第354話 混沌の尖兵

 地下水路にその声が響いた瞬間、俺とシドはリムニ様を庇うように彼女を後ろに隠して立つ。


「ハハッ、随分と怯えているじゃないか。それだけ私のことが怖いのですか?」


 カツン、カツン、と硬質な足音を響かせながら、そいつが俺たちの前へと現れる。


「まさか、こんなに早く再開できるとは思いませんでした」


 暗闇を照らすカンテラを手に現れたブレイブは、俺たちを睥睨しながら唇の端を吊り上げて醜悪な笑みを浮かべる。


「てっきりコソコソ逃げ回ると思ったが、最後に確認した位置から殆ど動いていないとはね」

「そういうお前こそ、仲間も連れずに一人で来るとは余裕じゃないか」


 どういう風の吹き回しかわからないが、ブレイブは供を連れずに一人でいるように見える。

 それはまるで、獲物を前に舌なめずりをする獣、ゲームで言うところの舐めプをしているように見える。


 いや、実際に奴は俺たちを舐めているのだろう。


 アラウンドサーチを封じたといっても、ブレイブにはまだ手足のように動かせる自警団の連中がいるのにも拘らず、こうして単独で俺たちの前に姿を現した。

 そうしても尚、俺たちに勝てると踏んでいるのだろう。


 ……舐めやがって。


 俺は怒りで唇から血が出るほど唇を噛み締めながらも、シドと後ろにいるリムニ様を守ることが最優先だと自分に言い聞かせる。

 だが、このまま舐められっぱなしというのも面白くないので、俺はブレイブに挑発するように話しかける。


「おい、ブレイブ……いや、ユウキ!」

「…………」


 俺がその名を呼ぶと、ブレイブの顔から笑顔が消える。


「どうやら、まだ私のことを何処かの殺人鬼と混同しているようですが……」

「いや、お前は間違いないくユウキだよ」


 俺はブレイブの言葉を遮って、奴の目を向てハッキリと断じる。


「俺がお前の力のこと……俺と同じ力を持っていることに気付いていないとではも思うのか?」

「…………へぇ」

「俺もお前と同じ異世界からやって来た者だからわかる。手に入れた力を試したくってしょうがなかったんだろ? だが、他の職業と違い、俺たちに与えられたスキルは、索敵と相手を殺すことに特化した力だった。だから殺したんだ……何人も」

「コーイチ……」


 まるで人殺しをしたいと宣言するような俺に、シドが不安そうな顔で見てくる。

 そんなシドに、俺は心配ないと笑顔で頷いてみせながら叫ぶ。


「だけど俺はお前とは違う。欲望に溺れて、人殺しを愉しんだりしない! ここにいるシドやリムニ様……そして大切な人を守るためにしか、この力を使うつもりはない」

「そう……か」


 俺の決意を聞いたブレイブは、思わずゾッとするような不気味な笑みを浮かべる。


「残念だよ、コーイチ。同郷の君なら私の気持ちを理解してくれると思ったんですがね……」

「同郷……それはつまり認めるということか?」

「ああ、認めますよ。私も君と同じ、日本からやって来た召喚者であるとね」


 てっきりもっと舌戦が繰り広げられると思ったが、ブレイブ……いや、ユウキはあっさりと自分が日本からこのイクスパニアへとやって来たことを認める。


「実は私がここに来たのは、コーイチ……あなたをスカウトに来たんですよ」

「何……だと?」

「最初は地下の獣たちと一緒に死んでもらうつもりだったんですよ。あなたは、私が敬愛する団長のお気に入りでしたからね」

「……まだ、その話を引きずるつもりなのか?」

「当然ですよ。あの方は、私が見て来た人の中でもとびきり異質だ。特に、人を見抜く力がずば抜けている。そんなあの方に目をかけられたあなたは、きっと私の計画の脅威になる。だから潰すことにしたんですよ」


 てっきりクラベリナさんに気に入られた俺に嫉妬して、ユウキから恨みを買ったのだと思っていたが、どうやら違っていたようだ。


「それから私は、あなたを潰すために、色々と手を打ったんです。ええ、それはもう色々とね」

「色々……」

「ええ、せっかくですから、私がいかに働いていたかを教えて差し上げますよ」


 そう言ってユウキは、俺に仕掛けたという罠について話す。


「最初は藪の中に仕掛けたスライムです」

「なっ……あれもまさかお前が仕掛けたというのか!?」

「驚きましたか? まあ、スライム程度ではあなた達を脅かすことができなかったので、次はイビルバッドを用意したのですが……まさか団長が飼っている狼に殺されるとは思いませんでしたよ」


 おそらくそれは、初めてミーファと出会った時に、ロキが薬草と一緒に渡してくれたイビルバッドの目玉のことを指しているのだろう。


「全く、あの獣の邪魔さえなければ、今頃あなたはイビルバッドの餌となっていたはずなのに……どうしてかあなたは獣に好かれる質のようですね」

「…………」


 そう言いながら首を傾げるユウキは、どうやらアニマルテイムのスキルについては知らないようだが、敢えて教えてやる必要もないので黙っている。

 それより今は、他に確認することがある。


「……どうして」

「なんですか?」

「どうしてスライムやイビルバッドといった魔物が、お前の思う通りに動くんだ?」

「ああ、何だ。そんなことですか……それならこの状況を見れば、答えるまでもなくわかっているんじゃないですか?」

「この状況とは……ゾンビのことか?」

「ええ、そうです。つまりはそういうことです。私は選んだんですよ。自分の主が誰であるかを、ね」


 ユウキは薄気味悪い笑顔を浮かべ、自分の胸に手を当てると、恭しく一礼してみせる。


「はじめまして哀れな凡俗たちよ。私こそが、この世界を闇に落とす混沌なる者を復活させる尖兵、ユウキです」

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