第350話 黒の処刑人
俺が出した提案に、立ち上がったシドは額をぶつけそうな勢いで詰め寄ってくる。
「コーイチ、今自分が置かれている状況わかって言ってるのか?」
「わかってるよ。わかって上で一度戻ろうと提案しているんだ」
「何言ってんだ。あそこに戻ったら、追手がわんさかやって来るだろう。そしたらソラとミーファに危険が迫るじゃないか」
どうやらシドは例え僅かな可能性だとしても、大切な二人の妹を危険に晒したくないようだった。
「で、でも……」
俺は添え木を当てられ、包帯を巻いた上でもわかる、不自然に赤黒く変色したリムニ様の右手を指差す。
「こんな酷い怪我をして、ほっとくわけにもいかないだろ」
「それは……そうだけど。あたしとしては妹たちが何よりも大切なんだ」
「それはわかるよ。でも、だからと言ってリムニ様を見捨てていいなんてことはないだろう? そんなことをして、ソラやミーファが喜ぶと思うか?」
「でも……」
俺は必死の説得を試みるが、それでもシドは納得してくれない。
このまま話し合いは平行線をたどるかと思われたが、
「だ、大丈夫じゃ」
揉めだした俺たちを慮ってか、リムニ様が間に割って入るように声を出す。
「わ、我の怪我は問題ない……それより一刻も早く目的地を決め、安全な場所まで行くべきではないのか?」
「…………」
「…………」
その提案に、俺たちは少し熱くなって冷静さを欠いていたことに気付く。
「…………わかったよ」
そして、最初に折れたのはシドだった。
「確かに、ここでお嬢様を見捨てたら、あたしはあいつ等と同じ、ろくでなしになってしまうからな。」
「シド……ありがとう」
「……フン、べ、別にコーイチに頼まれたからじゃないからな」
まるでツンデレのテンプレ台詞を吐いたシドは、顔を赤くさせながら唇を尖らせる。
「と、とにかく早く行くぞ。後は大ネズミに襲われないように、忌避剤をしっかり振りかけるのを忘れるんじゃないぞ」
「ああ、任せてくれ」
一先ずの方針を決めた俺たちは、リムニ様の怪我を治療するため、診療所を目指して移動を開始する。
「……よし、大丈夫だ」
状況を確認するため、先行していたシドが声を潜めながら手招きしてくる。
「行きましょう」
「うむ……」
俺はリムニ様と手を繋ぎながら、互いをカバーし合うように静かに通路を歩く。
可及的速やかに目的地である診療所まで向かいたいが、俺たちの進む足は、予定より大幅に遅れていた。
その主な要因は、この地下水路に全く慣れていない一人の少女だった。
「のわっ!?」
「リムニ様!」
滑って転びそうになるリムニ様に、俺は慌てて手を伸ばして転びそうになる彼女をどうにか支える。
「大丈夫ですか?」
「う、うむ……すまない我が足手まといなばかりに……」
そう言いながらも、リムニ様の視線は通路のすぐ脇を通る水路へと注がれている。
視界が利かない状況では、自然と聴覚が普段より鋭敏になるから、水路を流れる水の音に必要以上に気が散ってしまうのかもしれない。
俺はリムニ様を安心させるように水路側へと立つと、手を伸ばして彼女の頭を撫でる。
「気にしないでください。無理はしなくていいですから、一歩一歩、着実に進みましょう」
「うむ……迷惑をかけるな」
「ハハッ、もっと頼ってくださっていいんですよ」
変わらず水路を見続けるリムニ様を励ましながらも、俺は先を行くシドをチラリと見る。
「…………」
特に言葉を発してはいないが、シドは明らかにイラついているようだった。
それも無理はない。リムニ様の運動能力が決して劣っているわけではないと思うのだが、一寸先も見えない状況で、決して広くはない道幅に湿って滑る足場、これだけの悪条件が揃えば進む足はどうしても遅くなる。
しかも、
「リムニ様、やっぱり俺が背負いましょうか?」
「いや、ならぬ……気持ちはありがたいが、それではいざという時に、我の所為で、コーイチに危険が及ぶ」
いくら手を貸そうと進言しても、リムニ様は頑なにその意見を受け入れてくれなかった。
確かにリムニ様の言うこともわかる。
リムニ様を背負うとなると、早く移動することができても、両手が塞がってしまい、体力の消費も激しくなるので、自警団の連中に不意打ちを仕掛けられたら、成す術なくやられてしまうだろう。
だが、自警団の連中は、この地下水路を移動するのにカンテラを持ち歩いているだろうし、こちらには暗闇でも問題ないほどの夜目を持つシドがいる。
故に、そんないざという時は訪れないと思うんだけどな……、
そんなことを思いながら、シドに向かって肩を竦めていると、
「――っ、コーイチ!」
突如として、リムニ様が俺の手を取って思いっきり引っ張って来る。
「おわっ!?」
リムニ様の非力な力とはいえ、濡れた足場で踏ん張りが利かない俺は、彼女の体に覆いかぶさるように倒れてしまう。
「おい、何やってるんだ!」
傍から見れば、俺がリムニ様を押し倒したように見えるシチュエーションに、シドが苛立ったように声を荒げると、こちらに向かって駆け出す。
すると、
「馬鹿者! 水中じゃ!」
俺の腹の下で、リムニ様がシドに向かって鋭く叫ぶ。
「足元、刺客が来ておるぞ!」
「……えっ?」
リムニ様の声に反応して、シドが視線を下に向けると同時に、水面が激しく揺れ、水中からシドを貫くように二本の槍が生えてくる。
「んなっ!?」
水中から不意打ちにシドは驚きながらも、リムニ様の忠告のお蔭か、背後に飛びながら全ての槍を回避してみせる。
「えっ……」
突然の事態に驚きながらも、そこで俺はつい先程自分が経っていた場所に、細い棒のように見える杭が突き立てられていることに気付く。
「い、一体何が?」
もし、リムニ様が俺を引き倒していなかったら、今頃あの杭は、俺の足を貫いていただろうと思いながら、俺はリムニ様の顔を見やる。
「……来たか」
リムニ様は水中を油断なく睨みながら、腹の下からゆっくりと身を起こしながら話す。
「気を付けろコーイチ。奴等はこの街を裏から守る、自警団の特殊部隊じゃ」
「自警団の……」
「ああ、その名も黒の処刑人じゃ」
「黒の……処刑人?」
俺がその名を呟くと同時に、次々と人影が水中から
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