第427話 嵐の予感

 色々あったが、俺が用意した朝食が全員の胃袋の中に消える頃には、陽が昇り、迷いの森の聖域内に、神々しい光が降り注ぐようになる。

「ふわぁぁ……きれい」

 昨日は夕暮れ時の到着だったため、森の聖域の幻想的な光景を見るのは初めてのミーファは、目をキラキラとさせながら降ってくる光を掴もうとぴょんぴょんと跳ねながら必死に手を伸ばす。

「……可愛いな」

 俺も初めてここに来た時は、同じようなリアクションを取ったな……なんて思いながら、せっせと朝食の後片付けをしていく。

 ただ、手伝いをちゃんとすることが、ミーファが俺たちと一緒に旅に出る条件だっただけに、このままではシドにまた怒られてしまうのではないかと思い、俺は灰の片付けをしているはずのシドの方を見る。

 だが、

「…………シド?」

 何かあったのか、火かき棒を手にしたシドは呆然と上空を見つめたまま立ち尽くしている。

 何だろう。気になる何かがあるのかと俺もシドが見る先を見てみるが、鬱葱と茂る草木の向こう側に何があるのかは、残念ながら並の視力しかない俺にはわからない。

 ただ、シドはさっき、よく眠れなかったと言っていたし、もしかしたら何か不調を抱えているのかもしれない。

 俺は依然として上空を見つめているシドに近付くと、彼女の肩に手をかけながら話しかける。

「シド、大丈夫か?」

「えっ? あ、コーイチか。どうした?」

「どうしたじゃないよ。さっきからボーッ、としているけど何かあったのか? もし、何処か調子が悪いなら遠慮なく言ってくれ」

 もし、何かしら不調があったとしても、今ならグランドの街に戻るのは容易いので、しっかりと治療をして改めて出発し直すことも構わないと思っている。

 もし、シドが誤魔化そうとしても見破れるように、俺は彼女の目を真っ直ぐ見つめながらもう一度尋ねる。

「シド……正直に答えてくれ。何処か、悪いところがあったりするんじゃないのか?」

「大丈夫……何でもないよ」

 シドは思わず苦笑しながら俺の手を取ると、目を真っ直ぐ見返しながらゆっくりと話す。

「流石にあたしもこんな旅立ってすぐに下手に強がるような真似はしないさ。ただ、空の様子が気になっただけだ」

「空?」

 この場合はシドの妹であるソラではなく天気……つまりは空模様のことを言っているのだろう。

 といっても、俺には全く見えないので、俺より格段に視力が良いシドに尋ねることにする。

「普通に光が差し込んできてるけど、森の外は雨が降ってたりするのか?」

「いや、今は問題ないさ。ただ、これから悪くなると……下手したら嵐が来ると思う」

「ほ、本当に?」

「確証はないけどな。ただ、空の色と周囲の土の匂いから、これから天気が崩れてくることだけは確かだ」

「そう……か」

 生憎と空も見えなければ、土の匂いとやらも全くわからないのだが、シドがそう言うのなら間違いないのだろう。

 まさか出発して二日目にして、先行き不透明になるとは思わなかった。

「どうする? 最悪、嵐になったことを想定して、一度街に戻るか?」

「いや、このまま進もう」

 俺の提案に、シドはゆっくりとかぶりを振る。

「天気が崩れるといっても、どれくらい崩れるかまでは予測でしかないし、これから先、同じような目に遭わないとも限らないからな。戻れる範囲内であるには変わりないから、これもいい経験だと思うべきじゃないか?」

「そう……だな」

 確かにもっと何もないところで、いきなり強い雨に当たらないとも限らない。

 流石に天候を考慮しての訓練は受けていないので、こればかりは実際にぶつかって経験を積むしかないだろう。

「わかった。でも、無理だけはしないように、だな」

「当然だ」

 俺たちは今後の予定を確かめて頷き合うと、手早くキャンプの後始末をして森の聖域を後にして再び迷いの森へと入っていった。




 迷いの森には多数の魔物が跋扈しており、以前にここを訪れた時にはアラートリィという魔物を呼び寄せる魔物に遭遇したため、モンスタートレインが発生してとんでもないことになったが、今回はその心配はなさそうだった。

「アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォン!!」

 森の中に、ロキの遠吠えが響き渡ると、あちこちからガサガサと草を掻き分ける音が響き渡る。

「おおっ、凄い」

 御者台に座り、アラウンドサーチを発動させて周囲の状況を確認していた俺は、ロキの遠吠えのによって魔物たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。

 周囲から魔物の反応が消えたのを確認した俺は、目を開けてロキに向かって話しかける。

「凄いな。ロキの一声だけで、魔物が一斉に逃げていったぞ」

「わんっ!」

 背中にミーファを乗せたロキは「どんなもんだ」と得意気に吠えると、俺たちを先導するように優雅な足取りで歩き出す。

 それを見て、今日は俺に代わって手綱を握るシドに話しかける。

「シド」

「わかってる」

 シドは阿吽の呼吸で軽く鞭を振るって二頭の馬に命令を出す、

 既にロキが自分たちを守ってくれる存在であることを理解している馬たちは、恐れることなく前を行くロキの後に続いていく。

 この後は、ロキの先導の元迷いの森の出口まで向かうことになっている。

「よし、コーイチはもう休んでいいぞ」

 すると、シドが俺の肩を叩きながら話しかけてくる。

「まだ余力はあると思うだろうが、一晩起きていたんだ。休むことも大切だぞ」

「でも……」

 まだ何か言いかける俺に、シドが人差し指を伸ばして来て口を塞ぐ。

「コーイチ、魔物が心配なのはわかるが、昨日もこの方法で一切の魔物に遭遇せずに森の聖域まで辿り着けたんだ。何かあったらすぐに声をかけるから、あたしたちを信用してくれ」

「わかった」

 シドの言葉に、俺は頷いておとなしく従うことにする。

 確かに一日とはいえ夜通し起きていたのだ昨夜の疲れが残っていないとは言い切れない状況で戦うことになったら、実力を出し切れない可能性もある。

「それじゃあ、少し休ませてもらうよ」

「ああ、森を抜ける頃には起こしてやるから、安心して眠ってくれ」

「任せた」

 俺はシドと拳を合わせて御者台の上を譲ると、揺れる馬車から落ちないように気を付けながら立ち上がり、そのまま馬車の中へと倒れ込むように飛び込む。

「コーイチさん、お疲れ様です」

 するとすぐさまソラがやって来て、俺に毛布と枕を差し出してくれる。

「……あれ?」

 だが、ソラから渡された毛布と枕は、どうしてかそれぞれ三つずつある。

 この中から好きな物を選んで使えということかな? と思っていると、ソラの手が伸びて来て、毛布の一枚を広げながら用途について説明してくれる。

「毛布一枚ですと馬車の揺れが気になると思いますので、複数枚を使って揺れを軽減させて下さい」

「なるほど……」

 馬車にはサスペンションのような揺れを軽減させる装置はついていないし、道は土を踏み固めただけなので、ハッキリ言って乗り心地はお世辞にも快適とは言えない。

 余程疲れていない限り、動いている馬車の中では眠れないと思ってのソラの気遣いに、俺は素直に感謝の意を伝える。

「ありがとう。それじゃあ、遠慮なく使わせてもらうよ」

「はい、おやすみなさいませ」

「……うん、おやすみ」

 ソラの女神のような慈母の笑みに顔が赤くなるのを自覚しながら、俺はたんまり敷いた毛布の上に転がり、枕に頭を乗せる。

「…………ああ、なるほど。これはいいわ」

 毛布をたっぷりと積んだ効果は思ったより抜群で、骨にまで響く馬車の激しい揺れが、大袈裟かもしれないが、ゆりかごに揺られているくらいまで軽減されているようだった。

 このまま毛布にくるまって視界と音をシャットダウンしてしまえば、あっさりと深い眠りにつくことができそうだった。

 俺は一枚の毛布を引き寄せて顔を埋めると、なんとなくいつもの癖で毛布の匂いを嗅いでみると、鼻孔に花の蜜のような甘い匂いが広がり、誰かに優しく抱き締められているような気分になって落ち着いてくる。

「……あっ」

 このまま眠ってしまおうかと思うと、ソラの息を飲むような声が聞こえ、俺はうっすらを目を開けて彼女の顔を見る。

 すると、顔を真っ赤にしたソラとバッチリと目が合ってしまう。

「…………ソラ?」

 何事かと思って尋ねると、ソラは赤くなった顔を隠すように手で覆いながらこちらを指差す。

「あ、あの……それ……私の毛布です」

「……あっ」

 その言葉で俺はソラの毛布に顔を埋め、匂いを嗅いでいたことを知る。

 そうか、今まで嗅いだことなかったけど、この心を落ち着かせて安心する匂いは、ソラの匂いなんだな。

 これで三姉妹全員の匂いをコンプリートしたわけだが……あまりこのことについて言及すると変態そのものなので、

「……失礼しました」

 俺はソラの毛布をいそいそと置くと、残った二つの毛布の内、きっと俺の物だろうと思う毛布を引き抜いて頭から被る。

 ……うん、よく嗅ぎなれた自分の匂いだ。

 俺は自分の匂いに包まれながら、あっさりとまどろみの底へ沈んでいった。

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