。


 赤いスカーフと小さな樽を首に巻き、胴回りを一周するようなベルトを身に付けたロキを見て、俺はまさかと思いながらリムニ様の方を見る。

 俺の視線を受けたリムニ様は、鷹揚に頷きながらニヤリと笑う。


「うむ、お主たちの旅の共に、ロキを連れて行ってやってくれ」

「えっ、でもいいんですか?」

「当然だ」


 俺の問いに、ロキの顎下を撫でていたクラベリナさんは、俺たちにこの巨大狼を託すことになった理由を話す。


「ロキはレド様とその家族の盾となるという誓いを、この街の者がネームタグに支配されても、たった一匹で健気に守り続けて来たのだ。ならば、今後もその誓いを果たさせてやるのが道理だろう」

「わん!」


 クラベリナさんの言葉に、ロキは「よろしく」と言いながら俺に額を擦り付けてくる。


「ハハッ、マジかよ」


 ロキの頭をわしゃわしゃと撫でながら、俺はこれ以上にありがたい餞別はないと思った。

 魔物に圧倒的な力を持つロキという助っ人の存在は大きく、この巨大狼がいるだけで旅の成功率が三倍にも跳ね上がるような気がした。




 それから俺たちは、クラベリナさんからロキの世話をする道具を受け取り、ロキのための追加の物資を馬車に積み込むと、いよいよ出発のために馬車の御者台に収まる。


 隣にはシドが座り、馬車の中にソラ、ミーファはロキの背中に跨ったのを確認して、俺は見送りに来てくれた人たちへと声をかける。


「それでは、そろそろ行きます」

「うむ、道中息災でな。我も微力ながら其方たちの無事を祈っておるぞ」

「この街はお姉さんが守っておくから、存分に暴れて来いよ」

「浩一君、微力ながら毎日無事を祈ってますよ」


 先頭に立つリムニ様が大きく頷くと、集まった人たちから次々と激励の言葉が投げかけられる。

 皆からの温かい言葉に、俺は思わず涙ぐみそうになりながらも、大きく手を上げて皆に聞こえるように声を張り上げる。


「ありがとうございます。それではいってきます!」


 そう言いながら鞭を軽く振るって、馬に出発する旨を伝える。


 鞭を受けた馬が「ヒヒン」と嘶きながらゆっくりと歩き出すと、俺たちの乗る馬車がカラコロと音を立てて動きはじめる。


「兄ちゃん、姉ちゃんたち元気でな~」

「ミーファちゃん、また遊ぼうね」


 すると孤児院の子供たちが馬車の移動に合わせて駆け出し、俺たちに手を振りながら別れの挨拶をしてくる。


「みんな……またね……またね~!」


 たった一日で随分と仲良くなったのか、ミーファは目に涙を浮かべながら子供たちに別れを告げている。

 それでもロキの背中から降りることはないミーファを見て、俺は今すぐにでも抱き締めて慰めてやりたいと思いながらも、必死に前だけを見る。


 正直、ミーファが泣いているのを見て、もらい泣きしそうになった。


「……グスッ」


 隣を見ると、シドも感極まったかのように目元を拭い、ソラも同じように泣いていた。

 決して幸せな日々とは言えなかったもしれないが、長年住んでいた地を後にするとなると、色々と込み上げるものがあるのだろう。


 皆が泣いている中、街に住んで一番日が浅い俺が泣くわけにはいかなかった。

 それに、せっかくの旅立ちがこんなしみったれたものになるのは非常に勿体ない。


 俺は大きく息を吸うと、


「皆、元気出していこう!」


 しんみりとした空気を吹き飛ばすように、大きな声を上げる。


「これから行く先々で、多くの別れを経験すると思うんだ。それこそ、今日よりもっと悲しい目に遭うかもしれないんだ。だから今は悲しいかもしれないけど……笑っていこうよ」

「コーイチ……」

「そう……ですね。別れは今日だけじゃないですもんね」

「……うん、わかった」


 俺の言葉に、三姉妹の表情が明るくなる。


「よし、じゃあ景気づけに何か楽しいことをしよう」


 目元を乱暴に拭い、いち早く立ち直ったシドが提案をすると、


「そうですね……ねえ、ミーファ。よかったら歌ってくれない?」


 ソラがそれに続くように提案する。


「わかった。それじゃあね……」


 そして、いつも俺たちを励まし、明るくさせてくれるミーファが大きく頷くと、特技である即興の歌を披露してくれる。


 それは幼い子供が歌う素直な気持ちを述べるだけの歌だが、ミーファが歌うだけで場が明るくなるのだから不思議だ。


 これでもう大丈夫だろう。


 一瞬で場を和ませてくれたミーファに感謝しながら、俺は何処までも続く道の先を見る。


 予定では今日は迷いの森へと入り、森の聖域で一晩過ごすことになっている。

 その先はノルン城とは別の場所に繋がる出口へと出て、二日ほどかけてルストという大きな街を目指す予定だ。


 果たしてそこでどんな出会いが待っているのか。

 噂では獣人にも寛容な街ということだから、皆の疲労度を見ながらそこで数日休むのも悪くないかもしれない。


 そんな風に今後の予定を組み立てていると、


「ねえ、おにーちゃん。おにーちゃんもいっしょにうたおうよ」


 ミーファがロキの背中からピョンと飛んで、俺の足の間に陣取って笑いかけてくる。


「ミーファがおしえてあげるから、いっしょにおうたうたおう。ね?」

「あ、ああ……」


 正直、インドア派過ぎて、カラオケすら碌に行ったことないのだが、こんな愛らしい笑顔で誘われたら断ることなんてできそうになかった。


「じゃあ、いくよ……」

「あっ、うん……」


 そうして俺は、しどろもどろになりながらミーファの後に続いて歌うのだった。

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