第71話 死の覚悟

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 何としても逃げなければならない……それは重々わかっているのだが、俺たちの体力は最早虫の息も同然で、全力で走っているつもりなのにちっとも前に進まない。

 このままでは追いつかれるのも時間の問題だが、疲れ切った体ではこれといった対策が何も思いつかない。

 それでも必死に頭を働かせ、どうにかしなければと思っていると、


「はぁ…………あうっ!?」


 すぐ後ろから泰三のくぐもった悲鳴と、誰かが地面に転がる音が聞こえる。

 その音にハッ、として背後を振り向くと、うつ伏せのままピクリとも動かない泰三の姿が見え。


「泰三!」


 俺は慌てて踵を返すと、倒れている泰三の下へと向かって肩を貸してやる。


「大丈夫か?」

「……浩一君、もういいですよ」


 泰三は力ない声でそう言うと、ゆっくりとかぶりを振る。


「僕は駄目です……もう、一歩も動けそうにないんです。だから、僕のことは見捨てて下さい」

「嫌だね」

「…………えっ?」

「嫌だ。って言ったんだ」


 驚いて目を見開く泰三に、俺は少し怒気を込めて話しかける。


「そう簡単に見捨ててくれなんて言うなよ。俺たち三人で、この世界で生きていくって言ったろ?」

「……浩一君」

「そうだぜ。俺たち一蓮托生、だろ?」


 すると、俺の反対側に雄二が現れ、同じように泰三に肩を貸してやる。


「泰三が倒れそうになっても、俺たちが支えてやるからな」

「雄二君も…………ありがとう」


 泰三は目から涙をポロポロ零しながら礼を言う。

 俺と雄二によって両手が塞がれているので、流れる涙を拭うことはできなくて泣き顔を晒してしまっているのは悪いと思うが、ここには俺と雄二しかいないのでこのまま我慢してもらうことにする。



 こうして俺たち三人の友情を再確認できたことはよかったのだが、今の状況で立ち止まってしまった代償は大きかった。

 後ろを振り返るまでもない。揺れる地面と聞こえてくる音だけで魔物たちがかなり近くまで迫っているのがわかった。


「…………急ごう。絶対に生き延びるんだ」


 俺は恐怖で青くなっている二人を鼓舞するように呟くと、三人で歩調を合わせて歩きはじめる。


 だが、その速度はこれまでの走っていた速度と比べるとかなり遅い。


 当然ながら後ろから聞こえる叫び声や、地響きはどんどん大きくなり、俺たちは口にしないながらも心の中ではどんどん焦燥感が募っていく。


「…………」


 しかし、このまま現実を見ない訳にはいかないと、俺は泰三を離さないように一度、抱え直しながらゆっくりと後ろを振り向く。


「――っ!?」


 すると、先頭を走っていた巨大な熊が、もう二十メートルもないところまで迫っているのに気付く。

 このままでは三人一緒にあの熊に薙ぎ払われ、致命傷を負ってしまう。そう判断した俺は、


「雄二、泰三……すまん!」


 残っていた力を総動員して、二人を思いっきり突き飛ばす。


「こ、浩一君?」

「お前……」


 突然の凶行にもみくちゃになって倒れていく二人から抗議の声が上がるが、俺は無視して向かってくる熊へと向き直る。


 熊という生物は元来憶病で、万が一森で熊と鉢合わせてしまった場合は、正面から睨みつけるのが最も正しい対処法だという。

 逆に一番やってはいけないことが相手の背を向けて逃げることで、憶病な熊が驚き、防衛的な行動として襲いかかってくることがあるので、迂闊に逃げることは絶対にやってはいけない。

 ちなみに、もう既に有名だと思うが死んだふりというのはもってのほかなので、間違っても死んだふりだけはやらないように。

 もう手遅れかもしれないが、俺は熊に自分が襲うのは危険な存在だと知らせるため、自分をなるべく大きく見せるために両手を広げ、恐怖で屈しそうになる膝をどうにか維持しながら熊を睨む。


 しかし、果たして一般的な熊への対処法がこの熊に通じるかどうか。

 こっちに向かって来る熊は、狂ったように赤い目をギラつかせ、口の端から涎を撒き散らしながら駆けてくる。

 そして、当然ながら魔物の熊に俺が知る常識が通じるはずもなく、すぐ近くまで熊はその巨体からは想像もできないほど大きく飛び上がった。


「……えっ!?」


 完全に虚を突かれる形になった俺は、自由落下で落ちてくる熊を呆然と見上げることしかできなかった。


 対策も何も思い浮かばない。

 ただ、ただ、あの熊が空を飛んだという事実に感心してしまっていた。


 あっ、これ、死んだわ。


 正気に戻った時にはもう既に手遅れ、俺のすぐ眼前まで熊の爪が迫ってきていた。

 数百キロはあるだろう巨体による重い一撃……さらにそこに自由落下による重力加速度が加わるのだから、何の防具も装備していない俺の体など、バターを切るかのように簡単に真っ二つになってしまうのは容易に想像できた。

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