第100話 驚きの技術力!?

 棚にずらりと並んだ薬瓶の中から小さな瓶を持って来たマーシェン先生は、瓶の中から紫色とした毒々しい薬を手に取ると、俺の左手の患部へと塗っていく。


「――っ!?」


 その瞬間、痺れて殆ど痛みがなかった患部に鋭い痛みが走り、俺は顔をしかめる。

 そのまま堪らず手を引こうとするが、マーシェン先生は俺の手首をしっかりと掴んで放してくれない。


「シミるだろうが、早く治すためだ。耐えなさい」

「…………は、はい」


 マーシェン先生はそう言うが、これまで痺れて殆ど感覚がなかったのに突如として激痛が走ったのだ。突然で驚いたのもあるが、耐え難い痛みを前にして耐えるという選択肢をいきなり取るのは無理だろうと思う。


「…………くぅ」


 その間にも眠っていた左手が覚醒し、これまで溜まっていた痛みをまとめて支払わされているような激しい痛みに、俺は堪らず苦悶の表情を浮かべる。

 だが、痛みが戻って来たということは、左手が正常に戻って来たともいえるので、これは喜ぶべきことなの……かもしれない。


 だが、それにしても……、


「い、痛いです」


 ズキズキと針を突き刺されるような痛みに、俺は顔中に脂汗を浮かべながら泣きごとを言う。


「これ……何時まで続くんですか?」

「それは君の体次第だ。言うまでもないが、その痛みは体が正常に戻るために必要なものだ。君も男子……それも既に成人しているのだろう。子供だって耐えられる痛みなのだから、つべこべ言わずに耐えなさい」

「…………はい」


 子供も耐えられるとなんて言われたら、俺は頷くしかなかった。




 いつまでも続くかと思われた痛みは、程なくして終わりを告げた。


「…………はぁ、はぁ」


 荒く息を吐きながら、俺は左手を閉じたり開いたりを繰り返して調子を確かめる。

 ついさっきまで感覚は疎か、自由に動かすことも叶わなかったことと比べると格段に回復したといってもいいだろう。


「どうやら、少しはマシになったようだな」


 俺の左手の様子を見ながら、マーシェン先生は包帯を手に取り、左手に巻きながら話す。


「心配しなくとも、あの薬を使うのは一回だけだから安心しなさい」

「は、はい……」


 よかった。流石にあの薬を通う度に使うと言われたら、次からバックレる自信があった。

 そうこうしている間にマーシェン先生は鮮やかな手つきで包帯を巻き終えると、柔らかな笑みを浮かべる。


「さて、今日の治療はこれで終了だが、明日も来れるのか?」

「あっ、はい。大丈夫です」

「そうか、それなら明日も来なさい。時間は、コーイチ君の好きな時間で構わない」

「わかりました。あ、あの……」


 そこで俺は、あることを失念していたことを思い出し、気まずそうに顔を伏せる。

 だが、ここまで来てしまった以上、逃げ出すこともできないので観念してマーシェン先生に白状する。


「その、お金のことなんですが……すみません。実は今、手持ちが一切ないんです」


 そうなのだ。リムニ様から援助をいただいて無一文ではなくなったのだが、金は全て買い物に行く雄二たちに預けてしまっていたのだ。

 社会人として、お金も持たずに医者に来るなどという有り得ないミスを犯してしまったことに、俺は穴があったら入りたいと思うほど赤面して小さく縮こまる。


 だが、そんな俺にマーシェン先生は、思いも寄らない一言を口にする。


「そのことなら気にする必要はないぞ」

「…………え?」

「気にする必要はない。と言ったんだ。君の治療費は後で貰うことになっている」


 そう言ってマーシェン先生は、右手の平を上にしてネームタグを取り出し、机の上にある四角形の金属製の箱の上に置く。

 ネームタグを箱の上に置いた途端、


「おわっ!?」


 何もない空中に文字が浮かび上がり、俺は思わず驚きの声を上げる。


「えっ!? す、凄い……これってホログラム?」

「ほろ……ぐらむ?」

「あ、ああ、いえ……その、俺の世界にはそういうものがあるんです」

「そうか、君は異世界から来た自由騎士だったな」


 そう言って納得してくれるマーシェン先生だったが、俺は目の前に浮かんでいる文字に釘付けになっていた。


「も、もしかしてこれも、魔法なんですか?」

「そのようだな。ネームタグの情報を映し出してくれるもののようだ。名前は……聞いたが忘れたな」


 問題はそこではない。と前置きをして、マーシェン先生は空中の文字を指差しながら話す。


「ここには儂の情報が書かれているわけだが、ここに君の治療を行った旨と、使った薬の記載がされている」


 マーシェン先生によると、診療所による診察は、このネームタグの記録を元に、然るべき場所から診察に応じた報酬が支払われるという。


「実を言うとな、ここにある薬や道具は全て上に管理されており、勝手に使うことは許されておらんのだよ」

「全て……ですか?」

「ああ、だから必要以上の治療もできなくて困っておるのだよ」


 これは、医療という大変貴重な行為を、ネームタグを持たない街の人間以外に行わないようにという対策なんだという。


「ほぁ……」


 その説明を聞いた俺は、何とも間抜けな声を上げる。

 この街ではネームタグによる住人の管理を行っていると散々聞いていたが、まさかここまで徹底した管理体制を敷いているとは思わなかった。

 これは益々、ネームタグを失うことは死ぬことと同等であると言えるだろう。

 俺はソロから教わった半分だけ実体化させたネームタグを見ながら、この板はひょっとしたら俺たちを縛る見えない鎖なのではないかと思った。


 すると、


「全く、これの所為であの子が……」

「えっ?」


 マーシェン先生が何かを呟いたが、声が小さくてよく聞き取れなかった。


「…………何でもない」


 俺の視線に気付いたマーシェン先生は「今のは忘れてくれ」と吐き捨てるように言うと、ネームタグを回収して自分の右手の平の中にしまう。


「さて、話は以上だ。一日も早く治すためにも、明日も必ず来なさい」

「……あっ、はい。ありがとうございました」


 有無を言わさない迫力に、俺はおずおずと頭を下げると「失礼いたしました」と言って診察室を後にした。

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