第352話 マスクの下の素顔
発生した衝撃波は一瞬だけで、俺たちの体は水中を数メートル吹き飛ばされた程度で済み、水路の壁にぶつかることもなかった。
水の流れが穏やかになったのを確認した俺は、自分の腕の中にいるリムニ様の様子を確認する。
「…………」
どうやらリムニ様も大丈夫なようだな。
俺は必死の形相で腰にしがみついているリムニ様を見て、心の中でホッと一息つくと、水面を目指して泳ぎ始める。
だが、必死に腕をかき、足をバタつかせて水面を目指そうとするだが、俺たちの体は一向に浮上せず、むしろ沈んでいるような気さえする。
…………あ、あれ?
服を着た状態で、しかも人一人抱えた状態で泳ぐことは、こんなにも難しいものなのか。
水面までのたった一メートル浮上するだけなのだが、その距離が永遠に感じられるかのように俺たちの体は浮上しない。
……マ、マズイ。
十分に息を吸いこんで飛び込んだつもりだが、このままでは二人揃って溺れてしまう。
リムニ様に目を向けると、先程と変わらず目を閉じて、必死に俺にしがみついているが、その顔はとても苦しそうで、今にも気を失ってしまいそうであった。
かといって、俺が息を止めていられるのもそう長くはない。
「…………」
このままでは二人揃って溺死してしまうので、せめてリムニ様だけでも助けよう。
そう決意した俺は、リムニ様へと手を伸ばし、彼女を抱きか抱えようとするが、
「――っ!?」
その前に俺の襟首が何者かに掴まれ、物凄い勢いで上へと引っ張られる。
顔を上げると、水面に上がって来ない俺たちを心配してか、助けに来てくれたシドが力強く引っ張ってくれているのが見えた。
ああ……ありがとう、シド。
俺はこれで大丈夫だと確信して、リムニ様が落ちないようにしっかりと抱えながらシドに身を任せた。
程なくして、俺とリムニ様はシドによって陸に上げられる。
「ゲホッ……ゲホッゲホッ! あ、ありがとう。シド……」
「何、気にするな。人一人抱えて泳ぐことの難しさと、助ける術はよくわかっているつもりだからな」
「助ける術?」
「ああ、後ろからこう……ガッとな」
そう言いながらシドは、自分の首根っこを掴んで見せる。
「ああ、そういえば……」
溺れている人を助ける時は、シドが俺にやってみせた後ろから掴むのが正しい方法であることを思い出す。
……全く、シドにはいつも助けられてばかりだな。
床に仰向けに寝かされているリムニ様の様子を見ているシドの背中を見ながら、俺はこれからも彼女の隣に立っていられるように、もっと努力しようと硬く誓った。
「……それにしても」
リムニ様も無事であることを確認したシドは、呆れたようにかぶりを振る。
「まさかここでとっておきを使うとは思わなかったけど……これは恐ろしいな」
そうしてシドが見る先に、俺も目を向ける。
…………悪いとは思わない。
俺はシドたちを守るためなら、例え悪魔にでも魂を売ってみせる。
そうして見る先には、体中をズタズタに切り裂かれ、苦しそうに身悶えする黒の処刑人たちの姿があった。
先程俺が投げたのは、診療所を出る前にオヴェルク将軍からもらった、とっておきだという爆発する小瓶だった。
導火線となっている布に火を点け、五秒経つと中身が爆発し、目をくらます閃光と、衝撃波によって割れた瓶の破片と、中に入れられた金属の破片の礫が雨となって襲い掛かるというから、所謂、破片が飛び散る閃光手榴弾というところだろうか。
詳しい中身はわからないが、おそらく中身は光を生み出すマグネシウムと、爆発する火薬、そして被害を生む金属片が入っていたものと思われる。
試しにオヴェルク将軍に瓶の中身について聞いてみたが、頑なに何が入っているかは教えてくれなかった。
それだけあの小瓶が危険な物だと承知していたのだろう。
この世界に爆弾を作れるような火薬があったことも驚きだが、それをこうして殺傷兵器として運用できるようにしたオヴェルク将軍の柔軟さには頭が下がる。
だが、火薬の安定性には難があるようで、一つしか渡されなかったのは、他のは中身が不安定で、俺が走っている最中に爆発するおそれがあるからということだった。
そんな貴重な切り札を、こうして早々に使ってしまったのは痛手だが、毒の武器を前に無傷で切り抜けられる自信がなかったのだから仕方がない。
それに、ここでいつまでも休んでいるわけにはいかない。
連中が吹いた笛の音が何処まで響いたのかはわからないが、ここに増援が来るのは時間の問題だろう。
「…………よし!」
俺は気合を入れ直して立ち上がると、シドとリムニ様に話しかける。
「シド、リムニ様、疲れているかもしれないけど、もうひと踏ん張り頑張ろう」
「ああ、わかってる」
「無論じゃ。皆で何としても生き残るのじゃ」
俺の言葉に、二人とも力強く頷いて応えてくれる。
二人とも疲労は少なくないようだが、心はまだまだ元気なようだ。
俺はそんな二人を頼もしく思いながら、診療所へ向けて歩きはじめる。
すると、
「…………うっ…………ううっ…………」
全身にガラスや金属の破片が刺さり、絶命したと思った黒の処刑人の一人が立ち上がると、ゆらゆらと左右に揺れながらゆっくりとした動作で歩きはじめる。
「なっ……」
まさか、あれだけの攻撃を受けても死んでいないのか?
そう思っていると、残る三人の体も電撃が走っているかのようにもビクビクと痙攣しはじめる。
「な、何だこいつ等は……」
「何でもいい。今のうちに逃げるぞ」
流石にこれ以上は構っていられないと、シドが俺の手を引いてくる。
確かにシドの言う通り、こんな化物みたいな耐久力を持つ相手に戦うのは得策ではない。
幸いにも怪我の影響か、動きはかなり緩慢としているので、全力で走れば追いつかれることはあるまい。
そう思って走り出そうとする俺だったが、
「…………えっ?」
たまたまなのか、立ち上がった人影の顔のマスクが剥がれ、露わになった素顔を見て立ち止まってしまう。
「そんな、どうして……」
「おい、どうした。コーイチ」
シドが急かすように手を引いてくるが、俺は露わになった顔に釘付けになっていた。
何故ならその顔には、見覚えがあったからだ。
手足に無数の傷跡があり、左目に眼帯を付けたその顔は、違法風俗店で出会い、自警団に捕まって処刑されたはずの冒険者だったからだ。
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