第70話 決死の逃走

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…………


 俺は必死に足を動かしながら、助けることができなかったエイラさんと、見捨てることになってしまったテオさんに謝罪の言葉を繰り返していた。

 目からは涙が溢れ、何度乱暴に拭っても次から次へと涙が出てきて、止めることはできなかった。


 孤児という恵まれない環境で育ったにも拘わらず、それをおくびにも出さず笑顔で俺たちに手を差し伸べてくれたエイラさん。

 彼女は自分で向いていないとわかっていても、自分と同じ境遇の子供たちに暖かい寝床と、美味しいご飯を用意してあげたいという小さな夢を叶えるため、世界中を回れる冒険者という道を選んだ。


 だが、その夢はもう二度と叶わない。


 そんなエイラさんと同じ孤児院の出身で、孤児院の運営費を稼ぐために敢えて命の危険が伴う冒険者になったというテオさん。

 彼の援助があったから、エイラさんをはじめ、多くの親を失った子供たちが笑顔でいられたという。

 そんな援助も、テオさんが死んでしまったら彼の援助を頼りにしている子供たちの笑顔を守ることができなくなってしまう。


 テオさんは俺たちが早く仲間たちと合流してくれれば助かる見込みがある。そう言ってはいたが、俺が最後に後ろを振り返った時、テオさんの姿は、既にあらゆる魔物の波に呑まれ、見えなくなってしまっていた。

 背後から聞こえるのは、耳障りな魔物たちの鳴き声と、何かを砕くかのような不気味な音が聞こえていた。


 こうなったらもうテオさんは……脳裏に最悪の光景が浮かびあがるが、俺はつよくかぶりを振って、それを否定する。

 今は何も考えずに、前だけを向いて一歩でも先に進むんだ。

 幸いにも迷いの森の出口は、もうすぐ目の前に迫っている。

 あの森を抜けた後、目的の街までどれぐらい距離があるのかわからないが、足が千切れようとも全力で駆け抜けようと思っていた。




 程なくして俺たちは、とうとう迷いの森を抜けることに成功する。

 テオさんの言葉通りであれば、この近くまで俺たちを助けに誰かが来ているはずだが、


「誰も…………いない?」


 森を抜けた先は、昨日、迷いの森に入る前と同様、何処までも広大な草原が広がっているだけで、いるはずのテオさんの仲間は疎か、人影の一つもなかった。


「そんな……どうして」


 一刻も早く助けを見つけ、テオさんを助けに戻りたいと思っていた俺は焦り、忙しなく視線を彷徨わせながら来ているはずの救援者の姿を探す。

 実際にすぐ近くまで来ていなくても、せめて目に見える範囲に誰かしらいるものだと思っていた。

 決して近い距離ではないが、目視できる距離にグランドの街と思われる人工物の姿も見て取れる。

 救援信号が街まで届いていたなら、何かしらの動きがあってもおかしくないはずなのに、今この時も誰かが街の中から出てきている様子はない。

 いや、そもそもあの時打ち上げた救援信号が届かなかったのか?

 だとしたら、俺たちは自力で街まで辿り着き、誰かにテオさんの救出依頼を出さなければならない。


「……だとしても」


 テオさんを見捨てるわけにはいかない。

 正直なところ、普段から全く運動していなかった俺たちにとって森の出口までの数百メートルだけで息も絶え絶えとなっている。

 俺は大きく息を吸って気合を入れ直すと、震える足を叩きながら後ろの二人に話しかける。


「行こう………………絶対にテオさんを助けるんだ」

「…………あたぼうよ」

「はぁ…………はぁ…………当然です」


 二人とも俺と同じように体力の限界はとうに過ぎていたが、命の恩人を見捨てるようなことはできない奴等なので、自分を奮い立たせて力強く頷くと、足に力を込めて再び走り出す。




 森を抜け、今度は平原を走る俺たちだったが、その速度は明らかに落ちていた。

 気持ちだけは前へ、前へと向かっているのだが、気持ちだけでは失った体力は戻ることはなく、走る速度は疾走というよりは、既にジョギング程度にまで下がっている。


「はぁ………………はぁ………………はぁ…………」


 口をだらしなく開け、痛み出した脇腹を押さえながら必死に足を前へと出し続ける。

 すっかり速度が落ちてしまった俺たちの足では、街の入口まで到達するまでどれほどの時間がかかるか……そんなことを考えていると、


「こ、浩一君!」


 最後尾の泰三から悲鳴が上がる。


「う、うう、後ろ!」


 切羽詰まった泰三の言葉に俺が後ろを振り返ると、森の中から赤い目の大型の熊が砂煙を上げながら猛然と迫って来るのが見えた。

 さらにその後ろにはバンディットウルフをはじめ、何匹もの魔物が列を成して続いている。


「――っ、い、急ぐんだ!」


 ネトゲで言うところのモンスタートレインと同じ状況に、俺は顔から血の気が引くのを感じながら二人にもっと急ごうと提案する。

 あの魔物たちが森の中から出てきたということは、テオさんによる足止めが既に効果を成していないということだが、俺たちが足を止める理由にはならない。

 何故なら、連中だけがたまたまテオさんの脇を通り抜けて俺たちを追って来たという可能性もある。


 まだテオさんが亡くなったと決まったわけではないのだ。


 それに、ここで俺たちが奴等に追いつかれて殺されたらテオさんの努力が無駄になってしまうし、彼を助けることもできなくなる。

 だから俺たちは是が非でも逃げなけばならなかった。

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