第179話 息つく暇もなく

 処刑場から逃げ出した俺は、ひたすら無心に足を動かし続けた。

 目的地なんてない。少しでも処刑場から離れることだけを考え、人を掻き分けながら前に進み続けた。



 そうして、一体どれだけの距離を走ったのだろうか。

 とうとう体力の限界に来た俺は、近くの橋の欄干へと体を預けるようにして項垂れる。


「………………はぁ、はぁ………………ううっ…………雄二」


 嗚咽を漏らしながら脳裏に浮かぶのは、あの場に残った二人の親友のことだ。


 あれから雄二はどうなったのだろうか。


 泰三は自らの手を汚したのだろうか。


 究極の選択を迫られた二人のことを思うと、心が張り裂けそうな気持ちになるが、最早俺にそれを確かめる術はない。


 とにかく今は、どこかに身を隠さないと……。

 雄二が命を賭けて守ってくれた命だ。なんとしても安全な場所まで逃げ延びてみせる。

 そう思いながら俺が顔を上げようとすると、


「よお、ちょっといいか?」


 何者かが俺に声をかけてきた。


 顔を上げると、知らない男が俺のことを見ていた。

 年の頃は三十代半ば、ノースリーブのチュニックに身を包んだ体躯は、全身くまなく鍛え上げられた冒険者のそれと思われる。


 冒険者の男が俺に何の用だろうか?


 できることなら知らない人間とは関わり合いたくないのだが、ここで下手に騒ぎを起こすのは得策ではない。

 そう考えた俺は、とりあえず男の話を聞くためにゆっくりと立ち上がる。


「あの……俺に何か用ですか?」

「ああ、ちょっと確認したいことがあって話しかけたんだ。悪いな」

「はぁ……」


 一体何を確認するのだろうか? 男の真意がわからず、呆然としていると、


「おらぁ!」

「あがっ!?」


 男の掛け声と共に、俺の左頬に鋭い痛みが走り視界が激しく回転する。

 次の瞬間、俺は橋の欄干に再び体を預けるようにして倒れ込む。


「がはっ…………ゴホッ、ゴホッ!」


 何だ……まさかいきなり殴られた、のか?

 口の中に血の味が広がるのを感じて、俺は自分が男に何をされたのかを理解する。

 でも、どうして?

 いきなりの暴挙に出た男の行動の意味が分からず、俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになる。


 すると、男は自分の右手の平を見ながらニヤリと笑う。


「ああ、やっぱりだ」


 何がやっぱりなんだ? そう思う俺に、男は後ろを振り向いて誰かに大声で話しかける。


「おおい! こいつ、やっぱりネームタグ持ってないわ!」

「なっ!?」


 その言葉に、男の後ろから武装した強面の男たちが次々と現れ、あっという間に俺を逃がさないように包囲する。


「おいおい、まさか本当にネームタグを持っていない奴がいるとは思わなかったよ」

「それで、こいつを捕まえればクエスト完了でいいのか?」

「確か、生死は問わないんだっけか? じゃあ、殺しちまうか?」

「――っ!?」


 次々と物騒なことを言い始める男たちに、俺は戦慄を覚える。

 どうして俺の情報が出回っているのかも恐怖しかないが、それよりも連中が言った言葉が俺に引っかかる。


 俺の耳が確かならば、あの男たちは俺のことを捕まえるクエストを受けてきたということだ。

 さらに、俺を捉えるのに生死は問わないと言った。

 生死は問わないということは、俺を捕まえるのに、生きていようが死んでいようが構わないということだ。


 これは一体、どういうことだ?

 どうして俺を捕まえることが既にクエストになっているのか?

 だとしたらその依頼者は?

 俺の脳裏に処刑場で気になる一言を言った男、ブレイブが真っ先に思い浮かぶが、今はそれどころじゃない。


「悪く思うなよ。お前を連れて行ったら、金貨百枚がもらえるんだ」

「これで借金生活ともおさらばできるってわけだ」

「……というわけなんだよ。ここはお互いのためにも、おとなしく捕まってくれよ」


 言外に怪我をしたくなければ抵抗するな。そう言いながら男たちはそれぞれの得物を手に、俺への包囲網を縮めてくる。


 俺を囲んでいるのは全部で五人。おそらく全員が荒事を主とする冒険者で間違いないないだろう。

 余程上手く相手の隙を突くことさえできなければ、俺ではこの包囲網を突破することはできないだろう。

 ここで抵抗の意思を見せるのは得策ではないと判断した俺は、


「…………わかった」


 立ち上がると、両手を上げておとなしく従うと宣言する。


「お、お願いだ。だから、手荒な真似はしないでほしい」

「はぁ、何だ。やけに素直じゃないか」


 声を震えながら命乞いをする俺の態度に、最初に話しかけてきた男が嘆息して、手にした武器を下ろす。


 それを見た瞬間、


「――っ!?」


 俺は地面を強く蹴って飛び上がる。

 飛ぶのは俺のすぐ後方、橋の欄干の外側だ。


「しまっ!?」


 突然の俺の行動に、男たちが慌てて俺へと駆け寄るが、もう遅い。


 俺の体は背面飛びの要領で欄干を飛び越え、すぐ下を流れる水路へと真っ逆さまに落ちていく。

 水路の深さが膝ぐらいまでしかなければ、俺は頭部を強打してこのまま死んでしまうだろうが、街全域の水を補っている水路がそんなに浅いはずがない……と思う。


 果たして鬼が出るか蛇が出るか……

 次の瞬間、俺の体は激しい水飛沫を上げながら水路へと落ちた。

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