第380話 あの人のために
集落へと続く階段は、下水道へと降りる階段と同じような螺旋階段となっている。
俺は不安そうな表情のソラと手を繋ぎ、ゆっくりと階段を下りながら、ずっと気になっていたことを泰三に尋ねる。
「なあ、泰三……」
「何度も言いますが、気安く名前を呼ばないで下さい」
俺に名前を呼ばれることに抵抗があるのか、嫌そうな顔の泰三が渋々ながら応える。
「……それで、何ですか?」
「お前、まだ自分のネームタグを持っているのだろう?」
「ええ、持っていますが、何か?」
「それ、壊さないのか?」
「はあ? どうして壊さないといけないのですか?」
「いや、だってよ……それがあるとユウキたちに操られる可能性があるし、壊してくれれば、俺のことも思い出すはずなんだよ」
この状況に至っては正に百害あって一利なしなので、壊してくれると非常にありがたいのだが……、
「申し訳ありませんが、まだネームタグを壊すわけにはいきません」
泰三は俺の申し出をかぶりを振って拒否する。
「確かにネームタグを持っていることのデメリットは大きいです。ですが、これを壊すとネームタグを持っている人から僕の記憶が消えてしまうのですよね?」
「そう……だな」
「だったら尚更、壊すわけにはいきません」
泰三は胸にしまったネームタグを大事そうに手で包みながら、その理由を話す。
「これを壊してしまったら、団長が僕のことを忘れてしまうということでしょう。だったら、猶更これを壊すわけにはいきません!」
「泰三……」
二次元にしか興味のなかったお前が、そこまでクラベリナさんのことを想っているのか。
恋愛観にまで劇的な変化を遂げた泰三を、呆然と見つめていると、
「……と、というわけです。とにかく、今はまだネームタグを失うわけにはいかないのです」
赤い顔をした泰三は吐き捨てるように言うと、早足で去って行った。
「……先に行くのはいいけど、集落の人たちと出会ったら気まずいことこの上ないぞ」
そんな俺の呟きなどどこ吹く風、泰三はどんどん先へと進んでいく。
やれやれ……ようやく三次元の人を好きになれたのはいいが、前途は多難そうだな。
泰三の未来についてそんな勝手なことを思っていると、
「フフッ……素敵ですね」
手を繋いだソラが、もう片方の手で口を押えながら上品に笑う。
「ああやって一人の人を一途に想えるなんて……お相手はきっと素敵な方なんでしょうね」
「それは……そうだね」
クラベリナさんが素敵な女性であることに異論はない。
「でも、もしかしたらソラも会ったことあるかもしれないね」
「そう……なのですか?」
「うん、クラベリナさんって人なんだけど、元々はノルン城でレド様のお付きの人だったらしいけど、知らない?」
「う~ん、そうですね。おそらく、見たことあるんでしょうけど……すみません」
ソラは申し訳なさそうに形のいい柳眉を下げながら、儚げに笑う。
「私はこんな体だったので、余り私室から出ることがなくて……城での思い出は殆どないんです」
「そ、そうなんだ。ゴメン」
「あっ、でも……もしかしたら、という人はいます」
ソラは記憶の糸を手繰るように、立ち止まって目を閉じながら思い出話をする。
「誕生日に具合が悪くて寝ていたところへ、真っ赤な顔をしておそるおそる花束を差し出してくれた女性がいたんです」
そうして手渡されたのは、女性が自ら摘んできたのか、サイズも色もバラバラの店売りのものと比べるとかなり見劣りする花束だったという。
「その方は照れながら、いつか私を、この花々が咲く花畑に連れていってあげると……これはその前の約束だと言って手渡して下さいました」
「嬉しかった?」
「それは、もう……不器用でも、その方の心意気は伝わりましたから」
ソラは目を開いて穏やかな笑みを浮かべると、俺と繋いでいる手に僅かに力を籠める。
「今はもう、その方との約束は叶いませんが……代わりにコーイチさんが叶えてくれますよね?」
「それは……」
突然水を向けられ、俺は思わず面食らったが、
「勿論、とびきりの花畑に連れていってあげるよ」
ソラの期待に応えるように、繋いでる力に手を込めて頷く。
「ウフフ……ありがとうございます」
俺の返答を受けて、ソラは嬉しそうにはにかむと、
「さあ、コーイチさん行きましょう。私たちの未来は、きっと明るいです」
赤い顔を隠すように前に出て、俺の手を引くように階段を降りて行った。
「……戻って来たか」
獣人の集落に到着すると、笑顔のシドが出迎えてくれた。
シドの笑顔を見たて密かに胸をなでおろしながら、俺は彼女に事の進捗を尋ねる。
「それで、首尾はどうなってる?」
「コーイチの頼まれたものは全て済んでいる。だがな……」
「何かあったの?」
「ああ、それなんだがな……」
シドは訳が分からないと首をひねりながら、集落の状況について話す。
「実は、あたしが集落に戻った時点で、既に誰もいなかったんだ」
「えっ? それって既に非難済みだったってこと?」
「わからない……でも、集落内をくまなく探したけど、何処にも誰もいなかったんだ」
「それってまるで……」
「ああ、かつてここであった失踪事件みたいだ」
俺と同じ結論に至ったのか、シドはゆっくりと頷く。
ここに獣人たちが住みつく前、監獄として使われていた時に看守と囚人が発狂して互いに殺し合いを始めたが、後日、調査のために訪れた時には、死体も殺人の痕跡も、何もかもがきれいさっぱりなくなっていたという怪事件……、
シドがここに戻って来た時、いるはずの獣人たちが全員いなくなっていたという状況は、正にあの事件を思い起こさせる状況だった。
もしかしてこの集落は、本当に呪われているのだろうか? そんなことを考えていると、
「まあいいさ。心配しなくても、後でひょっこり戻ってくるだろうさ」
シドはあっけらかんとした調子で肩を竦める。
「それに、誰もいなかったお蔭で、物資は調達し放題だったからな。何時でもコーイチの作戦を実行できるぜ」
「そ、そうか……まあ、今はその方がありがたいからな」
獣人たちの行方は気になるが、これで心置きなくユウキたちを向かい討つことができる。
「それじゃあ、作戦の最終確認をしようか」
俺は三人の顔を見渡しながら、各々の役割について確認していった。
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