第101話 はじめてのおつかい

 診察を終え、診察室まで案内してくれた子供たちに挨拶をして孤児院を後にした俺は、雄二たちと合流するために街を歩いていた。


 向かう場所は今朝、ソロから教えてもらった日用品が多く売られているという街の西側にあるマーケットだ。

 グランドの街は、人口一万人以上というイクスパニアの中でもかなり大きな街のようで、街の大きさもかなりのものだ。

 街をぐるりと囲む城壁は高さ目測で十メートル以上と思われ、街のどこにいても四方を見渡せば、いずれかの方角に城壁が見えるほど存在感がある。

 この城壁、俺たちが泊まっている宿をはじめとする場所だと、日中も日陰となる時間が多くて住民に不評なようだ。


 だが、街に不慣れな俺にとっては、何処からでも見える城壁は目印としては最適で、今も地図と城壁を確認しながら俺はマーケットへと向かっていた。




 小高い場所にあった孤児院から下に降りてくると、途端に周囲から美味しそうな匂いが漂ってくる。

 周囲を見れば、威勢のいい掛け声を上げながら新鮮な食材を売る青果店や、巨大なサラマンダーのような回転式のオーブンで肉の塊を売る精肉店、見たこともない色や形の魚を売る鮮魚店や、調理された料理を売っている屋台がずらりと並んでいた。

 どうやらここら辺りは、食料品を中心に取り扱う地区のようだ。


「……しまったな」


 何の考えもなしにこの地区に足を踏み入れてしまったことを俺は少し後悔する。

 地図によると、ここを抜けなければ問題のマーケットに辿り着けないのだが……


「ううっ、この匂い……堪らん」


 俺は精肉店から漂ってくる香ばしい匂いに、口内に涎が溢れてくるのを自覚しながら腹を押さえる。

 診療所に行くまでにそれなりに迷ってしまった為、時刻はもう正午に差し掛かろうとしている。


 それはつまり、今は昼ごはん時ということだ。


 それを示すように、居並ぶ屋台には大勢の人が押し寄せ、提供される料理を実に美味しそうに食べていた。


「…………腹減ったな」


 診療所に行く時も思ったが、どうして俺はいくばくかの金を貰ってこなかったのだろうか。

 俺は何も考えずに診療所に向かった過去の俺を恨めしく思いながら、誘惑に負けないように下を向いて歩く。

 こうなったら、一刻も早くこの地区を抜けて、雄二たちと合流しよう。そう思った。


 俺は周りの熱狂から避けるように、俯きながら歩いていると、


「なあ、あんた。ちょっといいか?」


 俺の前に誰かが立ちはだかった。


「もしかしてだけど、あんた金がなくて困っているのか?」

「えっ?」


 声に反応して顔を上げると、いかにも怪しい人物がいた。

 それは頭まですっぽりと覆う黒いフードを身に付けた年齢は疎か、性別すらわからない人物だった。

 いや、正確には性別だけはわかる。

 フードの奥から響いてくる声は、確かに女性の声であった。


 いかにも怪しい人物の登場に、俺は実体化しなければ他人には盗られないとわかっていながらも、本能的に右手のネームタグを押さえる。

 その行動をどう思ったのか、フードの人物は肩を大袈裟に竦めてみせながら気安く話しかけてくる。


「そんなに警戒するなって、別に命を盗ろうってわけじゃないさ」


 そう言うと、フードの人物は何かを俺に投げてよこす。


「おわっ!?」


 反射的に投げられた物を受け取った俺は、手に収まったそれをマジマジと見る。


「……銅貨?」


 それはグランドの街で流通している貨幣の中で一番価値の低い銅貨を一本の紐でまとめたものだった。

 ちなみに銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚と同等の価値がある。

 投げられた銅貨は二十枚前後あった。

 銅貨を見ることは初めてだけど、こうして紐で綺麗に結ばれているのを見ると、何だか江戸時代を舞台にした岡っ引の捕物帳を思い出してしまう。

 しかし、こんなものを俺に渡して一体何をさせようというのか。


 ……まさか、いきなり爆発したりしないだろうな?


 そんなことを考えながら怪訝そうに銅貨の束を見つめる俺に、フードの人物は青果店を指差しながら話す。


「悪いけど、それで適当に果物とか買って来てくれないか?」

「えっ、何で俺が?」

「何でって、兄ちゃんがいい人に見えたからさ」

「いい人って……」

「あたし、人を見る目には自信があるんだよ」


 言葉を失う俺に、フードの人物は自分の右手の平を見せながら話す。


「実はな、買い物しようにもネームタグを仲間に預けているのを忘れてちまったんだ」

「それって……」


 冒険者たちの間ではよくあるという、クエストに出かける際にネームタグを他人に預けるということだろうか。

 俺の沈黙から事情を察したと思ったのか、フードの人物は肩を竦めてみせる。


「まあ、そういうこと。早くしないと仲間たちにどやされちまうんだよ。買って来てくれたらをいくつか礼をやるからいいだろ?」

「…………」


 理由は聞いた俺は、どうしたものかと一瞬考えたが、


「わかりました」


 本当に困っている様子の彼女を見て、引き受けることにした。


「そうか、悪いな。恩に着るよ」

「いえ……」


 彼女の言っていることが真実かどうかはわからないが、ネームタグを仲間に預けるという話をジェイドさんから聞いていたので、きっと彼女は冒険者なのだろう。


「買ってくるものは、適当でいいんですか?」

「ああ、でもできるだけそのまま食べられるものを買って来てくれ」

「わかりました」


 買うものも特に指定がないのであれば、この世界での初めての買い物の練習にはもってこいだろう。


「それじゃあ、いってきます」

「ああ、すまないね」


 俺はそこで待っているという彼女を置いて青果店へと向かった。

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