第232話 遺憾ながら
「……どういうつもりだ?」
俺から差し出されたナイフを見て、行商人は不思議そうに小首を傾げる。
「どうしてそれを手放す? それは、これからのお前に必要なものではないのか?」
「そうかもしれませんが……やっぱり俺には無理みたいです」
そう言いながら俺は、自分が先程の顛末、あと少しのところで行商人を殺すところだったことを告白する。
「私が殺されていた……だと?」
「はい……さっきので俺は、自分が持つ力が怖いと思ってしまった。武器だけでなく、自分が持つ力すら信じられなくなったんです。だからきっともう…………戦えない」
そう言い捨てて、俺は行商人から逃げるように俯き、背を向ける。
せっかく認めてもらったのに、それを裏切るような真似をしてしまった。
一方的に諦めの言葉を吐いた俺を、行商人は……集落の皆はどう思うだろうか。
きっと情けない奴、どうしようもない奴だと蔑まれるだろうが、シドたちだけにはそんな目で俺を見て欲しくないと思った。
そんな勝手なことを思いながら、俺はナイフをその場に置き、待っているであろうシドたちに報告するために歩き出そうとする。
だが、
「待て」
立ち去ろうとする俺の肩を、行商人が掴んで止めてくる。
「誰が殺されそうになったって?」
「ですから、俺は相手の隙を突くことで、必殺の一撃を……」
「何を勘違いしているかしらんが、私はお前が隠れている場所も、奇襲のために飛び出してくるのも全て看過しておったぞ」
「……えっ?」
思わぬ一言に、俺の足が止まる。
あの時、確かに俺の目には行商人の背中に黒いシミが浮かぶのを見た。
どんな防御も貫くあの黒いシミは、相手の不意を突けている時に見えるものではなかったのか?
「ふむ……」
混乱している俺に、行商人から思わぬ声がかかる。
「その力、本当に特定の条件でしか発動しないのか試してみるとしよう」
「えっ?」
「いいな?」
「あっ、はい……わかりました」
その有無を言わせぬ迫力に、俺は頷くしかなかった。
どうしてこんなことになったのか。
俺の力を試すと宣言した行商人は、少し距離を取って背中を向けると、白い仮面をこちらに向けて意気揚々と話す。
「よし、それでは黒いシミとやらが見えるかどうか試してみるんだ」
そう言いながら、行商人は俺に無防備な背中を見せる。
「さあ、早くするんだ」
「は、はい……」
とりあえず返事は返したものの、正直なところ俺はあんまり乗り気じゃなかった。
何故なら黒いシミを見るということは、相手の弱点……というより死んでしまう点を見るということだ。
そこを突けば死ぬとわかっている点なんか、誰も好き好んで見たいとは思わないだろう。
「どうした? 早くしろ!」
「あっ、は、はい……」
だが、流石にここまで言われて、今さら「嫌です」とも言い辛い。
それに、先程の行商人の言葉……俺が潜んでいたのを知っていたという言葉の真偽も気になる。
……見るだけだ。見るだけならきっと大丈夫だ。
「…………ふぅ」
俺は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けると、行商人の背中を凝視する。
「…………」
「…………」
そのまま待つこと数秒、
「…………駄目です。何も見えないです」
俺は大きく息を吐きながら、緊張を解く。
わかっていたことだが、何も見えなくて安心した。
やはりあの黒いシミは、相手が俺を認識していない時じゃないと見えないのだ。
そうなると行商人は嘘を吐いているということだが、あの人にもプライドがあるだろうから、戦いの素人である俺に一本取られそうになったから、咄嗟にそう言ったのかもしれなかった。
「コーイチ……」
俺の中に行商人に対する疑念が生まれると同時に、声がかけられる。
「お前……本気でやっていないだろう?」
「そ、そんなこと……」
「どうせ見えるはずがない……大方、私が嘘を吐いていると決めつけて真剣に取り組もうとしていないだろう」
「そ、そんな……」
そんなことはない。とは言い切ることはできなかった。
だが、そんなことより気になることがある。
「な、なんで……」
「自分の考えをことごとく読めるのか、か?」
「――っ!?」
その言葉にドキリとした俺は、思わず飛び出すのではないかと思った心臓を握るように胸を鷲掴みにする。
もしかして俺の思考は簡単に読まれやすいのか? それとも、実は俺は頭の中で考えたことを他人に悟られてしまう能力の持ち主だったのか?
「何やら阿呆なことを考えているようだが……」
混乱する俺に、行商人は呆れたように嘆息しながら話す。
「そんな難しい話ではない、単純に人生経験から思考を先読みしているだけだ。迷っている人間ほど、同じところで足踏みするものだからな」
「ということは……」
行商人は実は結構な年齢だったりするのだろうか。
ただ、もし行商人が女性だった場合、色々と面倒なことになりそうなので、敢えて言及はしない。
「……何やら失礼なことを考えているな」
俺の顔を見て行商人は呆れたように嘆息しながら、俺が置いたナイフを拾う。
「次はこれをもって試してみろ」
「えっ、でも……」
「鞘に収まった状態なら問題ないのだろう? いいからとっとと言う通りに動け!」
年齢を推測されたことに腹を立てたのか、行商人は乱暴に俺に向かってナイフを放って再び背中を向ける。
「いいか? 今度はちゃんとやれよ。それこそ、私を殺すつもりで見るんだ」
「は、はぁ……」
「何だその気の抜けた返事は!? ちゃんとやらないと、今度は足腰立たなくなるまで痛めつけてやるぞ!」
「は、はい!」
行商人の脅し文句に、俺は慌てて腰のベルトにナイフを括りつけて構える。
…………ええい、もうどうにでもなれ!
これ以上、不必要に痛めつけられたくない俺は臨戦態勢を取って行商人の背中を、それこそ殺してやるつもりで真剣に凝視した。
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