第410話 悠久の時を生きる者

 ……えっ? 今、何て言った?


 てっきりこれから壮絶なバトルがはじまるとばかり思っていた俺は、信じられない思いでスールに尋ねる。


「ど、どうしてネームタグ……従魔の札を解除してくれるんだ? 俺たちはあんたの契約者……ユウキを殺したんだぞ?」

「そうか。彼を殺したのはコーイチなのだな」

「ああ……」


 ゆっくりと睨むように双眸を細めるスールの視線を受けながら、俺はゆっくりと頷く。


 正確には俺ではなく、下水道の主である巨大アリゲーターが丸呑みにしたのだが、あの鰐に罪を擦り付けてしまうと、逆上したスールが下水道に敵討ちに行くとも限らない。


 あの巨大アリゲーターは魔物でないようだし、ユウキを倒してくれたのも、もしかしたら俺を助けるために動いてくれたのかもしれないのだ。

 もしかしたらただの気まぐれだったのかもしれないが、だとしてもこんな危険な奴を、まだ集落の皆がいる地下に行かせるような真似はしたくない。


 そんな風に格好つけてみたものの、


「…………」


 ハッキリ言って滅茶苦茶怖い。


 これまで数々の強敵と戦い、それなりに経験を積んだことでかなり度胸がついたのだと思うのだが、スールによる睨みはこれまでとはかなり趣が違っていた。


 キングリザードマンやジェイドといった強敵は、圧倒的な実力を盾に、上から押し潰されるようなわかりやすい圧を感じた。

 一方、どう見ても戦闘向きではないスールは、押し潰すような圧は感じないものの、まるで内面から全てを見透かされているような不気味さがあった。


 初めて感じるこれまでとは異質の恐怖に、全身から嫌な汗が吹き出すし、手足が勝手に震えて、今すぐにでもここから逃げ出したくて仕方ない。

 先程、クラベリナさんはスールの視線を受けても堂々と言い返していたが、とてもじゃないがこれ以上は、奴と議論する気にもならない。


「フッ、そんなに怯える必要はない」


 顔中に脂汗を浮かべている俺を見て、スールが穏やかな笑みを浮かべる。


「ユウキが死んだのは残念だが、私は彼よりも、お前たちに興味を持った」

「なん……だって?」

「何、私はユウキと違って不真面目でね。彼が目指した混沌なる者の復活には、左程興味がないのだ」

「……自分の主なのにか?」

「それは違う。私は混沌なる者の眷属ではない」


 俺の質問を、スールは真っ向から否定する。


「まあ、さりとて混沌なる者の復活を望んでいないわけではない……そうだな、敢えて言葉にするなら、私は奴の盟友だよ」

「盟友……」

「そうだ、千年以上前から続く腐れ縁といってもいい」

「せ……」


 予想をはるかに超える年数を告げられ、俺は絶句してしまう。


 ダークエルフという種族を聞いた時からもしかしてと思っていたが、やはりこの世界でもエルフという種族はとんでもない長寿のようだ。


「……というわけだ。私からすれば、奴の復活を急ぐ必要はないし、それよりも興味を持った者の行く末を見守る方が実に興味深い」

「行く末を……見守る」

「そうだ。今の私の愉しみは、矮小な人間が必死に足掻き、生きようとする様を見て、何を成すのかを確認することだ。ユウキはその内の一人であったが、死んでしまったのなら、代わりを見つけるだけだ」


 そう言ってスールは、唇の両橋を吊り上げてニンマリと笑う。


「――っ!?」


 それはまるで、無垢な子供が新しい玩具を見つけたような、苛め甲斐のある調度いい奴を見つけたような底意地の悪い笑みで、俺は全身に走った悪寒により、自分が凍ってしまったのではないかと錯覚する。


 もしかして、そのユウキの代わりの人材って……俺じゃないよね?


 スールの次の気になる相手が誰なのかは非常に気になるが、それを問いかける勇気なんてものはない。


「……というわけだ。少なくとも私はこの街に対する興味は尽きた」


 スールは右手をゆっくりと持ち上げると、パチン、と指を鳴らす。

 その音は、親指と中指を擦って出した音とは思えないほど高く、大きく響き、耳というより脳内に直接刻みつけられたかのような衝撃が走る。


「ウッ……」


 俺は自分の耳から壊された脳味噌が出ていないかどうかを確認するように耳の中に指を入れる。


「クッ、なんだ……これ」


 すると、シドも同じような衝撃を受けたのか、頭の上の三角形の耳をパタリと閉じて、さらに上から押さえて顔をしかめている。


 それは泰三やリムニ様たちも同じようで、揃って耳を押さえていた。

 ただ、クラベリナさんだけは警戒は解くまいと決めているのか、表情を歪めながらも、しかとスールを睨み続けていた。


 一方、音を出した張本人であるスールは、全く表情を崩すことなく、まるで俺がアラウンドサーチを使っている時のように目を閉じて何かを確認している。

 スールが指を弾いて出した音は、どうやら室内だけに留まらず、街中に反響して響いているのか、あちこちからパチン、という音が聞こえ、彼方の方ではドップラー効果によって、少し違う音となって聞こえてくる。

 一つの音がこれだけ響くのも魔法の力なのかもしれないが、相変わらず理屈はさっぱりわかららない。


 やがて街全体に音が響いたのか、スールはゆっくりと目を開けて満足そうに頷く。


「ふむ、これでこの街の従魔の札は無効化された」

「ほ、本当に?」

「私は矮小な人間と違って嘘などというつまらないものは吐かんよ。気になるなら、その目で確かめてみるがいい」


 一方的に俺たちに言い放ったスールは「それではまた会おう」と勝手に再開を約束して、現れた時と同じように風のように去って行った。




 ネームタグ……いや、従魔の札を解除すると言って去ったスールの言葉の真偽は、すぐさま証明された。


 エスクロの屋敷を出たところで、主の不在を心配したリムニ様の屋敷の使用人たちと偶然にも鉢合わせしたのだ。

 彼等は一様に荒れた屋敷を見て、何か大切なことを忘れてしまっていると思っていたのだが、それが何なのかわからず、とりあえず屋敷の後片付けをしてい。そして突如として響いた、パチン、という音を聞いた途端に、リムニ様のことを思い出したという。


 リムニ様の泣き叫ぶ声を聞いても、怖くて動けなかった使用人たちだったが、彼等をまとめていた老紳士の死体を見て、自分たちが愚かだったと思い直し、勇気を出して表に繰り出したのだという。


「皆の者……本当に、本当に良かったのじゃ」


 その時のリムニ様の喜びが溢れた顔は、年相応のとても愛らしく、これ以上彼等の感動の再開を邪魔する気にはなれなかった。


 俺は泰三にソラの容体も心配なので、今後については後日改めて話し合うことを約束して、シドと一緒に診療所へと戻ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る