第381話 開戦の時

 ――俺たちが獣人の集落へと避難して十五分後、地下水路の入口からユウキが現れる。


「さあ、鬼ごっこはもう終わりにしましょうか?」


 無遠慮に集落に足を踏み入れたユウキは、突如として集落中に響き渡る声で演説をはじめる。


「監獄内に逃げたことはわかっています。地上への出口も、下水道の出口も封鎖しました。もう逃げ場はありませんよ」


「私の目標は、たった一人の獣人だけです。その者の命をおとなしく差し出せば、他の皆さんの命は保障しますよ。如何ですか?」


「といっても、いきなりでは意見もまとまならないでしょう。今から五分待ちますから、その間に決断して下さい。もし、何も返答がない場合は……わかりますよね?」


 言いたいことだけ言ったユウキは、そのままズカズカと集落内へと足を踏み入れると、奥様方が洗濯をする水路へ向かって唾を吐く。

 その行為だけでもかなり不快なのだが、さらに集落の入口からゾロゾロと幽鬼のような不安定な足取りの集団、ゾンビ兵が次々と現れる。


「あの野郎……」


 それを見て、俺は堪らずユウキの前へと姿を晒し、奴に向かって話しかける。


「おい! 五分待つなら、せめてその物騒な連中を連れて来るのは止めてくれるか?」

「これはこれは失礼しました。何分、こう見えて憶病ですからね」


 互いに気安く話しかけているが、俺とユウキの間には目には見えなくとも火花がバチバチと散っている。

 俺はゾンビ兵の中にリッターの姿がないことを訝しく思い、油断なく周囲を警戒しながらユウキに向かって話しかける。


「ところで、経歴から何もかも嘘でまみれたクソ野郎の戯言を、誰が信じると言うんだ?」

「戯言なんてとんでもない。私は約束は守るつもりですよ?」

「……よく言う」


 心外だと言わんばかりに大袈裟に肩を竦めてみせるユウキを見て、俺は自分の額に青筋が浮かぶのを自覚する。

 気持ち的には今すぐにでも飛び出して、奴の顔をぶっ飛ばしてやりたいのだが、自分にそれができないのは重々承知しているので、せめてもの意趣返しをしてやることにする。


「ああ、はいはい、だったら最初に俺たちの総意を言っておいてやるよ……」


 俺はたっぷりと溜めを造った後、


「誰がお前の要求なんか飲むかよ。身の程を弁えろよ。バーカ!」


 最大限の侮蔑を込めて、思いっきり中指を立ててやる。


「…………」


 俺の挑発に、ユウキは笑顔のまま固まっていたが、


「そうですか。でしたら……お望み通り、皆殺しにしてあげましょう」


 笑顔から一転して憤怒の表情を浮かべると、右手の平から金色に輝くネームタグを取り出す。


「交渉は決裂です。リッター、出番ですよ!」

「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!」


 ユウキの呼びかけに、集落の入口にリッターが雄叫びと共に現れる。


「――っ!?」


 現れたリッターを見て、俺は思わず息を飲む。


 先程の爆発に巻き込まれた影響か、リッターの表皮は熱で溶け、ボコボコとした水ぶくれの痕が全身に広がっている様が痛々しい。さらに、碌に治療もされていないのか、めくれた皮膚が腕の先からのれんのように垂れ下がっている。

 頭部に当たる雄二の顔も爆発の余波で激しくただれ、左目は熱で溶接されたかのように完全に塞がっていた。


 無事で済むはずがないとは思っていたが、思った以上の惨状に、俺は胸が締め付けられる思いに駆られる。


 ……こんな姿にされても、命令に従うしかないのかよ。


 できるなら、今すぐにでもユウキが持つネームタグを破壊し、リッターを奴の支配から解放してあげたい。


 だが、例えユウキのネームタグを運よく破壊できたとしても、自分の意志がなく、他者の命令がないとまともに動かないリッターに、幸せな未来があるとは思えない。

 やはり俺にできることは、彼を一刻も早く楽にしてあげることだけだ。


 俺は大きく深呼吸を繰り返して、どうにか心を落ち着けると、


「来いよ……決着をつけてやる」


 リッターに向かって手招きをする。


「――ッ、コロス! コーイチ、コロシテヤル! ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォ!!」


 ユウキによって、ラビィちゃんを殺したのが俺だと刷り込まれているリッターは、怒りの雄叫びを上げる。


「フーッ、フーッ……」

「リッター、落ち着きなさい。今、あなたの力を解放して差し上げますから」


 今にも跳びかかろうとするリッターに待ったをかけたリッターは、管理者用のネームタグを掲げる。

 すると、ゆらゆらと揺らめいていたゾンビ兵たちがピタリと動きを止める。


 代わりに、


「ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」


 雄叫びを上げたリッターの全身の筋肉がバンプアップし、パワーアップする。

 それを見て俺は、先程までどうしてユウキがリッター一人しか連れていないかを知る。


 それは以前、奴に確認した管理者用ネームタグの力の限界、操れる魔物のコスト上限だ。

 やはりリッターほどの強力な魔物となると、他の魔物を操ることはできないようだ。

 そして、全力を出した状態のリッターを操るには、一定内の距離にいなければならないのだと思われる。

 その証拠に、


「さあ、行きましょうか?」


 自分は安全な後方で待機していればいいのに、わざわざリッターと二人で前へと出てくる。


「お待たせしました。さあ、もう泣いても許しませんよ」


 堂々と闊歩するリッターの後ろに隠れるように、ユウキが後に続きながら話す。


「何か策を講じたのかもしれませんが、全力を出したリッターの前では全て無意味と知りなさい」

「……そうかよ」


 近付いてくる二人を前に、俺は腰を落として臨戦態勢を取る。


 ……まだだ。もう少しだ。


 俺は逸る気持ちを抑えながら、二人が来るのを待ち続ける。

 俺が立っている場所は、監獄の入口となる二つの建物を結ぶ欄干のない橋があるすぐ真下だ。

 ここに立っているのも、当然ながら作戦の内だ。

 ただ、リッターの突撃力と、その速さを身を持って体験しているので、いつ彼が突撃してくるかを思うと、気が気でない。

 だが、連中を十分に引きつけなければ、作戦の効果が薄いので、可能な限り俺はその場に留まり続ける。


「……フフッ、怖くて動けませんか?」


 臨戦態勢を取っても動かない俺を見て、二十メートル手前までやって来たユウキが、歩きながら余裕の表情で話しかけてくる。


「何か手があるのなら、早く打った方がいいんじゃないんですか?」

「そうか……わかったよ」


 奴の言葉に俺は頷くと、


「だったらお言葉に甘えて、抗わせてもらおう」


 そう言って、俺はシドに頼んで仕掛けておいてもらった足元の細い紐を引っ張る。

 すると、真上の橋から袋が大量の白い粉を撒き散らしながら次々と落ちて来て、辺り一面を白一色で埋め尽くす。


 あっという間に濃霧に包まれたかのように視界が効かなくなったのを確認した俺は、その場から逃げ出すように駆け出しながらユウキに向かって叫ぶ。


「なあ、粉塵爆発って知っているか?」

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