第八章 希望の明日へ

第328話 急変する容体

 地下でラブコメチックなやり取りがあった俺たちだったが、集落に戻ってからが大変だった。



 集落最強の集団だったベアさんたち全員の戦死、明後日に来るという集落を襲う自警団たちという二大ニュースは、一瞬にして集落全体へと広められた。

 その後、話し合われた今後の方針については、てっきり難航するかと思われたが、


「今は生き残ることを最優先にしよう。あたしたちは、ベアたちの分まで生きるんだ」


 というシドの鶴の一声で、あっさりと結論が出た。

 例え故郷を失っても、獣人王の忘れ形見であるシドの影響力は、まだ大きいということだろう。


 ただ、猫耳の猫人族ねこびとぞくの女性、違法風俗店でナンバーワンだったレンリさんには、


「それで、そのもう一人の自由騎士が裏切っていたら、私たち全員終わりじゃない?」


 と、しっかりと痛いところを釘刺された。

 そうなのだ。自警団が来る前にこの街を出ると決めたのはいいのだが、その提案者が自警団に所属している泰三だというのが問題だった。


 ただ、俺は泰三に賭けてみたいと思っていた。


 その理由は、俺との記憶は失っても、それ以外の部分は……あいつの芯の部分に関しては、変わっていないと思ったからだ。

 何処までも優しさを捨てられないお人好しで、何より獣人キャラを愛するケモナーの泰三が、立場の弱い獣人たちが作為的に殺されようというのを見過ごせるはずがない。


 それに、今日の作戦にクラベリナさんが関わっていないとするならば、自警団という組織も決して一枚岩でないことが伺える。

 だから、俺たちにもまだ味方してくれる人がいるはずだ。


 その僅かな希望に望みを託し、俺たちは明日の夜、およそ半年近く過ごしたグランドの街を出ることになった。




 その日の夜、俺は自分に与えられた寝床で、緊張した面持ちでシドが来るのを待っていた。


「…………」


 別に楽な姿勢で待っていればいいのだと思うのだが、どうしてか俺は藁を敷いただけの寝床で正座していた。

 明日出ていくといっても、俺の荷物はこの部屋にある僅かな衣服と、腰の道具類だけなので、準備というほど大袈裟なものは必要ない。

 それ以外の準備も、夜も遅いので残りは明日にしようということになり、俺とシドは体を洗い、ソラが用意してくれた夕食を取って休むことにした。


 そして今はシドがミーファを寝かしつけるのを、かれこれ三十分は待っているのだが、


 …………来ないな。


 一体何をやっているのか、シドが俺のところにやって来る様子はない。

 明日から安全な場所で寝られる保証もなくなるのだから、ミーファが俺と寝るのを頑として譲らないのかもしれないが、俺としてもシドを抱くのであれば、今日がいいと思っていた。

 明日以降、プライベートな時間を持つことは不可能に近いだろうし、生きるのに精一杯になれば、精神的にもそんな余裕を持つのは難しいだろう。


 この世界に来てから、生きることに必死過ぎて三大欲求であるはずの性欲とは、すっかり疎遠になっていたが、地下でシドとキスして以来、急に思い出したかのように性欲が復活したのだ。

 体を洗っている時も、食事をしている時も、頭の中はシドのことでいっぱいで、彼女が目の前に現れたら、果たして俺は冷静でいられるのだろうか。


「…………あっ」


 そこで俺は、自分が食事をしてから歯を磨いていないことを思い出す。


 いかんいかん……これからすることを考えたら、最低限のエチケットは守らねば。


 まだミーファを説得できないのか、シドが来る気配はないので、俺は今のうちに歯を磨いておこうと思って立ち上がる。

 すると、


「…………コーイチさん」

「えっ?」


 俺を呼ぶ声に反応して顔を上げると、監獄内の俺と三姉妹を区切る布の前に、小さな人影があるのに気付く。


「ソラ?」


 ここに残っているのは次女のソラだけなので、人影がソラであるのは間違いないのだが、これまでこんな遅い時間に、彼女が話しかけてくることはなかった。

 それだけに、一体何の用事か気になった俺は、ソラの話を聞いてみることにする。


「ソラ、何か用かい?」

「…………」


 だが、俺が声をかけてもソラから返事は返ってこない。


「……ソラ?」

「…………」


 もう一度声をかけても、やっぱり返事は返ってこない。

 もしかして寝惚けて俺の名前を呼んだのだろうか? 一瞬、そんなことを考えたが、布一枚を隔てた向こう側に人影が見えるのだから、その可能性は限りなく低い。


 このままソラからの返事を待っても埒が明かないので、


「ソラ……そっちに行くよ?」


 一言断りを入れてから、俺は布をめくってみる。


「おわっ!?」


 布をめくると同時に、ソラが倒れて来たので、俺は慌てて手を差し伸べて彼女の小さな体を抱き止める。


「……ソラ?」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「――っ、大丈夫か?」


 抱き止めたソラの体温が驚くほど高いことに驚いた俺は、彼女の額へと手を当てる。


「熱っ!?」


 その尋常ではない熱さに、思わずソラを落としてしまいそうになるが、慌てて抱き止めると、そのまま床へと寝かす。


「ど、どうしたら……」


 何かしなければと思うのだが、こういう時、何をどうしたらいいのかがわからない。

 困惑し、狼狽えるしかない俺に、


「……す、すみません」


 ソラが俺の服の袖を掴みながら、蚊の鳴くような小さな声で謝罪してくる。


「こんなお見苦しい姿……コーイチさんに…………」

「な、何言ってんだ。辛かったら遠慮なく頼っていいんだよ?」

「フフッ、ありがとうござ…………ゲホッ! ゲホッ!」

「ソラ!?」


 激しく咳き込みながら吐血するソラを見て、俺はもうシドを抱くどころではないと悟る。

 きっと時は刻一刻を争う。

 なら俺にできることは……


「ソラ、ちょっと辛いかもしれないけど、絶対に助けてやるからな」


 そう断りを入れた俺は、ソラの肩と膝裏に手を入れて抱き上げる所謂、お姫様抱っこをして部屋を飛び出した。

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