第345話 二人のコーイチ
リムニ様が俺の胸に顔を埋め、むせび泣きしている間に、シドが彼女の折れた指を慣れた手つきで応急処置してくれた。
「ずび………………すまぬ。もう、大丈夫じゃ」
思いっきり泣いて少しは落ち着いたのか、リムニ様が鼻を啜りながら俺に頭を下げる。
「コーイチには、みっともないところを見せてしまったな」
「いえ、そんな……」
リムニ様は子供なんだから、そんな体裁を気にする必要はない。そう言おうと思ったが、きっとそれは、リムニ様のプライドを傷つけることになるだろう。
代わりに俺は、リムニ様の肩を掴んで顔を上げさせると、二カッと笑ってみせる。
「大丈夫です。リムニ様が泣いたことは、俺とリムニ様だけの秘密にしておきますから」
「そ、そうか……すまぬな」
リムニ様は顔を赤面させながら小さく頷くと、添え木と一緒に巻かれた右手を見て、シドにも深々と頭を下げる。
「それと……シド姫。お主にも礼を言わせてくれ。嫌いである人間である我に、こんな手厚い看護をしてくれて、心から礼を言う」
「べ、別に……あたしはただ、コーイチに頼まれたからやっただけだ」
「それでもだ。本当にありがとう」
「……気にしなくていい。あたしにも、あんたぐらいの妹がいるからな」
「そうか……」
素っ気なく応えるシドに、リムニ様は特に気にした様子もなく、微笑を浮かべて彼女の手を取って下から上目遣いで話しかける。
「その……よかったら今度、シド姫の妹にも挨拶させてくれないか?」
「それは、あんたが薄汚い地下に来るということか?」
「そうじゃ、お主たち獣人には、特に次女のソラ姫には、伝えておきたい大切なことがあるのじゃ」
「ソラに?」
「ああ、実はな……」
そう前置きして、リムニ様が口を開こうとするが、
「――っ!?」
何かに気付いたシドが、耳をピクリとさせながら周囲へと首を巡らせる。
「……シド?」
「コーイチ、索敵だ」
「えっ? あ、ああ……」
シドの有無を言わせない迫力に、俺は頷きながら慌ててアラウンドサーチを使う。
すると、
「えっ?」
俺の脳内に、接敵を示す動いている赤い光点が次々と現れる。
しかもその赤い光点は、俺たちがいるマーケットを目指しているのか、真っ直ぐこちらに向かって来ていた。
どうして? 等と悠長に考えている場合ではない。
俺はさらに索敵範囲を広め、まだ自警団の連中が現れていない方向を見当付けると、目を開けてアラウンドサーチを解除してシドたちに話しかける。
「……どうやらここに追手の連中がやって来るようだ。すぐにでも移動しよう」
「わかった。何処に行くのかは決めたのか?」
「街の南側へ……そっちはまだ敵が少ない」
「わかった。すぐに準備しよう」
「頼む……」
シドが頷くのを確認した俺は、シドと手を繋いだままのリムニ様へと顔を向ける。
「……というわけです。また、移動となりますが走れますか?」
「無論じゃ」
リムニ様は自信に満ちた笑顔を浮かべながら大きく頷く。
「こう見えていざという時のために、我は普段から足腰だけは鍛えておるのじゃ」
そう言ったリムニ様は、着ているいかにも仕立ての良さそうな白いフリフリの寝間着の裾へと手を伸ばすと、ビリビリと勢いよく破って自分の腰の辺りで一つにまとめて縛る。
そうすると細くてしなやかな足や、吐いている下着がちらと見えそうになるが、リムニ様は全く気にした様子もなく「フン」と鼻を鳴らしながらニヤリと笑う。
「これで移動も問題ない。さあ、早く参ろうぞ」
「は、はい、わかりました」
気合十分のリムニ様の勢いに圧されるように俺は頷くと「こっちです」と逃げる方向を師事しながら無人の屋台を後にした。
マーケットを後にした俺たちは、そこから南側へと移動して、グランドの街に来て俺たちがかつて定宿にしていた建物の近くまでやって来た。
ただ、この辺りはどの通りも道幅が広く、下手に姿を晒すとすぐに見つかってしまうので、今は大きな用水路に架けられた橋の下に身を潜めて、索敵に勤しんでいた。
アラウンドサーチがあれば、どれだけ見張りがいようとも、華麗に掻い潜って目的地まで辿り着ける。
そう思っていたのだが、
「…………妙だな」
目を開けてアラウンドサーチを解除しながら、俺はどうしたものかと首を捻る。
「どうかしたのじゃ?」
すると、俺のすぐ隣でしゃがんで休んでいたリムニ様から声がかかる。
「何か気になることでもあるのか?」
「ああ、はい。実は、奇妙なことがありまして……」
「奇妙なこと?」
「はい、何だか何処に行っても、すぐに追手が来るなと思いまして……」
そうなのだ。俺は確かにアラウンドサーチを使って、敵がいない方、いない方へと逃げているはずなのに、どうしてかすぐにさらなる追手がやって来るのだ。
一応、完璧な先読みの域まではいっていないようで、これから逃げようとしている先を封じられるようなことはないが、それでもこの対応力の早さは異常だと思った。
「なるほどな……」
俺から話を聞いたリムニ様は、小さく首肯しながら自分の考えを話す。
「その話を聞くと、何だかコーイチが二人おるようじゃな」
「えっ?」
「だってそうじゃろ? コーイチが敵の動きを見て逃げる方向を探しているのなら、向こうはそれを見て、我たちを追いかけているとしか考えられんじゃろ」
「あ、ああ……ああっ!?」
「な、何じゃ、急に大声を出して」
「す、すみません」
思わず響いた大声に、驚いて目を丸くさせるリムニ様に謝罪しながら、俺は自分があることを失念していたことに気付く。
それは、正式に俺たちに敵となったブレイブの存在だ。
もし、やつがブレイブではなく殺人鬼のユウキだとしたら、バックスタブだけじゃなく、他のスキルも俺と同じように持っていることになる。
それはつまり、奴もアラウンドサーチを使えるということではないだろうか?
いや、今のこの状況を考えれば、そうとしか考えられない。
であるならば、根本的に逃げ方を変えなくてはならない。
「駄目だ。コーイチ、この先の道も既に自警団の奴等に塞がれた」
すると、この先の道を探っていたシドが戻ってきて逼迫した様子で話す。
「クソッ、どうしてあたしたちが行く先、行く先に奴等が現れるんだ」
「そのことだけど……どうやら逃げ方がマズかったようだ」
「どういうことだ?」
眉を顰めるシドにゆっくりと説明したいところだが、今はその時間すら惜しい。
俺は橋の下にある用水路へと続く入口を指差しながら、シドに現状を打破する逃げ道を提案をする。
「とりあえず、街の地下に入ろう」
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