第72話 狼

 テオさんに謝罪の言葉を言う暇もなんてない。俺の冒険は成す術なくここで終わりを告げる……………………………………………………………………………………はずだった。


 だが、そこで不思議なことが起こる。


「わぷっ!?」


 突如として一陣の黒い風が吹いたかと思うと、眼前に迫っていた熊が一瞬にして消えてしまったのだ。

 な、何だ。何が…………起こったんだ?


 完全に死んだと思ったのに……自分が生きていることが信じられず、自分の手を見下ろしながら呆然と佇んでいると、


「浩一君!」

「この、馬鹿野郎! 無茶ばっかしやがって!」

「おわっ!?」


 立ち上がって来た雄二と泰三に押し倒され、二人にもみくちゃにされてしまう。


「死なないってあれだけ言っておきながら、お前が一番に死ぬようなことすんなよな!」

「本当ですよ! 浩一君はもっと自分を大事にすべきです」

「いたた……悪かった。悪かったって……それより今はこんなことしている場合じゃないだろう」


 何処にそんな力が残っていたのか、思った以上に強い力で叩いてくる二人をどうにか押し退けながら俺は立ち上がって、黒い風が通り抜けた方へと顔を向ける。

 点々と残る黒い血の痕を辿っていくと、その先で首が変な方向に曲がってぐったりと動かない熊と、襲いかかって来た熊と同じ大きさの黒い獣がこちらを見ていた。

 その四足歩行の獣は、外観こそバンディットウルフと似ていたが、顔付きは俺がよく知る犬と似た顔立ちをしていた。

 だが、普通の犬よりも鋭い目つきをした獣は犬というより、



「……狼?」


 俺がそう口にすると、黒い獣が「バフッ」と低い声で鳴く。

 その鳴き声は「その通りだ」と鳴いているように聞こえた。

 バンディットウルフをはじめ、魔物たちの鳴き声は何と言っているかはわからなかった。だが、目の前の黒い狼が何と言っているのかがわかる。


 そのことから導き出される答えは――


 俺が結論を出すより早く再び狼が「ワン!」と鳴くので、俺はその意味を理解して怯えたように立ち尽くす二人の親友に叫ぶように話しかける。


「二人とも、行くぞ!」

「えっ? 行くって何処にですか?」

「あの狼のところだ」

「はぁ!? な、何言ってんだ。お前……」

「いいから早く! あの狼は味方だ!」


 俺がそう言い切ると、二人の顔に疑問が浮かぶより早く理解が追いついたのか、


「わ、わかりました」

「急ごう」


 二人とも俺のレンジャーのスキルであるアニマルテイムの存在を覚えてくれていたようで、すぐさま頭を切り替えて行動へと移る。

 俺たち三人が動きはじめたのを見た狼は、自分の足元に転がる熊の死体を咥えて首を使って遠くへ放り投げると、音もなく静かに立ち上がる。


「あの狼の腹の下に潜るんだ!」


 そう言って俺が見本を見せるように狼の腹の下に滑り込むと、二人もそれに続く。


「よし、三人とも中に入ったよ」


 俺が真上の狼へと話しかけると、


「アオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォン!!」


 狼は天に向かって空気を揺るがすほどの大音量の遠吠えをして、そのまま地面に伏せる。

 すると当然、


「うっ……」

「ぐえっ!?」

「あうっ」


 狼の巨体が俺たちにのしかかって来るので、俺たちは揃って呻き声をあげる。

 だが、狼が気を使ってくれているのか、地面との間に少し隙間を開けてくれているので決して重いわけではない。

 どちらかというとフカフカで柔らかい毛に心地良さを感じ、ドクン、ドクン、という狼の心臓の鼓動が聞こえ、こんな巨大な狼も生きているんだと思っていた。

 巨大な熊による危機が去ったが、まだ多くの魔物たちが俺たちを殺すために迫って来ている。そんな状況なのにこんな場違いなことを考えてしまっていると、上空から何かが飛来するような甲高い音が聞こえる。


「……な、何だ?」


 また何か新たな脅威がやって来たのか。そう思って俺は狼の腹の下から首だけ出して空を見ようとすると、


「――いっ!?」


 眼前にいきなり一本の矢が降って来て地面に突き刺さり、俺は慌てて狼の腹の下に戻る。

 一体どこから矢が飛んできたんだ。そう思う間もなく、さらなる衝撃が訪れる。

 最初に振って来た矢を皮切りに、正に雨が降るように空から矢が振って来たのだ。


「う、うわあああああああ!」

「な、何だ。何だ。何だ!?」

「ヒイイィィ……」


 まさかの展開に、俺たちは狼の腹の下に隠れながら悲鳴を上げる。

 切れ間なく降り注ぐ矢の雨に、すぐそこまで迫ってきていた様々な種類の魔物たちが成す術もなく串刺しにされ、次々と息絶えていく。

 例え矢の当たり所がよくて致命傷に至らなくとも、第二、第三の矢がすぐさま飛んできて僅かに残った命を削り取っていく。


 つい先程まで何もなかった平原が、突如として処刑場へと変化したことに魔物たちも焦りを覚えたのか、遅れてやって来た魔物たちが踵を返して森へ帰ろうとするが、それも読んでいたと謂わんばかりに、矢は背中を向けた魔物たちも容赦なく貫いていく。

 これだけ矢の雨が降り注ぐ中、俺たちを守るように伏せている狼は大丈夫なのだろうかと心配になる。

 明らかに何本かの矢が刺さっているはずだが、狼はジッと伏せたまま微動だにせず、耳を澄まして聞こえる心臓の音に乱れはないので、俺の心配は杞憂なようで安心する。


 その後も矢の雨は降り止むことはなく、この場に現れてしまった魔物たちを蹂躙していった。

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