第272話 これからもずっと

「……それでは、また会おう」


 多くの獣人に見送られ、行商人はいつものように空になった袋を担いで集落を後にする。


「いつもありがとうございます」

「また三日後、よろしくお願いいたします」


 立ち去る背中にいくつもの暖かい声がかけられるが、行商人はいつものようにさして気にした様子を見せずに淡々と歩く。


 そのまま何も言わずに立ち去るそう思われたが、


「…………」


 行商人は少しだけ立ち止まると、俺の方を向いて小さく頷く。

 ……心配しなくても、余計なことは喋りませんって。

 頷きの意味を察した俺は、行商人に向かって心配ないと頷いてみせる。


 今日、俺が行商人から聞いたソラの秘密は、シドたちには勿論、ここの集落の獣人たちにも秘密にするようにと言われている。

 それだけ行商人が語ったソラの秘密は、衝撃的だった。


 ソラの秘密……それは、レド様が命を賭けて世界の狭間に追いやった混沌なる者の封印を、密かに彼女が引き継いでいるというものだった。


 どうしてその封印が、ソラに引き継がれたのかはわからない。

 ただ、行商人によると、混沌なる者を世界の狭間に留め続けるためには、継続的に力を流し続ける必要があり、レド様と同じ力で似た波長を持つソラが自動的にその役目を担ったのではないかということだ。


 故に、ソラは混沌なる者の封印を維持する為に無自覚に力を使い続けており、それが決して強くない体に負担をかけ続けているという。

 しかも、何処からかソラが混沌なる者の封印の鍵になっているという情報が漏れているようで、魔物や魔に属する者が彼女の命を狙っているという。


 もしかして、前に集落に潜入したリザードマンジェネラルが、俺に見向きもしなかったのは、封印の鍵であるソラを見つけたからではないか。

 もし、それが事実であるなら……、


「何としても……守らないとな」


 俺はこちらを見ている行商人に向かってもう一度頷いてみせると、自分の胸を強く叩いてみせた。


 ソラを守るために、行商人から言い渡された課題は二つ。

 一つは負担を減らすため、ソラをあらゆる危険に近付かせないこと。

 そしてもう一つは……、


 獣人に敵対する人間を殺せるようになること。




 行商人を見送った帰り道、買った物を手に部屋へと戻る途中で、俺は自分の課題について考えていた。

 人殺し……日本で生きて来た俺に取って、それを成すことのハードルはかなり高い。

 いや、別に他の国なら簡単かどうかは別として、まともに人を傷付けたことがなかったのに、突然人殺しをしろと命令されて「はい、やります」となるはずもない。


 だが、俺に残された時間は決して多くはなかった。

 何故なら、


「そのためのお膳立てはしてある……か」

「……何だ。何か企んでいるのか?」


 行商人から聞かされた言葉を反芻していると、耳聡いシドが怪訝そうな顔で覗き込んでくる。


「コーイチ……お前、あいつから何を聞かされたんだ」

「な、何って?」

「あたしが知らないとでも思ったのか? 今日の特訓、殆どの時間を何かの話に費やしていただろう?」

「えっ? あっ、聞いてた……の?」


 思わぬ一言に、俺は内心で「しまった」と思いつつも、驚きを隠せないでいた。

 俺も行商人も、会話中ずっと周りには細心の注意を払っていたつもりだが、気付かない内にシドの接近を許していたのだろうか。

 要所要所でアラウンドサーチを使うべきだった。そう思ったが、


「見くびるなよ。あたしはそんな卑劣な真似はしない」


 シドは憤懣やるかたないといった様子で眉を顰めながら、俺の顔を指差す。


「ただ、あいつと別れる前からずっとコーイチの態度に違和感があったから、ずっと見ていただけだ」

「えっ、ずっと俺のこと、見てたの?」

「……はへっ?」


 その一言を聞いたシドの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。


「ち、ちち、ちちちっがうよ! こ、これはあれだよ! かか、家長として、家族のことが気になったから見てただけだよ!」

「そ、そうなんだ」


 犬歯を剥き出しにし「ふぅ、ふぅ」と洗い息を吐いて睨んでくるシドに、俺は落ち着くように手で制しながら行商人との会話の内容を話す。


「……実は、あの人から獣人についての話を聞いていたんだよ」

「あたしたちの話?」

「うん、どうして獣人たちが差別されているのか。こんな地下で暮らさなければいけなくなったのかを聞いていたんだ」

「…………」

「悪いと思ったけど、ついでにシドたちの話も聞いた」

「…………そうか」


 シドは力なくそう言うと、俺から距離を取って上目遣いで尋ねてくる。


「それで……」

「うん、シド……お姫様だったんだね」

「うぅ……」


 お姫様と言われたシドは、恥ずかしそうに両手で顔を覆いながら、いやいやとかぶりを振る。

 そんなシドを可愛いと思いながら、俺は彼女の肩を叩きながら笑いかける。


「とまあ、色々と思うところはあったけど、俺の気持ちは変わらないから」

「……コーイチ?」

「心配しなくても、あの人は正しい情報を教えてくれたよ。混沌なる者から世界を救ったのに、悪者にされているから助けてやってくれってさ」

「そ、そうか、あいつが……」


 行商人も人間だから、てっきり他の者と同じように獣人を悪く言ったのだろうと不安だったのだろう。

 シドは安心したように大きく嘆息すると、その場にへたり込んでしまう。


「……よかった」

「シド!?」


 座り込んだシドの目には大粒の涙が浮かんでおり、俺は慌ててしゃがんで彼女に向かって手を伸ばす。


「い、一体どうしたんだよ」

「だって……だって……」


 シドは嗚咽を漏らしながら、俺に思いっきり抱き付いてくる。


「これまでにも優しくしてくれた人間はいたけど、皆、あたしたちのことを知ったら次々と離れていったんだ。だから……だからコーイチもあたしのことを知ったら、どっか行っちゃうんじゃないかって思って……」

「シド……」


 てっきりさっきのお姫様発言は、恥ずかしいから顔を伏せたと思っていたが、どうやら違っていたらしい。


 シドの正体を知った俺が、獣人は敵だと認識を改めたかもしれないと怯えたのだろう。


 普段の態度から強いと思いがちなシドだが、彼女は俺より年下の年頃の女性なのだ。

 俺が知らないだけで、きっと今まで様々な苦労をしてきたのだろう。

 俺は手を伸ばしてシドを抱き寄せると、彼女の耳元で囁く。


「大丈夫だよ。俺はこれからもずっと、シドの味方だから」

「うん、うん……う、うわああああああああああああああああああん!!」


 声を上げて泣くシドに、俺は安心させるように彼女の背中に手を伸ばして、ポンポンと優しく叩いてやった。

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