第329話 頼れるあの人

「……コーイチ?」


 部屋を飛び出してすぐ、調度階段を上がって来たシドと鉢合わせする。

 どうやらミーファを寝かしつけることに成功したのか、眠っている妹を胸に抱いたシドが話しかけてくる。


「どうした。何かあったのか?」

「ソラが……血を吐いて倒れた」

「な、何だって!?」


 俺の言葉に、シドは血相を変えて背中で息も絶え絶えとなっているソラへと駆け寄る。

 ソラの額に手を当て、その余りの熱さに驚いたシドは、


「ど、どうしよう……こんな苦しそうなソラ、初めて見る」


 見るからに狼狽した様子で、俺に目を向ける。


 きっと俺も、さっきまでシドと同じような顔をしていたのだろう。

 だが、こうして取り乱している者が近くにいると、不思議と冷静になれるものだ。


「シド……」


 俺は今にも泣きそうになっているシドを安心させるように、穏やかな笑みを浮かべる。


「大丈夫。俺に考えがある」

「……本当に?」

「ああ、今からソラを医者に見せに行こう」

「……はぁ?」


 俺の意見に、シドはこれでもかと露骨に眉を顰める。


「……コーイチ、それ、本気で言っているのか?」

「こんな時に冗談を言うほど、空気の読めない男じゃないよ」

「そ、それは知ってるけど……一体何処に医者なんかいるんだよ」


 そう言うシドの懸念は尤もだ。


 この集落には、医術の心得がある者がいない。


 何故なら、獣人たちは普通の人間と比べてかなり丈夫で、殆どの者が風邪一つ引くことはなく、俺がここに来てからただの一人も風邪は疎か、具合が悪くなった者も見たことがない。

 故に、俺のソラを医者に見せるという発言は、シドからしたら常軌を逸した発言に聞こえるかもしれない。

 だが、


「実は、医術に心得がある者に心当たりがあるんだ」

「それって、まさか人間じゃないだろうな」

「勿論、人間だよ。この集落に医者がいない以上、他に選択肢はないだろ?」

「でも……」

「大丈夫。俺を信じて任せて欲しい」


 逡巡するシドに、俺は笑顔を浮かべて頷く。


「おそらくだけど、その人は俺たちに縁のある人だから」

「……まさか」


 俺が言いたい人物に思い立ったのか、シドが顔を上げてこちらを見てくる。

 シドの期待するような顔に頷いて応えながら、俺はその人物の名を告げる。


「その人はマーシェン先生。そして、三日に一度この集落に着ていた行商人だよ」




 仮面を付けた行商人の正体は、孤児院を経営しているマーシェン先生である。


 初めて会った時から何となくそんな気はしていたのだが、その疑問が確信に変わったのは、行商人の過去の話を聞いた時だ。

 行商人がノルン城で自由騎士たちを指導していた経験があり、グランドの街へと移住してきたという話を聞いた時、マーシェン先生がこの街で戦士の育成をしていたことを思い出した。


 その教え子の中で、最も優秀だったのが冒険者ギルドのギルドマスターであるジェイドだが、彼とマーシェン先生の間に今も深い繋がりがあるとは思えない。

 それは、この集落に行商にやって来るマーシェン先生の獣人に対する想いから見ても、嘘を吐いているようには見えなかった。


 それに、ミーファと初めて会った時も、まるでそこに彼女がいるのを知っていたかのように、俺にジェリービーンズを持たせてくれた。

 あれが偶然でないと考えれば、マーシェン先生こそが行商人であると考えても何ら不思議ではなかった。




「……ここだ」


 久方ぶりに地下から出てやって来た孤児院は、この数カ月でさらに寂れてしまったかと余計なことを考えてしまうほど、相変わらず今にも朽ちそうな見た目をしていた。


「……ボロボロだね」


 俺と手を繋いでいるミーファが、孤児院の感想を口にしながら首を傾げる。


「あのなかに、ソラおねーちゃんをみてくれるおいしゃさまがいるの?」

「そうだよ。マーシェン先生っていう、とっても偉い人お医者さんなんだよ」

「ふ~ん」


 俺の説明に、ミーファは理解したのかどうかわからないリアクションを取った後、俺の手から離れ、とてとてとシドの手の中でぐったりとしているソラへと駆け寄ると、小さな手で彼女の手を握る。


「ソラおねーちゃん、きっとよくなるからね。そしたらミーファと、また遊んでほしいな……」

「…………」


 涙ながらに語るミーファを見ながら、俺はシドと顔を見合わせて苦笑する。


 当初、ミーファは集落に置いてくるつもりだったが、シドの異変に気付いて起きた彼女は、それはもう泣きに泣いた。

 いくら外に出るから危険だと言っても、頑として残ることを了承してくれないミーファに、最終的に俺たちの方が根負けしてしまったというわけだ。


 だが、こうしてソラを心配するミーファを見て、間違っていたのは俺たちの方だったと思った。

 ミーファの励ましに、ソラは言葉で応える余裕はないものの、それでも小さく手を振り、必死に生きようと頑張っている。


 やはり、家族は一緒にいるべきだな。

 改めて三姉妹の絆を強く感じながら、俺は孤児院の敷居を跨いで入口のドアをノックする。


「マーシェン先生! 師匠! 俺です、浩一です。開けて下さい!」


 ここまで来れば、もう身分を隠す必要もないので、俺は扉を激しくノックしながら、中にいるマーシェン先生へと呼びかける。


「ソラが……血を吐いて倒れたんです。もう、頼れるのはマーシェン先生しかいないんです。お願いします。助けて下さい!」


 そうして何度か扉を叩きながら呼びかけ続けていると、


「…………何じゃ」


 ギギギ、と扉が軋む音を立てながら、孤児院の中からマーシェン先生が姿を見せる。


「マーシェン先生……いえ、師匠! 助けて下さい」

「な、何じゃお主は……」

「とぼけないで下さい。今は一刻を争うんです」


 呆然と立ち尽くすマーシェン先生に、俺は詰め寄りながら捲し立てる。


「俺です。地下であなたに鍛えてもらった浩一です。今日、ここに来たのは、ソラの容体が急変したからです。このままだと、混沌たる者が復活してしまうかもしれません」

「ちょ、ちょっと待て。少し落ち着くのじゃ」


 詰め寄る俺に、狼狽した様子のマーシェン先生は俺と、後ろに控えるシドたちを見る。


「よくわからんが、つまりはそこの獣人の娘を診ろということじゃな?」

「そうですけど……俺のこと、本当に覚えていないんですか?」

「しつこいぞ! こっちは毎日何人も患者を診ているが、何処の誰かを忘れるまで耄碌もうろくした覚えはない」

「そ、そんな……」


 まさか、行商人の正体はマーシェン先生ではなかったのか?

 確かに言われてみれば、毎日何十人と患者を見ているマーシェン先生が、三日に一度の頻度で獣人の集落に来られるかと問われると、現実的ではないような気がする。


 じゃ、じゃあ、あの行商人は一体誰なんだ?

 そんなことを考えていると、


「……全く、相変わらずお前は、肝心なところで抜けておるな」

「……えっ?」


 後ろから聞きなれた呆れたような声が聞こえ、振り向く。


「師匠を間違えるような不義理な弟子を持って、私は悲しいよ」


 すると、いつもの白い仮面を付けた行商人が、呆れたように俺を見ていた。

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