第279話 変わってしまった人

 クラベリナさんから出たまさかの言葉に、俺は言葉を完全に失う。


 だってそうだろう……あれだけ心から慕っていたと思われるレド様のことを、忘れるではなく、まるで記憶を書き換えられたかのように勘違いしているなんて思いもしなかった。


「これは一体、どういうことなんだ……」

「わからない……昔は地下で暮らす獣人のために何かと世話をしてくれたらしいが、ある日を境に急に態度を急変させたんだ」


 本当にわけがわからないといった様子で、シドは困惑したように呟く。


 どうやらシドたちがグランドの街に逃げて来た当初、クラベリナさんは獣人たちの面倒を見てくれたようだが、何かがあったのか、態度を百八十度変えてしまったという


 一体全体、クラベリナさんに何があったのだろうか?

 その時期を探ることができれば、もしかしたらクラベリナさんだけでなく、他の人の記憶を元に戻せるかもしれない。


 そのためには、できるだけクラベリナさんから情報を引き出しておきたい。

 情報を引き出す方法を模索していると、


「クラベリナよ、何時まで我を待たすつもりじゃ?」


 洞窟内に、幼いソプラノボイスが響き渡る。


「安全を確かめるだけなのにいつまで待たせるのじゃ。我はもう我慢の限界じゃ!」


 この声、それにこの特徴的な喋り方は……、

 入口の方へと目を向けると、フリフリのドレスに長い髪を赤いリボンでまとめた愛らしい少女が姿を見せる。


「リムニ様……」

「…………お、お主は、どうしてここに?」


 俺が声をかけると、リムニ様は驚愕の表情で俺の方を見る。


 ――今のは?


 何だかリムニ様、ここに誰かがいることに驚いたというより、俺の顔を見て驚いたような気がした。

 もしかしてリムニ様は、俺のことを覚えている……のか?

 どうしてリムニ様が俺のことを覚えているのかは皆目見当もつかないが、これは確かめずにはいられなかった。


「あ、あの、リムニ様!」


 俺は思い切ってリムニ様へと声をかけるが、


「リムニ様、どうかおさがり下さい」


 俺とリムニ様の間に、一つの影が立ちはだかる。

 青と白の自警団の制服を身に纏い、自分の身長ほどの槍を持ち、クラベリナさんに強い憧れを抱き、俺と一緒にこの世界へとやって来た男、泰三だった。


「リムニ様、この男は危険です。危害を加えられるかもしれませんし、怪しげなことを言って惑わしてきます。間違っても耳を貸さないようにしてください」

「泰三……」

「あなたに気安く名前を呼ばれる筋合いはありません」


 俺の意見をぴしゃりと封じた泰三は、この数カ月で見違えるほど変化していた。


 最後に会った時よりも、体はさらに一回り大きくなり、体もすっかり戦士としてのそれに成長している。

 ゴブリンにつけられた右頬の傷こそまだ薄く残っているが、顔付きも自信を表すかのように堂々としたものだった。

 あの、オタク独特のもやしのようなヒョロヒョロとした体と、常に怯えて周囲の反応を伺うかのように怯えていた泰三の姿はそこにはなかった。


 そんな泰三の成長を嬉しく思いながらも、俺は先程の一言について物言いをつける。


「泰三、一つ言っておくが俺は別にお前たちに危害を加えるつもりはないし、俺が言っていることは全て真実だ」

「……どうやらまだ妄言を言うだけの余裕はあるようです。団長!」

「わかっている」


 リムニ様を庇うように立ちはだかった泰三が声をかけると、クラベリナさんがレイピアを俺たちに突き付けながらニヤリと笑う。


「どうやら我が団の騎士様は、君のことを敵視しているようだ。この街の秩序を守るためにも、ここで排除した方がよさそうだ」


 その瞬間、クラベリナさんが纏うオーラが一変する。


「――っ!?」


 まるで喉元にレイピアを突き付けられているかのようなプレッシャーに、俺は思わず、自分の喉元へと手を当てる。


「フフフ、どうした。怖いのか?」


 俺のリアクションを見て、クラベリナさんの目がさらに怪しく光る。


「そのままおとなしくしていれば、苦しまずに一瞬で殺してやる」

「クッ……」


 クラベリナさんから放たれる殺気に、俺は膝が震えて今にも地に突っ伏しそうになるが、今は守りたい大切な人がいる。


「シド、俺の後ろに……」


 俺は手を伸ばしてシドを後ろに庇いながら、腰のナイフへと手をかける。


「ほう、まさかこの私とやる気か?」

「やる気がなくても、俺たちを殺す気なんでしょう?」


 だったら、絶対に勝てないとわかっていても、逃げるわけにはいかない。

 それに、例え俺がここで散ろうとも、シドだけはこの場から逃がさなきゃいけない。

 そう思っていたが、


「コーイチ、お前だけを死なすわけにはいかない」


 シドは俺の手を払いのけると、俺の隣に並ぶように立つ。


「シド?」

「あたしたちは家族だろ? だから死ぬ時は一緒だ。それに、あたしはこんなところで死ぬつもりは毛頭ないけどな。コーイチはどうなんだ?」

「俺も……死ぬつもりはないよ」

「そうか……じゃあ、二人で生き延びるぞ」

「ああ、ソラとミーファが待ってるからね」


 見つめ合っていた俺たちは頷き合うと、片時も離れまいと意思表示をするように手を繋ぎ合う。

 それを見た、クラベリナさんは汚らわしいものを見るように、眉を顰める。


「どうやら君は、獣人に与する汚らわしい危険人物のようだな。タイゾーの言う通り、ここで始末しておいた方が良さそうだ」

「……すんなりいくとは思わないで下さい」

「そうだ。あたしとコーイチが組めば、お前なんざ物の数じゃないさ」


 俺たちは互いの武器を構えると、そのまま臨戦態勢へと移行する。

 いつ戦闘が始まってもおかしくない一触即発の状況に、洞窟内の空気がピリピリと肌にひりつくような感覚へとなったいく中、


「……や、止めよ! 止めるのじゃ!」


 リムニ様の今にも泣き出しそうな声が響いた。

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