第175話 遠い日の記憶
「…………行ったか」
浩一が走り去るのを見ながら、雄二は最後に親友を救えたことに安堵する。
だが、ここで一息吐くわけにはいかない。
叫ぶのをやめれば、ウォークライの効果が切れて浩一へ追手が差し伸べられるかもしれない。
「すぅ……」
雄二は大きく息を吸うと、再び叫ぶ準備をする。
もう体中ボロボロで、本当は叫ぶ度に体がバラバラになりそうなほどの激痛が走るのだが、まだまだここにいる奴等に言いたいことが沢山あった。
「いいか、お前等! 俺はな…………」
雄二の命を賭けた魂の叫びはまだまだ続く。
戸上雄二という男の人生は、決して恵まれたものではなかった。
全ての始まりは、五歳の時に両親が離婚したことからはじまる。
父親が女を作って出ていったという家庭崩壊の理由としては、割とよくある話だった。
母親一人に育てられることになった雄二は、貧しいながらも親子二人で幸せに暮らせていける……そう思っていた。
だが、金策のために、母親が水商売の店で働き始めたあたりから徐々に歯車が狂い始める。
生活リズムの違いから親子の会話は減り、食事も手作りから徐々に出来合いのものが増えていく。
必然的に雄二自身の面倒を見なくなっていくので、着る服はボロボロで、靴に穴が開いていても何時まで経っても新調されることはなかった。
そしてさらに母親の客だという男が度々家を訪れ、雄二を邪険に扱うようになる。
その度に雄二はいつも家から追い出され、母親たちが仕事でいなくなるまで、暑い夏の日も、凍えるような冬の日も近くの公園で一人寂しく過ごしていた。
だが、それでも当時の雄二は現状に不満を訴えることはなかった。
何故なら、ご近所付き合いというものが皆無だったので、他の家庭の事情を知る機会がなく、むしろ父親に理不尽な暴力を振るわれなくなったことを喜んでいたぐらいだった。
だが、そんな何も知らない雄二はある日、真実を知ってしまう。
それは雄二が他の子と比べ、裕福な家庭環境にないことを知った一人の女性の善意からだった。
女性の子供の誕生パーティーに呼ばれた雄二は、そこで初めて自分の家が普通とは違うことに気付いてしまったのだ。
だが、それでも母親が自分を育てるために相当無理をしているのをわかっていた雄二は、母親を責めることができず、やり場のない怒りを当り散らすように荒んでいった。
昼間は寝てばかりいる母親は当然ながら学校行事には全く参加せず、小学校の運動会では、校庭で楽しそうにお弁当を食べる家族から逃れるように、校舎の裏で一人寂しく菓子パンを食べて過ごした。
小学校の卒業式だけはどうにか来てくれたのだが、他の母親と比べて明らかに見劣りする自分の母親の格好に、雄二は恥ずかしくなって誰にも別れを告げず、逃げるように小学校から帰った。
そんな雄二の態度に、母親は寂しそうに「苦労かけて、ごめんね」と消え入りそうな声で言うので、雄二はそれがまた辛かった。
中学に入り、腕に覚えのあった上級生を喧嘩で打ち負かした雄二は、地元でも有名な不良グループに誘われ、一時的にそこに身を置く。
だが、そのグループでの付き合いは長くは続かなかった。
夜な夜な集まっては叶うあてのない夢を語るだけで、これといって目標を果たす努力もしなければ、自分より弱い者に虚勢を張って優越感に浸るだけの集団……。
そんな連中と共にしても退屈な日々は変わらないと、雄二は不良グループを抜け、そこからは一匹狼を貫くようになった。
その頃になると雄二は、自分の胸にぽっかりと大きな穴が開いたかのように虚無感に襲われる。
おそらく、胸に空いた穴からありとあらゆる感情がそこから漏れ出て、何も感じなくなったのだと雄二は考えていた。
この穴は、誰にも絶対に埋めることはできない。自分はもう、人として致命的な欠陥を抱えてしまったのだ。
この時の雄二はそう考え、このまま死んでしまおうとも考えたが、それでも自分のために必死に働く母親のために死を選ぶことはできなかった。
だが、そうして胸に巨大な穴を抱えたまま日々を生きる雄二に更なる追い打ちがかかる。
母親が過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。
母親の葬式の後、どうやって死のうかと考える雄二だったが、そこへ別れたはずの父親が現れ、雄二は父親に引き取られることになる。
再び一緒に暮らすことになった父親は、中学生になり、力では叶わなくなった雄二と極力関わろうとはせず、毎月それなりの生活費を振り込むだけで親子の会話は皆無だった。
中学を卒業したら就職して一人暮らしを始める予定の雄二だったが、生前の母親のたっての願いもあったのと、それなりに稼ぎのある父親が金を出してくれたので、渋々ながら高校へと進学する。
高校でも変わらず一匹狼を貫いていた雄二だったが、高二の修学旅行で運命的な出会いを果たすのであった。
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