第360話 黒い風

「な、なんじゃ!?」


 突如として響いた窓ガラスの割れる音に、マーシェンは慌てて飛び起きる。


「……マーシェン、起きたか?」


 すると、隣の部屋で寝ていたオヴェルク将軍も飛び起きて来て、油断なく周囲を警戒しながら話しかけてくる。


「今のガラスの割れる音は……賊か?」

「わからん。その割には静かすぎる。場所は何処から聞こえたかわかるか?」

「この近辺であることは間違いないが、外部ではないとすると中から……」


 そこまで言ったところで、オヴェルク将軍とマーシェンの二人は同時に気付く。


「「まさか……」」


 二人は顔を見合わせて頷き合うと、一心不乱にソラたちが寝ている部屋へと走る。



 万が一にも孤児院の子供たちと鉢合わせしないようにと、診察室に鍵をかけてしまったのが仇となった。


「マーシェン、早くしろ」

「わ、わかっておるわ! クッ……」


 マーシェンは逸る気持ちをどうにか抑えつけながら、必死に鍵を開けて診察室の扉を開く。


「ソラ様!」


 そうして飛び込んだ部屋にはソラたちの姿はなく、割れた窓から室内へと吹きすさぶ冷たい風が、呆然と立ち尽くすマーシェンの肌を撫でる。


「な、なんということじゃ……」


 いくら滅びた国とはいえ、ソラとミーファは二人にとっては王族であり、同じ部屋で一夜を過ごすなんてことはもってのほかだった。


 体が弱く、荒事はできないソラと、幼く、力も強くないミーファの二人だから問題ないと高を括ったのが間違いだったのか。


「何をボサッとしている」


 呆然と立ち尽くすマーシェンに、後から室内に入って来たオヴェルク将軍が、背中を強く叩きながら檄を飛ばす。


「まだ遠くに行ったと決まったわけじゃない。急いで追いかければ、連中に見つかる前に保護できるかもしれん」

「わ、わかっとるわ!」


 マーシェンはオヴェルク将軍の手を振り払うと「少しは年寄りを労われ」とブツブツ文句を言いながら、割れた窓へと近付く。


 どうやら窓は中から割られたようで、一先ずは外からの侵入者の仕業ではないとわかり、マーシェンはホッと一息つく。

 では、窓はソラかミーファが割ったということになるが、二人がどうしてそんなことをしたのだろうか。


「……もしかして、ここにいると殺されると思ったのじゃろうか?」

「それはないだろう。少なくともミーファ嬢は、現状を正しく理解している。少なくとも我々に敵意がないことを知っているはずだ」

「確かに……だとすればどうしてじゃ」

「わからん……だがマーシェン、我々のやることは変わらんだろ?」


 そう言ってオヴェルク将軍は窓枠を一蹴りで壊すと、ひらりと建物の外へ出る。


「お二人を探して保護する……そうだろう?」

「ふむ、そうじゃな」


 オヴェルク将軍の言葉に頷いたマーシェンは、彼に続いてひらりと外へと出る。


「それで、当てはあるのか?」

「ああ、ある」


 頷いたオヴェルク将軍は、しゃがんで地面を指差す。


「ここに特徴的な足跡があるだろう」

「あ、ああ……確かに。でも、これは……」

「詳しくはわからない。だが、ここに彼女たちの死体が無い以上、まだ希望は捨てるべきではない。そうだろ?」

「ああ、そうじゃな」


 二人は力強く頷き合うと、一際大きな足跡を頼りに夜の闇へと駆け出した。



「……ところで、お主が壊した窓枠の修繕費、後でしっかり払ってもらうからな」

「…………マーシェン、お前、存外ケチだな」

「ぬかせ! お前と違って、こっちには身寄りのない子供たちが何人もじゃな……」


 ただ、その道中は深刻な雰囲気とは別に、少々賑やかなものであった。




 ユウキの合図を皮切りに、自警団の面々が堰を切ったかのように一斉に動き出す。


 がっちりと隊列を組み、一糸乱れぬ動きで迫る彼等の手には一様に長槍が握られ、最前列に位置する者は、牽制するように長槍を突き出しながら突撃してくる。


「……チッ、こっちはナイフだっていうのによ」


 戦う前からわかっていたことだが、余りにも明確なリーチの差に俺は舌打ちする。


 背後を任せているシドはというと、黒の処刑人が持っていた槍を拾って戦うつもりのようだが、槍の柄が途中で折れてしまっており、長さは半分になってしまっている。

 といっても、あらゆる武器を扱うことができると自負しているシドのことだから、たとえ長さが足りない状態でも、問題なく戦えるのだろう。


 本当ならそんなシドと背中合わせになって互いをカバーするように戦いたいのだが、生憎と今回は真ん中にリムニ様がいる。

 俺とシドの距離が近くなるほどリムニ様に及ぶ危険が増してしまうので、仕方なく俺たちはリムニ様を間に一メートルほど感覚を開けている。


 背中にシドがいない状態で戦うのは少し心細いと思うが、


「コーイチ、ぬかるなよ!」


 そんな俺の弱気を読んでか、透かさずシドが声をかけてくれる。


「こっちの心配はしなくていい。だからコーイチも自分の戦いをするんだ」

「わかってるよ!」


 相棒の頼もしい激励を背に、俺は迫りくる自警団たちに突撃していく。


 俺は走りながら腰のポーチに手を突っ込んで小瓶を取り出すと、先頭の自警団たちの眼前に向かって瓶の中身をぶちまける。

 初手は既にお馴染みとなっている、灰と粉末の唐辛子が入った目潰しだ。


「うがっ!?」

「目が……目があぁぁ!」


 初見でこの攻撃を防ぐことができるはずもなく、先頭の二人が思わず槍を取り落としながら目を押さえる。

 そんな二人に俺は一気に肉薄すると。


「……フッ!」


 短く息を吐きながら、一人目の喉を切り裂くようにナイフを振るう。


「がぼっ!?」


 喉から鮮血が舞うのを横目で見ながら、俺は体を折って激しく咳き込んでいる二人目の延髄へとナイフを突き立て、その体を蹴り飛ばす。


 続いて俺は、リムニ様の屋敷から逃げる時にも使ったけむり玉で周囲の視界を奪うと、煙に驚いている三人目の喉を潰し、そのまま四人目へと肉薄する。


「――っ、このっ!?」


 俺の接近に気付いた四人目の男が慌てたように長槍を突き出してくるが、そんな苦し紛れの攻撃を喰らうほど、今の俺は弱くない。

 体を回転させて槍を紙一重で躱した俺は、致命傷を与えるべく、相手の脇下へとナイフを突き立てる。


「あぎゃあああああああぁぁ!」


 男の絶叫に顔をしかめながら、俺はナイフを引き抜こうとするが、そこで予期せぬ事態が起こる。

 ナイフが関節に食い込んでしまったのか、ナイフを引き抜こうとするのにビクともしないのだ。


「このっ!?」


 何とかナイフを引き抜こうと、男の腹に足をかけながら体重をかけようとするが、その判断は完全に誤りだった。

 ナイフを突き立てた男の背後から現れた新手が、俺に向かって突き攻撃を仕掛けて来たのだ。


「しまっ……」


 俺は慌ててナイフを手放して後ろへと飛ぼうとするが、相手の槍の方が一手速い。



 このまま右腕を持っていかれると覚悟する俺だったが、


「ぐぼべらぁっ!?」


 次の瞬間、突風が吹いたかと思うと、俺を襲ってきた自警団の男が一瞬にして視界から消えたのだ。


「……えっ?」


 何が起きたのか理解できず、何度か目をしばたたかせていると、


「おにーちゃん!」


 元気な声が聞こえ、腹部に衝撃がやって来る。


 こ、この衝撃は……、


 過去は悶絶したものだが、今はすっかり慣れてしまった衝撃に、俺は苦笑しながら視線を腹部へと下げる。

 そこには、この場に不釣り合いな天使がいた。


「……ミーファ、どうしてここに?」

「あのね、あのね、かえってきたの!」

「帰ってきたって……誰が?」

「ロキ!」

「……えっ?」


 その言葉に俺は、自分のすぐ背後に巨大な影が立つ気配がして、慌てて振り向く。

 すると、


「ばふっ!」


 という懐かしい声と共に、黒く巨大な狼が俺の顔をペロリと舐めてきた。

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