第340話 造反

 浩一たちが、屋敷へと潜入する少し前――


 屋敷の三階、その最奥にある領主の部屋……その手前にある部屋の扉を激しく叩く音に、部屋の主である小さな少女は驚いて飛び起きる。


「……な、何じゃ?」

「リムニ様、私です。エスクロです」

「エス……クロ?」

「そうです。あなたの忠実な僕であるエスクロです」

「…………」


 忠実な僕と自ら名乗るエスクロに、白いフリフリの寝間着に、星をあしらったナイトキャップ姿のリムニは眉を顰める。


(何が忠実な僕じゃ。我がおらぬ間に、お主が何をしているか知らぬと思うてか)


 自分がいない間に、エスクロ主催で罪人の処刑を行っていることを知ってはいるのだが、それについて言及も糾弾もできない自分を棚に上げて、リムニは怒りを露わにする。


 何故なら、リムニは自分がお飾りの領主であることを痛感していたからだ。


 誰もが自分のことを「リムニ様」と呼んで慕ってくれてはいるが、その裏では役立たずのお子様領主、体のいい操り人形と揶揄しているのも彼女は知っていた。

 だが、それも無理はない。

 だって自分はただ亡き父親の跡を継いだに過ぎない、何の実績もない子供なのだから。


 一応、リムニ自身が秘密裏に動いている案件もあったりするのだが、それは領主たる自分と、本当にごく限られた一部の人間だけが関わっているので、エスクロたちは彼女の努力を知るはずもない。


 だからせめて、自分が成人して皆が真に領主として認めてくれるまでは、歯痒いが表向きは傀儡政権を認めてやろうと思っていた。

 しかしそれは領主としての仕事の話であって、こんな夜遅くに私室にまで小汚い肥満の男を迎え入れる気は、リムニはさらさらなかった。


 だが、こうしてわざわざやって来たのなら、用件だけは聞くべきだろう。リムニは扉の前で大きく嘆息しながら、外にいるエスクロへと話しかける。


「それで、こんな夜遅くにレディの部屋に何用じゃ?」

「それは……扉越しではなんですから開けていただけませんか?」

「んなっ!?」


 デブで不潔で、それでいて全く似合っていないカイゼル髭を自慢そうに見せびらかしてくる大嫌いな男に、どうして顔を見せなくてはいけないのだ。


「このっ……」


 思わず出かかった罵詈雑言の言葉を、リムニはすんでのところで踏み止まり、下唇を噛む。


 非常に……本当に不本意なのだが、リムニはこのエスクロという男の、その醜悪な見た目に反して、きっちりと仕事をこなす手腕を買っていた。

 クラベリナ不在の今、ここで余計なことを言って奴の不興を買えば、自分の身だけでなく、この街に住む無辜むこな民にまで害が及ぶかもしれない。


 自分一人だけが嫌な思いをすればいいのなら、我慢すべきなのは自分だ。

 一瞬で判断したリムニは、


「……待ってろ。今開けてやる」


 不本意ながら、エスクロの要求を飲むことにした。




 そうして、リムニが扉の鍵を開くと同時に、


「やれ!」


 鋭いかけ声と共に、複数の人影がなだれ込んで来る。


「なっ……」


 驚いて声を発する暇もない。

 英才教育のお蔭で、年の割に相当な知識を蓄えたリムニではあるが、それ以外は何の力も持たない十代の少女も同然、複数の成人男性相手にあっという間に赤い絨毯の上へと組み伏せられてしまう。


「なっ!? お、お前たち……」


 リムニは自分を拘束した男たちを見て、驚愕に目を見開く。

 男たちは揃いの衣装、青と白を基調とした法衣を思わせる自警団の制服を着ていたのだ。


 どうして? と頭が混乱してどうにかなりそうになるが、リムニは今回の元凶であると思われるエスクロに向かって怒鳴る。


「クッ、は、早く我の拘束を解け! 今ならほんの戯れとして、見逃してやらんこともないぞ!」


 三人の男に手足を拘束され、地面に突っ伏して尚、涙も見せずに下卑た笑みを浮かべているエスクロに啖呵を切るリムニの胆力は、相当なものだろう。


「どうした。早くせぬか!」

「グフフ……いやはや、この状況でそれだけ冗談が言えるのはたいしたものですな」


 顔を真っ赤にして怒るリムニを見て、エスクロは脂肪がたっぷり詰まった腹を揺らしながら笑う。

 すると、


「リムニ様!」


 屋敷内の異変に気付いたリムニの執事である老紳士が現れる。

 その手には抜身の刃が握られており、


「――っ、エスクロ! 貴様、血迷ったか!」


 状況からエスクロの謀反を見抜いた老紳士は、肥満の不届き者へと斬りかかる。


 だが、


「処分しろ」


 エスクロが一言そう命じると、老紳士の後ろに音もなく黒い影が現れる。

 次の瞬間、老紳士の胸部を突き破るように、鉄の刃が生えてくる。


「がはっ!?」


 胸を貫かれた老紳士は、口から大量の血を吐きながらうつ伏せに倒れる。

 背中から胸にかけて開いた穴からは、とめどなく血が流れ、絨毯を赤黒く染めながらも、老紳士は最後の力を振り絞ってリムニへと手を伸ばす。


「リ、リムニ様…………」

「――っ、爺!」

「どうか……お逃げ…………下さい………………わたしのことは……見捨て……て」


 誰もが自分を軽視する中、クラベリナと並んで献身的に自分に尽くしてくれた老紳士の言葉に、リムニの目から涙が溢れ出す。


「だ、誰か……爺を……ひぐっ…………爺に手当をしてやってくれ!」


 嗚咽を堪えながら必死に懇願するリムニの声に、応えるものはいない。


「誰か……頼む…………爺を…………」


 それでも尚、リムニは一縷の望みに託して涙声で臣下の助命を乞う。


 すると、


「いいでしょう」


 リムニの声に応えるものが現れる。


「ほ、本当か?」


 地獄に垂らされた一本の糸の如くもたらされた救いの言葉に、リムニは嬉しそうに顔を上げる。

 だが、その喜びの顔は一瞬にして凍り付く。


 何故なら、


「リムニ様の希望にお応えしてあげますよ」


 そう話すのは、今しがた老紳士の背中を貫いた血塗られた剣を手に、ニヤニヤと笑うブレイブだったからだ。


「やめ……」


 これからブレイブが行うことに気付き、リムニの顔から血の気が引く。

 対して醜悪な笑みを貼り付けたブレイブは、床に伏す老紳士の背後に立つと、手にした鉄の剣を振り上げる。


「お願いじゃ…………やめてくれ!」


 そうじゃないと必死にかぶりを振るが、ブレイブは全く意に介さない。


「安心して下さい、今、彼を楽にしてあげますからね」


 それどころか老紳士に止めを刺すため、嬉々として剣を振り上げる。

 その顔には狂気が宿り、今から行うことが嬉しくて堪らないといった様子だった。


「お願いじゃ。やめろ……やめてくれえええええええええええええええぇぇぇ!」


 リムニの必死の願いも空しく、狂気の刃は容赦なく振り下ろされた。

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