第322話 本物の冒険者

「このっ、雑魚がああああ!」


 ノインにマウントを取られた名も知らない奴は、口から泡を飛ばしながらノインの腹部を蹴る。


「あだっ!?」


 両手を奴と組んでいた為、腹部ががら空きだったノインは、ガードもできずにまともに蹴りを受けて、吹き飛ばされる。


「よくもっ!」


 ノインを払いのけて立ち上がった奴は、吹き飛ばされた時に取り落としたブロードソードを拾い上げて、振りかぶる。


「――っ、ノイン、避けろ!」


 異変に気付いた俺が慌ててノインへと声をかけるが、それより早く奴がブロードソードを振り抜く。


「…………あっ」


 ノインが声を上げると同時に、彼の胸から鮮血が舞う。


「あっ、ああ…………痛い…………痛いよおおおお!」


 胸からボタボタと血を流しながら、ノインが涙を流して泣き出す。


「このっ、うるせぇんだよ!」


 女々しく泣くノインに、奴は鬱憤を晴らすかのようにブレードソードを振って、斬りつけていく。


「オラオラ、未熟者の雑魚の癖に、調子に乗っているんじゃねえよ!」

「痛い! やめ……やめて! お願い、許して……」

「ああっ? 許すわけねぇだろ。この、死ね! 死ね! 死ね……」

「ヒィィ……ご、ごめんなさい! どうか、どうか命だけは……」


 ブロードソードが降られる度に体を切り刻まれる痛みに、ノインは滂沱の涙を流しながら命乞いをする。


「……クッ」


 もう見てられない。

 俺は痛む体を無理して押して立ち上がると、腰からナイフを抜く。


「ハッハッハ、死ね! 死ねよ!」


 既に俺のことなど眼中にないのか、奴は泣き叫ぶノインを殺さない程度に弄り続けている。


「…………」


 一歩足を踏み出す度に体が悲鳴を上げるが、それでも動きは自然と行商人に仕込まれた暗殺者のそれになる。

 音もなく奴の背後へと近づいた俺は、背中に浮かんだ黒いシミへと、ナイフを容赦なく突き立てる。


「――っ、あぎゃ!?」


 不意打ちを受けた奴が奇妙な声を上げるが、俺は意に介さずそのままナイフをさらに深く刺し、肺を突き破るように突き上げる。


「ゴブッ! ガハッ…………」


 やがて奴の口から逆流するように血が溢れ出すのを見て、俺はナイフを引き抜くと、背中を蹴り飛ばして、汚水流れる下水道へと叩き落す。


「ゴボ……ゴボボ……」


 致命傷を負わされて下水道に叩き落された奴は、決して速くはない汚水の流れに逆らうことができず、そのまま下流へと流されていった。




 初めて人を殺めてしまうという大罪を犯してしまったが、罪悪感に苛まれる余裕は俺にはなかった。


「ノイン!」


 俺はナイフを腰の鞘へと戻すと、全身から血を流して倒れているノインへと駆け寄って抱き起こす。


「すまない。俺を助けたばかりに……」

「あ、ああ…………」


 俺が手を取って頭を下げると、ノインは弱々しく唇の端を吊り上げて笑う。


「よか……た、無事だった…………んですね」

「ああ、ノイン。君のお蔭だ。君が救ってくれたんだ」

「そう……ですか」


 ノインは嬉しそうに目を細めると、大きく嘆息する。


「でも…………ごめんなさい」

「えっ?」

「あなたが……狙われたのは、僕の…………せいなん……ゲホッ、ゲホッ!」

「おい、無理をするな」

「いえ……話を…………させて下さい」


 ノインは俺の裾を掴むと、静かに話し出す。


 今回、俺に命を救われたノインが、ギルドマスターであるジェイドに報告したのが全ての始まりだったという。

 地下で獣人と共に暮らす人間、その報告を聞いたジェイドは、それが処刑場から逃げた賞金首である俺だとすぐに見抜き、今回のリザードマン討伐を理由に、俺を釣り出す作戦を思いついたという。


「最優先は、リザードマンの討伐でしたが…………その後は、皆であなたと、獣人たちを殺すことになっていました」

「皆ってもしかして?」

「はい、自警団の連中も……知っていました」

「やはり……」


 ノインの解答に、俺はあの時感じた違和感は、間違いなかったのだと確信する。

 ジェイドが本性を見せた瞬間、いがみ合っていた冒険者と、自警団の連中が協力関係に変わったように気がしたのは、間違いなかったのだ。


「でも、どうしてそこまでして俺を……」

「それは……わかりません」


 ノインは申し訳なさそうにかぶりを振ると、俺の腕に縋りついてくる。


「でも、僕はあなたに死んでほしくなかった……だから、こうしてここに来たことは……後悔してないです…………ゲホッゲホッ」

「ノイン……」


 咳き込みながら口から激しく吐血するノインを見て、俺は彼の命が今にも尽きそうになっていることに気付く。


 俺が……俺がもっと早く行動を起こしていたら。


「そんな顔……しないで下さい」


 自分の不甲斐なさを悔やむ俺に、ノインは小さくかぶりを振りながら儚く笑う。


「あなたと初めて会った時……僕はあそこで死ぬはずだった。兄さんと一緒に……でも、それをあなたに助けられたんです……」


 静かに話すノインの目から、静かに涙が流れ出す。


「せっかく助かった命ですが、未熟な僕一人では、冒険者としてやっていくのは厳しかった……だから、嫌だと思っても命令に逆らえなかった」

「でも、逆らった」

「……こんな様ですけどね?」


 ノインは真っ赤に染まった自分の胸元を見て、悲しそうに目を伏せる。


「だから、お願いです。どうか……どうか、あなたは死なないで下さい。僕の分まで……あの女の人と一緒に生きて…………下さい」


 そう言いながら弱々しく差し出されたノインの手を、俺はしっかりと握り返す。


「……わかった。約束する」

「よかった……」


 俺からの返答を聞いたノインは、大きく嘆息する。


「あっ……」


 そこで何かを思い出したかのように顔を上げると、再び俺の目を見る。


「最後に、一つ……聞いていいですか?」

「何だ。俺にできることなら、何でも聞いてくれ」

「あなたの……あなたのお名前を聞いても…………いいですか?」

「勿論だ」


 俺は大きく頷くと、ノインの目を見てハッキリと告げる。


「俺は、俺の名は橋倉浩一……浩一だ。この世界にやって来た自由騎士だ」

「そうですか…………コーイチ……さんですか」


 ノインは大きく頷くと、涙を零しながら破顔する。


「ヘヘッ、俺……自由騎士のコーイチ様。助けちゃった」

「ノイン……」

「どうだい……兄さんがいなくても……僕だってやるんだ」」


 俺の声に反応はせず、ノインは虚空を見つめたまま、ゆっくりと手を上げる。


「でも、やっぱり寂しいから…………僕も…………そっちに…………」


 天に向かって伸ばしかけていたノインの手が、糸がぷっつりと切れたようにだらりと落ちる。


「……ノイン?」


 俺が声をかけても、穏やかな笑みを浮かべたノインは何の反応も示さない。


「…………クッ」


 また、守れなかった。

 自分の判断が甘かったから、早々に生きることを諦めようとしてしまったから、死なせなくていい命を散らしてしまった。


 だけど、いつまでも落ち込んでばかりはいられない。


「約束……したからな」


 生き延びると……シドと一緒に生きていくと誓ったのだ。

 俺はノインの死体をゆっくりと地面に下ろすと、


「ありがとう……君は、本物の冒険者だったよ」


 そう告げると、俺はシドを助けるために男たちが消えて行った方角へと駆け出した。

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