第358話 慚愧

 ただ、このまま座して待つわけにはいかない。


 一通り落ち込んで落ち着きを取り戻したソラは、物音を立てないようにそっとベッドから抜け出そうとする。

 すると、


「うぅ……シド……おねーちゃん………………おにーちゃん…………やだよ」


 すぐ隣でミーファの泣きそうな声が聞こえ、そこでソラは自分のすぐ隣に妹のミーファが寝ていることに気付く。


 ミーファの寝顔はとても苦しそうで、目元には涙が浮かんでいる。

 どうやらこの感受性豊かな妹は、自分が見た悪夢を共有してしまったようだ。


 幾度となくソラと同じ悪夢を見たミーファは、物心ついてからは集落の獣人たちとしか付き合いがないにも拘らず、地上の人間に対して過度な恐怖を抱くようになってしまった。


 不必要にミーファを怖がらせてしまっていることに、ソラは非常に申し訳なく思うし、これまで何度も彼女に、辛い目に遭うから一緒に寝なくてもいいんだよ、自分の代わりにシドが一緒に寝てくれるんだよ、と諭してきた。


 だが、ミーファは頑なに首を縦に振らず、何度言ってもソラと一緒に寝ると言って聞かなかった。


 度々怖い目に遭うのに、それでもミーファがソラと一緒に寝るのは、甘えたいという思いもあるかもしれないが、予知夢の後にソラが人知れず落ち込むのを知っているので、彼女なりに慰めてくれているのかもしれなかった。


 ただ、その所為でシドにミーファに嫌われているかもしれないと、密かに相談を受けたことがあったのだが、それはまた別の話だ。


 だからそんなミーファが無邪気に甘える浩一という存在を、そして、今日まで自分たちを育て見守ってくれたシドの二人を、妹のためにもどうにかして助けたいとソラは思った。



 ソラは心優しいミーファの頭を優しく撫でると、起こさないように気を付けながらベッドから降りる。


「ひぅ……」


 ヒンヤリとする木の床に驚いて思わず尻尾がピンと張るが、ソラは気を取り直して足音に気を付けながら出口と思われる扉へと近付く。


「…………」


 扉に頭の上に大きな耳を当てて、外に誰もいないことを確認したソラは、静かに扉を開けようとするが、


「……開かない」


 建付けが悪いのかと思って何度かガタガタと揺らしてみるが、どうやら鍵がかかっているようだった。

 ならば残された道は、声を出して外にいる者に助けを呼ぶことだが、


「…………」


 果たして外に誰がいるかもわからないのに、声を上げていいものかわからず、ソラは扉の前で躊躇してしまう。


「……ううん、迷っている場合じゃない」


 今こうして手をこまねいている間にも、浩一たちの身に危機が迫っているのだ。

 いつまでも浩一たちに守られてばかりのお姫様ではいられない。


「よし……」


 決意を新たにしたソラは大きく頷くと、大きく息を吸って外にいる誰かを呼ぼうとする。

 …………だが、


「――ッ、ゲホッ! ゲホッゲホッ!」


 声を上げようとしたところで、再び激しい胸の痛みと共に呼吸が苦しくなり、ソラは胸を押さえてその場に蹲る。


「ゲホッ……ど、どうして」


 声を上げるという簡単なことができないのか。


「私が……私のわがままが悪かったの?」


 何一つできない自分を嘆きながら、ソラは倒れる前のことを思い出す。




 実は、ソラが予知夢を見るのは本日二度目だった。


 それは家事を一通り終え、夕飯の支度を終えてひと時の休みを取ろうとした時のこと。

 いつもより疲れが溜まっていたのか、自室で軽く休むつもりで横になったのに、いつの間にか深い眠りに落ちてしまったのだ。


 そこでソラは、今晩起きるであろう予知夢を見てしまう。

 それは、自分の姉と気になるあの人が、自分とミーファが寝静まった後に逢瀬を愉しむ姿だった。


 傷付き、死線を潜り抜けてきたはずの二人が、どうして想いを確かめ合うようになったのかはわからないが、激しく、情熱的に互いを求める様を見てしまったソラは大いに混乱した。


 猫人族ねこびとぞくのレンリから、それが一体どういった意味を持つかは聞いていたが、初めて目の当たりにする男女の営みは、まだ少女であるソラには刺激が強過ぎた。

 また、それと同時に彼女にある感情が芽生える。


 それは、浩一を姉であるシドに奪われたくない、だ。


 これまでソラは、浩一とシドが恋仲になることに対して特に思うことはなく、むしろ応援したいと思っていた。

 ただ、そう思っていたのは表面上のことだけで、シドの幸せそうな顔を見ていたら、自分もその幸せにあやかりたいと思った。


 だってそうだろう。浩一が今、こうして生きていられるのは、自分の予知夢のお蔭でもあるのだから……

 そんな初めて芽生えた嫉妬という感情に、ソラは驚きながらも、膨れ上がる想いはもうどうにも止めることができなかった。


 どうすれば二人の逢瀬を邪魔することができるのか。

 その後もどうにか二人の間に割って入っていけば、いつか浩一が自分の方へと振り向いてくれるのではないだろうか。


(私だって……姉さんと同じ血を引いているんですから)


 大人になり、魅力的な女性になれば、浩一も黙っていられないはず。

 そう考えたソラは、先ずは今日の逢瀬を是が非でも止めようと思った。




 そうしてシドがミーファを寝かしつけるために席を外したタイミングを狙って、浩一へと声をかけようとした。

 そこまでは覚えているのだが、どうやらそのタイミングで意識を失い、こうして病院に運ばれてしまったというわけだった。

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