第320話 守れないのなら
「……えっ?」
差し出した手が空振りしたことに、俺は思わず間抜けな声を上げる。
「シド?」
そこにいるはずの相棒に声をかけてみるが、どうしてか返事は返ってこない。
「シド? おい、こんな時に冗談はよせ」
この手の悪質な冗談をシドがするはずがないとわかってはいるが、それでも俺は不満を口にせずにはいられない。
「いい加減にしないと怒るぞ」
だって、そうだろう。
つい今さっき、二人で壁を乗り越えようって約束したばかりだろ。
その矢先に、こんな仕打ちを仕掛けるなんてあんまりじゃないか。
「シド……」
わかってる。これはシドがこんな悪質ないたずらをするはずがないとすれば、彼女に何か予期せぬトラブルがあったのだ。
「待ってろ。今、行くぞ」
俺は中腰姿勢から起き上がると、シドを追いかけるために穴の出口へと駆け出す。
そうして穴から下水道へと飛び出したところで、
「よっと!」
「あがっ!?」
男の声が聞こえたと思ったらいきなり後頭部を殴られ、俺は下水道の汚らわしい地面へと倒れる。
すんでのところで手をつき、どうにか顔から地面に突っ伏すことだけは避けられたが、
「はい、残念!」
何者かに髪を掴まれ、地面に顔を押し付けられる。
「グッ……」
鼻が曲がりそうなほどの悪臭が鼻孔から入って来るのを自覚しながら、俺は一体何が起きたのかを確認しようと、何者かに抑え込まれている頭を無理矢理起こす。
すると、
「コーイチ!」
俺の視線の先、五メートルほど先からシドの悲鳴が聞こえる。
声のした方に目を向けると、カンテラの灯りによって仄かに照らされた黒山のように蠢く影の中に、シドがいるのに気付く。
どうやら俺と同じように何者かに押さえつけられているのか、シドは影の中で逃れようと必死に暴れていた。
「シド!」
「コーイチ! 待ってろ、今行く!」
俺の声に反応したシドは、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおぉ!!」
気合の雄叫びを上げて、自分に集っている黒山の人だかりを払いのける。
す、凄い……、
相変わらずの
これなら俺が心配する必要なんてなかったかも。
そう思うが、
「おっと、そこまでだ」
俺の上に馬乗りになっている奴が、俺の首元にナイフを突き立てながら、シドへと話しかける。
「この男の命が欲しければ、おとなしくしろ」
「――っ!?」
その言葉に、今にも俺の上に乗っている奴に飛びかかろうとしていたシドは、足を止めてしまう。
「クッ、卑怯な……」
「卑怯? ハハッ、そりゃ結構、俺にとっては最高の褒め言葉だ」
シドの射殺してしまいそうな殺気の籠った視線で睨まれても、俺の上に乗る奴は動じた様子を見せない。
「その動き、力……やっぱり獣人か。おい!」
シドの正体に気付いた奴が声をかけると、
「ヘヘッ、まさかのために持ってきてよかったぜ」
すぐさま声の反応する男の声が聞こえ、シドが被るフードを乱暴に剥ぎ取る。
「クッ……」
「おいおい、とんだ上玉じゃねぇか!」
シドの顔を見た男は「ゲヘヘ」と下卑た笑い声を上げながら、シドの首に何かを巻き付ける。
「どうだ。服従の首輪を付けてやったぜ」
どうやら男は、獣人の力を封じる魔法の首輪をシドに付けたようだ。
違法風俗店でシドと再会した時、彼女の首には服従の首輪が付けられていた。
その効力はかなり強く、片手で俺を軽々と持ち上げられるほどの怪力のシドを、普通の女子と変わらないほどまで弱体化させることができてしまう。
これでは、シドは俺を助けるどころでじゃない。
「ヘヘッ、こんな上玉ならここで味見してもいいかな?」
男は舌なめずりをすると、シドの顔を掴んで自分の方へと引き寄せる。
「――っ!?」
男の顔が近付いてくるのを見たシドは、反射的に手を振り上げるが、
「おっと! 危ない危ない……」
男は軽々とシドの手を掴んで止めてみせる。
やはり、服従の首輪によって力を封じられている状態では、シドは男たちを蹴散らすことができない。
「……全く、これはとんだじゃじゃ馬じゃねぇか。」
シドの手を掴んだ男は、右腕を振り上げると、
「お仕置きだ!」
シドの横っ面を、容赦なく殴り飛ばす。
「キャァ!?」
「シド!」
殴り飛ばされ、吹き飛ぶシドの姿を見て、俺は頭に血が一気に登るのを自覚する。
相棒のピンチに、助けられているばかりでいいのか。
いいわけない。そんなこと、許容できるはずがない。
俺は上に乗る何者かの注意がシドに向いていることを確認すると、虚を突くために手に力を籠める。
だが、
「おっと、下手に動くんじゃねえぞ」
俺の僅かな筋肉の動きから何かを予期したのか、上に乗る奴が俺の首に当てたナイフを横に滑らせる。
「もし、余計な動きを見せたら、その瞬間に首を切り裂いてやるぜ……何せ、お前の生死は問わないって言われているからな」
「クッ……」
俺は自分の首から血が流れ出しているのを自覚して、思わず身を固くする。
シドを助けたい。今すぐにでも俺の上に乗る何者かを吹き飛ばして、彼女を縛る首輪から解放してやりたい。
だけど、それを成すには、俺には何もかも足りない。
きっと俺が動くより、俺が消される方が早い……
「ヘヘッ、わかってんじゃねぇか」
項垂れる俺に、上に乗る奴は安心したように俺の首元からナイフをどける。
「そして、そんないい子にはご褒美だ」
俺の耳元で奴の下卑た笑い声が耳元で聞こえ、煌々と光るカンテラが目の前に置かれる。
「そのままおとなしく、お前の女が目の前で犯されるとこでも見てろよ。これで、よく見えるだろ?」
「――っ!?」
瞬間、俺は反射的に動いていた。
手を後ろにまわし、腰のベルトに括り付けられたポーチに手を突っ込む。
いざという時に目的の物がすぐに取り出せるように、キチンと整理されたポーチから、俺は目的の物を迷いなく取り出す。
シドが……大切な女が俺の目の前で男たちの慰み者にされるぐらいなら……
俺は、ここで自ら死を選ぶ!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉ!」
俺は雄叫びを上げながら、ポーチから取り出した物をカンテラにぶつける。
次の瞬間、小瓶が割れる音ともに、俺の体は上に乗る奴ごと炎に包まれた。
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