第156話 優しさに包まれて

「……というわけで、俺たちは学生時代からの腐れ縁というやつなんだ」


 それから俺は、シドに自分の歩いてきた人生について話していた。


 俺からの依頼は、時間まで話し相手になって欲しいというものだ。

 快く了承してくれたシドに対し、最初は他愛のない自己紹介から入る予定だったのだが、俺が違う世界から自由騎士であることを知った彼女は、俺に前の世界での話をして欲しいとせがんできたのだ。


 確かに話し相手になって欲しいとはいったが、これといった話題もなかったので、俺はシドの要望に応えることにしたのだった。



 まさか自分の身の上について話す日が来るとは思わなかったが、シドはとても聞き上手で、程よく相槌を打ってくれるだけでなく、話しの腰を折らない程度に自分の感想を言ってくれるので、話していてとても気分が良かった。


「……でも、わからないな」


 俺たち三人がグランドの街で別々の組織に所属するところまで聞いたシドは、行儀悪く立て膝をついた姿勢のまま小首を傾げる。


「聞いた話だと、コーイチたちがいた世界は、小さな問題はあっても命の危機のなく、理不尽な差別もない暮らしやすい地のように思えるんだが……どうしてそんな夢のような世界を捨ててきたんだ」

「そう……だね。それは非常に難しい問題だね」


 イクスパニアへ来てから一か月経って、俺は今までの生活がいかに恵まれていたのかを痛いほど痛感していた。


 今はリムニ様から生活保護を受けているような状況なので、生活に窮することはないが、一日でどれだけの経費が必要であるかを知った今では、一年後は今の生活ではとても食べてはいけないことは重々理解していた。

 早いところちゃんとした職に就かないといけないと思うのだが、ただのサラリーマンだった俺がこの世界で就ける職業は限られていた。

 だが、その限られた職も別に人手の困っている様子はなく、かといって新たに人を雇う予定もないので、街の中では俺を雇ってくれるところはなさそうだった。


 そんなことを思い出しながら俺は、微苦笑を浮かべる。


「だけど、生まれた時からその世界に染まっていると、その良さがわからないんだよ」

「ということは、今はわかるということか?」

「そうだね。でも、わかったところで帰る術はないんだけどね」


 そう言って俺が笑うと、シドは寂しそうに眦を下げる。


「…………帰りたいと思うか?」

「どうだろ? そう思った時もあったけど、親友二人がこの世界で生きていくと決めた以上、俺だけ帰るのもどうかなって思ってる」

「そうか……」


 シドは静かに目を伏せると、何を思ったのかゆっくりと俺へと手を伸ばしてくる。

 俺の頬に手を当てたシドは、目を合わせて静かに話す。


「……辛かったな?」

「えっ?」

「コーイチ、あんたはこの世界に来たくて来たんじゃないんだろ? それなのに、仲間のためにこの世界で生きるなんて悲しいこと言うなよ。生きるなら、自分のために生きな」


 そう言ったシドは俺の顔を両手で包み込むと、そのまま自分の膝の上へと乗せる。


「――っ!? シド、何を?」

「う、うるせぇ! こ、これはその……あれだ。このまま何もしないとあたしの査定に関わるから、仕方なくだよ」


 いきなり膝枕をされて驚いた俺が顔を上げると、茹で上がったタコぐらいに顔を真っ赤にしたシドが恥ずかしそうにそっぽを向いていた。

 こういうサービスはしないんじゃなかったのか? 何ていうか、そんな初心な顔を見せられると、こっちまで恥ずかしくなってくる。


 まるで赤子をあやすように優しく頭を撫でられ、俺まで顔が赤くなってくる。


「な、何で、いまさら……どういう風の吹きまわしだよ」

「いいんだよ。何ていうかさ、コーイチ……あんたは少し頑張り過ぎなんだよ」

「そう……かな?」

「そうだよ。自分が壊れるまで戦うなんて……だからこれはあたしからのご褒美だ」

「で、でも、これは俺が弱かったから……」

「だとしてもだよ。悪いようにはしないから、おとなしくしておけ」

「わ、わかったよ」


 シドに言いくるめられ、俺は赤い顔を見られないように彼女から目を背ける。

 すると、シドの女性らしい柔らかい太ももの感触と、花のような甘い香りが鼻につく。

 このままでは色々とマズイことになるような気がするので、とりあえず顔を上げようとするが、シドは俺を逃がさないように頭を押さえつけるように撫でるので、動くこともままならない。


 すると、


「ラ~、ララ~……」


 俺の頭を撫でながら、シドが静かに歌い出す。


「シ、シド……それは」

「……これは、あたしの故郷に伝わる子守歌だよ。今回だけの特別だから、ありがたく受け取りな……」


 そう言ってシドは再び子守歌を歌い始める。


 その歌は、牧場で子供の世話をする夫婦の物語だった。


 山や川といった自然豊かな中にある小さな牧場で、家畜の世話をしながら子供を育てる夫婦が、日々の忙しさの中でいくつもの小さな幸せを見つけて生きる喜びを見つけていく子守歌は、初めて聞いたはずなのに何処か懐かしい感じがした。


 しかも、一定のリズムで優しく頭を撫でられ、暖かく柔らかな太ももの感触も相まって、俺は早くもうとうとし始めていた。


 このまま時間まで、シドに身を任せるのも悪くない。

 そう思っていたが、


「…………えっ?」


 突然、シドの太ももが鋼鉄のように硬くなり、俺は驚いて顔を上げて彼女の顔を見る。

 すると、シドは周囲を警戒するように三角形の耳をピクピクと動かし、忙しなく視線を左右に巡らせていた。


「……シド?」

「シッ、静かに……」


 自分の唇に人差し指を当てながら、シドは尚も周りの気配を探るかのように耳を忙しなく動かしていた。

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