第321話 託した願い

 暗闇が支配する下水道に、突如として赤々と燃える炎が発生する。


「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!! 目が……目がああああああああああああああああああぁぁぁ……」


 キングリザードマンの顔にも投げつけた油の入った小瓶から発生した炎に包まれた奴は、跳ねた燃えている油が顔に飛び火し、目にでも入ったのか、顔面を抑えながら悲鳴を上げて転げ回る。


「おいおい、マジかよ……」

「この馬鹿! 油断しやがって!」


 叫びながら転がりまわる仲間の姿を見て、シドに群がっていた男たちが慌てて駆け寄り、自分たちの身に付けた服や外套で、奴についた火を消そうとする。


 一方の俺も同じように炎に包まれたが、ソラが用意してくれた特製のフードが耐熱性に優れているのか、肌が露出している部分には殆ど火が移ることはなかったので、地面を転がるだけで殆どの火を消すことができた。


「うぐっ! うぐぅぅ…………」


 だが、それでも体を駆け巡った炎のダメージは大きく、肌が服に擦れるだけで激痛が走り、起き上がるのも厳しい状態だった。


「コーイチ!」


 そんな中、起き上がったシドが立ち上がって俺の方へと駆け寄ってこようとするので、


「馬鹿! 来るな!」


 俺は体が痛むのも構わず、力の限り怒鳴ってシドを止める。


「俺のことなんかどうでもいいから早く逃げろ!」

「で、でも……」

「でもじゃないだろ!」


 俺の目に映るシドは、殴り飛ばされた影響で頬は赤く腫れ、口の端から血を流している。しかも彼女の首には、獣人の力を封じる服従の首輪が付いているのだ。

 自身では外せないその首輪を今すぐにでも外してやりたいが、外している間に俺は確実に殺されるし、残されたシドの未来は考えたくもない。


 本当はシドに色々と伝えたいことがあるが、生憎と今はそんな余裕はない。

 だから俺は、


「行け! 早く逃げろ!」


 全ての想いを乗せて、たった一言でシドへと命令する。


「逃げて……生きるんだ!」

「――っ!? コ、コーイチ……ゴメン!」


 俺の意思を察したのか、目から涙を零したシドは、踵を返して暗闇へと消えていく。


 ……頼む。お願いだから、こんなクソ野郎なんかに捕まらないでくれ。


 俺はシドが消えた方を見つめながら、ただ彼女の無事だけを願う。

 だが、


「おい、獣人の女が逃げたぞ!」


 無情にも、仲間の火を消した男の一人が、シドが消えたことに気付いて声を上げる。


「せっかく服従の首輪を付けたんだ。このまま愉しまないで逃がすなんてあり得ないぞ」

「でも、こっちの男はどうするんだ?」

「ハッ、こんな瀕死の奴、こうしてやればいいんだよ!」


 そう言いながら、男は足を振り上げて俺の顔面を蹴り飛ばす。


「あがっ!?」

「ほらな、立っているだけでもやっとの状態だ。後は適当に殺すだけだ」


 その言葉に、他の男たちが頷く。


「そうだな……それより女だ」

「ああ、久しぶりに女を抱けるチャンスなんだ。この機を逃してたまるか」

「ヘヘッ、ぶっ壊れるまで遊んでやろうぜ」

「お前たちと一緒っていうのが気に入らないが……あれだけの上玉、逃がしてなるものかよ」


 下種な笑みを浮かべた男たちは互いに頷き合うと、シドを追いかけるように一斉に駆け出す。


「…………クッ、させるか」


 あんな下劣な男共に、シドを好き勝手にさせるわけにはいかない。

 俺はせめて一人だけでも足止めしようと、無理を押して手を伸ばす。


 だが、


「させねぇよ!」


 俺が伸ばした手が、誰かによって踏みつけられる。


「いぎっ!?」


 俺は痛みに顔を歪めながら、踏みつけた者の正体を見ると、


「……さっきはよくもやってくれたな」


 顔を焼かれ、皮膚がただれた影響か左目が塞がった姿が痛々しい名前も知らない奴が、俺を見下ろしていた。


「クッ……痛ぇ……顔が、目が痛ぇんだよ!」


 奴は喚きながら、足を振り上げて何度も俺のことを踏みつける。


「このっ! このっ! クソが!」

「あがっ! ぐっ…………」


 まともに体が動かせず、ガードもままならないので、俺は体を丸めて防御姿勢を取る。


「この……この……」


 亀のように丸くなる俺に、奴は執拗に何度も踏みつけ攻撃を仕掛けてくる。


「うぐっ…………くぅぅ…………」


 早く態勢を整えなければと思うのだが、未だに火傷の影響もあって俺の体は満足に動いてくれない。

 ただ小さくなって身を守るしかない俺を、奴は何時までも踏み続けた。




「はぁ……はぁ……はぁ……もういい」


 何度も繰り返し俺を踏みつけた奴は、


「飽きた……もう殺す」


 そう言うと一振りの幅広の剣、ブロードソードを取り出す。


「お前の前であの女を犯せないのは残念だが、下手に生かしておくと、また余計なことをされちまうからな」


 そう言いながら、奴は俺から距離を取る。

 どうやら近くにいると、俺にまた何かされるのかと警戒されているようだ。

 だが、実際のところ、体中が痛くてまともに動けない現状では、場所に関係なく俺に成す術などなかった。


 だが、それでも……こんなクソ野郎に、屈するのだけは御免だった。


「…………」


 せめて最後の時まで、諦める意志だけは見せまいと、ブロードソードを振り上げる奴を睨み続ける。


「その顔……ムカつくんだよおおおおおおおおおおおおおぉぉ!」


 奴は醜悪に顔を歪めながら、ブロードソードを振り下ろす。

 それと同時に、


「わああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ!」


 後ろから誰かが叫び声を上げながら現れ、そのまま奴に向かって体当たりをする。


「うわっ!?」


 突然の不意打ちに奴は対応できず、体当たりしてきた誰かと一つの塊となって地面を転がる。

 い、一体誰が……と驚く俺に、奴と取っ組み合いに発展した誰かが叫ぶ。


「早く、今のうちに逃げて下さい!」


 まだ声変わりしていない甲高いその声に、俺は聞き覚えがあった。


「……まさか、ノインなのか?」

「はい、すみません。助けに来るのが遅れました!」


 そう言って何者かと両手をがっちり組んで力比べをするのは、俺が地下墓所カタコンベで助けた未熟な冒険者の少年、ノインだった。

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