第176話 修学旅行の夜に

 ――修学旅行、初日のホテルでの夜の自由時間、一人非常階段で涼んでいた雄二は、


「……あいつ等」


 教師の目を盗んでホテルから抜け出そうとする二名のクラスメートを見つける。


「あれは確か…………橋倉と坂上か?」


 ホテルを抜けだす行為くらい無視してもよかったのだが、一人は教師受けもいい真面目な生徒、坂上泰三。そしてもう一人はこれといった印象はないが、可もなく不可もないが、特に輪を乱すような真似はしない生徒、橋倉浩一。

 そんな二人がホテルを抜けだすなんて何だろうと思い、雄二は気まぐれで声をかけてみることにする。


「……おい、お前たち。何処に行くつもりだ」

「「――っ!?」」


 いきなり声をかけられた二人は、揃って背筋を伸ばしてその場で気を付けの姿勢を取る。

 そんなコミカルな動きに苦笑しながら、雄二は二人に向かって話しかける。


「心配するな。別にお前たちを止めるつもりはない」

「えっ? あっ……」


 雄二の言葉に、背の小さいおとなしそうな男子、坂上泰三が振り返り、


「な、何だ。お前、戸上じゃないか。びっくりさせんなよ」


 もう一人のいかにも普通といった感じの男子、橋倉浩一が小さく嘆息する。


「えっ、橋倉君。この人知ってるの?」

「おいおい、坂上。お前、クラスメートの顔と名前ぐらい覚えておけよな」

「うっ、すみません」

「……まあ、こいつは坂上の苦手そうなタイプだからな。知らなくても無理はないか」

「そ、そういうことを本人の前で言わないで下さい!」

「ハハッ、悪い悪い。でも、大丈夫だよ。俺が知る限り、こいつは今まで一度も停学になっていないから、こんな修学旅行真っ最中に問題を起こすような真似はしないさ」


 教師じゃないとわかった途端、浩一は胸を撫で下ろしながら雄二に話しかける。


「それで、戸上はどうしてこんなところにいるんだ? もしかして、俺たちと一緒で何処か行く予定だったのか?」

「はぁ? お前等みたいな不良と一緒にするんじゃねぇよ。俺はただ、ここで涼んでいただけだ」


 阿保には付き合ってられないと、雄二は渋面を浮かべて追い払おうとするが、


「「…………」」


 どういうわけか、浩一と泰三の二人揃っては同じ表情で固まる。

 まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする二人を見て、雄二は訝し気に眉を顰める。


「な、なんだよ……」

「えっ、だって……なあ?」

「はい、まさか戸上君に不良なんて呼ばれるとは思いませんでした」

「んなっ!? お前たち、俺を何だと思っているんだ」


 高校になってからは、かつての不良グループの連中と一緒に行動したことはないし、生活態度も教師に目を付けられるような真似はしてこなかったはずなのに、浩一たちからの散々な評価に、雄二は不満げに口を尖らせる。


「ハハッ、冗談だって。ただ、いっつも一人でいるから、俺たちのことなんて眼中にないと思ってたよ」

「…………別に、そういうわけじゃねえよ」


 何をしても退屈で、決して満たされない心を持つ自分は他の連中と比べると異質で、一緒にいたら嫌な気持ちにさせるだけだ。

 だが、そんなことを言うのは雄二のプライドが許さない。

 だから誰とも関わらないように距離を取る。それだけだった。


「……もういいだろう。お前等の邪魔はしないから、消えるならとっとと行けよ」


 気まぐれで話なんてするんじゃなかったと、雄二は二人を追い払うように手を振る。


 だが、


「…………なあ、戸上」


 背中を向ける雄二に、浩一が話しかける。


「もし、よかったら、俺たちと一緒に抜け出さないか?」

「はぁ?」


 いきなりの提案に、雄二は目を見開く。


「お前、頭湧いてんのか? どうしてそういう話の流れになるんだよ」

「いや、何となく前から思ってたんだけどさ」


 浩一は自分の頬をポリポリと掻きながら、思わぬ一言を話す。


「何だか戸上って、つまらなそうに生きてるなって思ってさ。お前、楽しいと思うこと何もないだろ?」

「な、何だと?」


 浩一の思わぬ一言に、雄二は虚を突かれたかのように目を見開く。

 それは、常日頃から雄二が抱えていた気持ちそのものだからだ。

 どうして今初めて話したような男が、自分の心を見透かせるのか。混乱する雄二に、浩一が笑いかけてくる。


「なあ、戸上。やっぱりお前、俺たちと一緒に行こうぜ」

「……行くって何処にさ?」

「いいところだよ。ひょっとしたらお前の退屈の穴を埋めてくれるかもしれないぜ」


 そう言って差し出された手と浩一の顔を、雄二はジッと見つめる。

 屈託なくこちらを見て笑う浩一の顔は、とても裏があるようには見えず、純粋に雄二の退屈を埋めてくれるというものを紹介したいように見えた。


 別にこのまま無視してもいいと雄二は思った。

 だが、


「…………わかったよ」


 雄二は顎を引いて頷くと、浩一の手を取る。

 別に無視してもよかったが、最初にきっかけを作ったのは自分なのだ。

 今でもどうして話しかけたわからないが、雄二は自分の心に空いた穴を見抜いた浩一を信じてみようと思った。


「だけど、つまんなかったらすぐに帰るからな」

「ああ、わかってるって。それより、もし怖い人に絡まれたら助けてくれよな」

「んなっ!? まさかお前、その為にだけに俺を誘ったんじゃないだろうな」

「そ、そんなわけないだろ。それより早く行こうぜ」


 そう言って非常階段を駆け下りていく浩一を見て、雄二は行くのをやめようかと一瞬考えたが、結局浩一たちの後に続いて非常階段を降り始めた。

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