第342話 乱入者

「――っ!?」

「おっと、もう絶叫はコリゴリですよ」


 堪らず叫び声を上げようとするリムニに、エスクロは彼女の髪から落ちた赤いリボンを拾い、口に突っ込む。


「どうせもう死ぬ身です。ただ、その前にあなたが持っているネームタグは少々厄介なので、処分させてもらいますよ」


 そう言って、リムニの右手の平の中に突き刺したナイフを引き抜く。

 赤く血濡れたナイフの切先には、リムニの中に入っていたであろう金色に輝くネームタグが刺さっていた。


「それっ!」


 リムニから無理矢理取り出したネームタグを、エスクロは床に叩きつけてから先の尖った靴で思いっきり踏みつける。

 すると、エスクロの足元からパキッ、というネームタグが割れる音が聞こえる。


「ふむ、管理者用の専用ネームタグも、脆さは普通のネームタグと一緒のようですね」


 頷きながらエスクロが足をどけると、粉々に砕かれたリムニのネームタグがあった。


「ふぅ…………ふうううぅぅ!!」


 粉々に砕かれたネームタグを見て、リムニの目から涙が溢れ出す。


「ククク……リムニ様、悲しいですか? これで、あなたのことを覚えている人は誰もいなくなってしまいましたね?」

「…………」

「あっ、でも管理者である私は勿論、それと今回の計画を立ててくれたブレイブ、ジェイドの三人は覚えていますから安心して下さい。リムニ様が死んだ後、三人であなたのことを肴に祝杯をあげますよ。そう……騙されてることに気付かず、必死に足掻いた馬鹿な子供がいたってね? フヒッ、フヒヒヒヒ……」


 そう言い放ったエスクロは腹を抱えながら、盛大に笑い出す。


「…………」


 そこまで侮蔑の言葉を並べられても、リムニは何の反応も示さない。

 この街でネームタグを失うことを十分に理解しているリムニは、自分が死に体も同然となったことを理解し、茫然自失状態に陥っていた。


「……何だ。せっかく泣き喚くと思ったのに、もう動かないじゃないですか」


 笑っていたエスクロは、ピクリとも動かないリムニを前に大袈裟に肩を竦める。


「ほらほら、リムニ様? これが見えますか?」


 エスクロはリムニの傍で腰を落とすと、からかうように手にしたカンテラを彼女の眼前で振ってみせる。


「ほらほら、何か反応して下さいよ。いつもみたいに、やめぬか!? とか言って怒ってくださいよ」


 しかし、エスクロがカンテラをいくら激しく揺さぶっても、顔にぶつけてみても、リムニはされるがままで一切の感情の波は起きない。


「………………つまらん」


 完全に壊れてしまったリムニに、エスクロは興味を失ったように唾を吐きつける。

 よく手入れされた艶やかな髪に唾が付いても、眉一つ動かさないリムニを見て、エスクロは呆れたように大きく息を吐く。


「それじゃあ、名残惜しいですがここでお別れです」

「…………」


 エスクロが血塗られたナイフをリムニの首筋に当てても、彼女はピクリとも動かず、目から涙を流し続けていた。


 もう、何をしても無駄だと悟っているリムニは、生きることを放棄していた。

 願うのは、一刻も早く自分も死んで、先に逝ってしまった爺や父親に会いたい……リムニの心の中は、その一心だけだった。


「……チッ」


 ただ、そんなリムニの反応を、エスクロは面白くないと思っていた。

 本当ならリムニをもっと極限まで追い詰め、体も心も蹂躙し尽くしてから殺してやろうと思っていたのに、余りにも呆気ない幕切れになってしまった。


「……まあいいでしょう」


 リムニが死んでも、まだ獣人たち……特にレドが遺した三人の娘たちがいる。

 聞いたところ、三姉妹の長女はかなりの器量よしと報告を受けたから、お愉しみはそいつにとっておけばいいだろう。


「それではリムニ様。これで、さよならです!」


 今後の算段をつけたエスクロは、リムニを殺すためにナイフを持った手を振り上げる。




 その瞬間、振り上げたエスクロの右手に何かが巻き付き、動きを阻害する。


「な、何ですか?」


 いきなり動かなくなった手を、エスクロは不思議に思いながら見上げる。

 すると、


「エスクロ様!」


 何かの異変に気付いたブレイブが見えない空中に向けて手を振って何かを放る。


「おわっ!?」


 キラリと光る小さな破片のような物がエスクロの頭上を通り過ぎると同時に、拘束が解けたエスクロは、思わずバランスを崩す。

 さらにそこへ、走り出していたブレイブが、エスクロの巨体に体当たりをする。


「ぶべらっ!?」


 不意打ちを受けたエスクロは、豚のような悲鳴を上げながら吹き飛び、地面を転がって壁に背中を強かに打ち付ける。


「ぶびっ!? な、何をするんですか?」


 起き上がったエスクロは非難の目をブレイブへと向けるが、青と白を基調とした自警団の制服姿の男は、背中を向けたまま静かに口を開く。


「エスクロ様、危険ですので身を起こさないように」

「な、何故だ?」

「侵入者です。どうやら身の程知らずの虫が紛れていたようだ」


 ブレイブがそう呟くと同時に、天井の一部が剥がれ、マホガニー材のような重厚な板と共に人影が一つ、ひらりと舞い降りてくる。


「ハハッ、まさか本当に現れるとは思わなかったぞ」


 現れた人影を見て、ブレイブはニヤリと口の端を吊り上げて笑う。


「大方、リムニ様のピンチに現れる正義の味方ってとことか。自由騎士様よ?」

「…………ブレイブ」


 嘲笑するようなブレイブの言葉に現れた人影、浩一は鋭い眼光で二人の男を睨んだ。

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