第248話 黒い霧

 螺旋階段で死んでいたのは、犬の耳を持つ男性一人だけで、残る二人の男性の姿は見えない。


 もしかしたらこの男性は、仲間の二人を逃がすために犠牲になったのかもしれなかった。

 よく見れば男性の両拳は中の骨が見えるほど激しく損傷し、彼が流したと思われる血はかなりの広範囲に渡っている。


 これは、男性がリザードマン相手にかなり善戦した証拠だろう。

 デルビートルから逃げる途中で武器を捨ててしまい、さらには腕が折れてまともに動けなかったはずなのに、それでもリザードマンに向かっていった男性の勇気に俺は感服する。


「少しだけ……少しだけでいいのであなたの勇気を俺に分けて下さい」


 俺は死亡した男性の目を閉じて少しだけ黙祷を捧げると、せめて男性が守った二人の仲間の命だけは助けようと急いで螺旋階段を上った。




 息を切らせながら螺旋階段を上り、もうそろそろ集落の入口が見えると言うところで、


「ぐわああああああああああああああああああぁぁぁっ!!」


 上の方から、男性の叫び声が聞こえた。


「あれは……」


 断末魔の叫び声と思われるような必死な声に、俺は必死になって足を動かして残りの階段を一気に駆け上がる。


 そうして、ようやく集落の入口に達すると同時に、異形の影の向こう側で噴水のように血を吹き出しながら倒れる男性の姿が見えた。


「クソッ! 遅かったか」


 俺は思わず飛び出して行きそうになるのをどうにか抑えながら、姿勢を低くして今しがた男性を殺したと思われる影に目を向ける。


 それは、先程みたリザードマンとは似ても似つかない別物に見えた。


 先ず、シドが倒したリザードマンの身長は俺より小さかったが、前方にいるリザードマンはどう少なく見積もっても俺より大きく、ひょっとしたら二メートル以上の体躯を持つベアさんと同じぐらいと思われる。

 さらに武装も、刃こぼれした剣に木製の丸盾ぐらいの武装だった小柄なリザードマンに対し、あいつは地下に来た冒険者から奪ったのか、牛でも解体できそうな巨大な刃の剣に、鉄製の胸当て、そして手足を守るガントレットとグリーブを身に付けていた。

 同じリザードマンのはずなのに、明らかにスケールの違う奴の登場に、俺は背中に冷たいものが走るのを自覚する。


 俺は今から、あいつを倒さなければならないのか……。


 サイズも膂力も桁外れだったサイクロプスに比べれば、あのリザードマンはたいしたことはないと思うかもしれないが、それでもこうして敵を前にすると、受けるプレッシャーは相当なものだ。

 しかもよく見れば、男性の近くにはもう一人の男性と思われる真っ二つにされた死体が転がっているのに気付き、俺はゴクリと生唾を飲み込む。


 今から命のやり取りをするという緊張感に、気が付けば両手が汗でびっしょりと濡れていた。

 これでもし、手汗でナイフが滑って地面に落とそうものなら、死んでも死にきれない。


「クソッ、落ち着け……」


 俺は自分にそう言い聞かせながら手汗をズボンで拭うと、必死に深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けさせようとする。


 そこで俺は、目の端から何か小さな影が飛び出して来るのを見る。


「…………?」


 まるでリザードマンに突撃するように、飛び出してきた影の方へ目を向けると、


「うわああああああああああぁぁん! あっちいけえええええええぇぇぇ!!」


 泣き叫びながらリザードマンに向かって何かを投げ付けるミーファの姿が見えた。


「ミ、……!?」


 思わず叫びそうになった俺は、自分の口を手で塞いでどうにか耐えるが、口から心臓が飛び出したのではないかと思うぐらい動揺していた。

 ミーファが投げているのは、そこら辺に落ちていた石だろうか。

 リザードマンは子供の力で投げられた石を避けようともせず、視線をゆっくりとミーファへと向ける。


「ミーファ、ダメ!」


 するとそこへソラが現れ、ミーファを後ろから羽交い締めにしてリザードマンと距離を取ろうとする。

 だが、そんな美味しい獲物を前に、リザードマンが指をくわえたまま黙って見逃してくれるはずがない。


 リザードマンは次の獲物を定めたと謂わんばかりに尻尾を地面に叩きつけると、ゆっくりとした動作でソラたちに向かって歩きはじめる。


「――っ!?」


 それを見た俺は、思わず飛び出していた。

 作戦も何もない。ただ、このまま黙って見ていることなんてできなかった。


「――っ、おに…………」


 俺の姿に気付いたミーファが思わず声を上げようとするが、それをソラが口を塞いで止める。


 その咄嗟の判断に、俺は心の中でソラに感謝する。

 リザードマンは完全にソラとミーファの二人だけを見ており、後ろから迫る俺には気付いていない。


 …………もらった!


 俺は勝利を半ば確信しながら、腰に吊るしてあるナイフへと手を伸ばす。


 そして、ナイフを抜こうとしたところで、


「――っ!?」


 ナイフから黒い霧が大量に飛び出し、俺の全身に絡みついてきた。


 な、何だこれは。


 突如としてナイフから飛び出してきた黒い霧に俺は驚き、目を見開く。

 黒い霧から必死に逃れようと身を捩るが、黒い霧はまるで意思を持っているかのように俺の手をすり抜け、足に絡みつき、開いた口から体の中へと侵入してきた。


 あっという間に全身を黒い霧に包まれ、身動きが取れなくなってしまった俺は、


 ――ユルサナイ


 そこで謎の声を耳にする。


 ――ミンナシンダノニ、ドウシテ、オマエダケガ……

 こ、この声は……、


 声の正体を探ろうとしていると、黒い霧が一つの塊となって俺の顔のすぐ横までやって来て、何やら人の顔へと変化する。


 ――っ!?


 黒い霧が変化した顔を見て、俺は言葉を失う。

 それは俺が助けたくて救えなかった女性、エイラさんだった。

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