第233話 秘められた狂気

 殺すつもりで行商人の背中を見つめる俺だったが、やはりその背中に黒いシミが現れることはない。


 …………やっぱり駄目か。


 もう一分は見続けたが、黒いシミが見える様子がないので、俺は諦めて再びナイフを取り外すために手を伸ばす。

 すると、


「……えっ?」


 ナイフに手をかけた途端、行商人の背中の背中に変化が訪れる。

 じわじわと液体が染み込むように、行商人の背中に小さな黒いシミが現れたのだ。


「まさか、そんな……」


 俺は目を驚愕に目を見開きながら、徐々に大きくなっていく行商人の背中にできた黒いシミを凝視する。

 やがて拳大にまで成長した黒いシミは、そのまま行商人に取り憑いたかのように、不気味に不定形に形を変えながら背中に居続ける。


 そして、行商人の背中を凝視したままナイフから手を離すと、最初からそんなものなど無かったかのように一瞬にして黒いシミが消え、行商人の逞しい背中が見える。


「どうだ、見えたか?」

「…………はい、見えました」


 何処か確信めいた行商人の言葉に、俺は呆然とした面持ちで頷く。


「でも、どうして……」


 俺はゆっくりと振り向く行商人に、沸々と沸き上がる疑問をぶつけてみる。


「どうして俺の力がナイフを持つことで発動すると知っていたのですか?」


 俺の力を試すと言いながら、行商人の指示はあからさまに的確過ぎた。

 最初からこうなることがわかっていたかのようで、言うなればそれはまるで……、


「もしかして、俺の力のこと……知っていたのですか?」


 そう考えればもっともしっくりくる……というより、そうとしか考えられなかった。

 俺の疑問に、行商人は腕を組んだまま静かに頷く。


「そうだ。知っていた」

「ど、何処で……知ったのですか?」


 もしかして、俺がバックスタブを使った場所……ノルン城に行商人もいたのだろうか?

 そう思っていると、行商人はどこか遠くを見るように顔を上げながら話し出す。


「…………かつて私が面倒を見た者の中に、コーイチと同じ力を持つ者がいた」

「えっ、それって……」


 まさかと思っていると、行商人は小さく頷く。


「そうだ。その者は自由騎士だった。そして……」


 そこで行商人は、何故か溜めを作るかのように押し黙ってしまう。

 やたらと長い溜めに、俺は我慢できなくなって、


「そ、そして?」


 堪らず行商人に続きを促す。

 俺からの言葉に、行商人は暫く俯いていたが、ゆっくりと顔を上げると続きを話す。


「……そして、わかるだけでも百人以上の罪もない人を殺したイクスパニア史上、最悪の殺人鬼だ」


 それは、まさかの一言だった。


「イクスパニア史上……最悪の殺人鬼」

「そうだ……」


 驚き、思わず絶句する俺に、行商人は頷きながらさらに驚くべき一言を言う。


「私が奴と出会ったのは、ノルン城で未熟な自由騎士たちの教官を務めていた時だ」

「えっ!? あなたは自由騎士たちの教官だったのですか?」

「……そうだ。そう思えば、こうして自由騎士であるお前に、再び戦いを教える日が来るとは夢にも思わなかったがな」


 行商人は大袈裟に肩を竦めてみせると、その自由騎士について話しはじめる。




 行商人によると、その男はまだノルン城が健在で、異世界からの戦士の召喚が盛んだった頃、混沌なる者を倒す戦士として異世界から召喚された者の一人だった。


 内気で物静かだったその男は、ノルン城で他の自由騎士と一緒に訓練に励んでいた。

 だが、血気盛んな他の自由騎士とは違い、その男は戦士としてはかなり未熟で、常に他の者に後塵を拝して笑い者にされていた。


 それは自由騎士が持つ特殊スキルの発動についても同じで、同じ時期に召喚された自由騎士たちが次々と自分の才能を開花させていく中、その者だけは何時まで経っても何の特殊スキルも取得できなかったという。

 だが、どれだけ馬鹿にされてもその男は決して心折れることなく、いつか才能の目覚める時が来ると、地道に努力し続けていた。


「そんなある時……奴が訓練の最中に黒いシミが見えると言い出したのだ」


 といっても、行商人にはそれが一体何なのか皆目見当が付かなかったという。

 発動条件は不明、どうしていきなり見えるようになったのかも、それが一体何を示すかも行商人は疎か、その男自身にも最初はわからなかった。


 黒いシミの正体を見極めようと男が試行錯誤していた時、一つの事件が起こる。


 それは一人の全身鎧に身を包んだ自由騎士が、ストレス発散のために男を好き勝手に痛めつけた時に起こった。

 苛め尽くして満足気に立ち去ろうとする自由騎士に、いつもはやられっぱなしだった男が反撃に出たのだ。

 男の手には小さなナイフが一つだけ。誰が見ても男の行動は無謀で、何処を攻撃しようにも全身鎧に阻まれて、逆に手痛い反撃を受けると思われた。


 だが、男のナイフは自由騎士の鎧を軽々と貫き、彼に重傷を負わせたのだ。


 すぐさま異変に気付いた行商人をはじめとする教官たちが男を取り押さえたことで、どうにかその自由騎士は一命を取り留めた。


 その事件は、訓練の中で起きた不慮の事故として処理されたが、自分の真の力を知った男は、早々に行動を開始する。


「翌日、奴は同僚の自由騎士を一人残らず殺して、何処かへと消え去ったよ」


 そして、その男の狂気が、イクスパニアの人たちを恐怖に陥れた。

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