第69話 生きろ!

 俺は自分の身に、何が起きているのか全く理解できないでいた。


 意識はしっかりしている。体の調子も馬車から放り出されたことであちこちが痛むが、頭を打ったような形跡はない。

 だが、まるで嵐の中の船の中にいるかのように足元がおぼつかなく、必死に立とうとするが、体が今にも倒れそうになっていた。

 何かあったとすれば、メガロスパイダーが現れ、対峙した時から明らかに具合が悪くなったような気がする。


 だが、そんなことがあるのか?


 サイクロプスもめちゃくちゃ怖いと思ったが、それでもこんな明らかに前後不覚に陥るようなことはなかった。

 必死に頭を巡らせるが、その原因は結局わからない……。

 マズイ、このままでは地面とキスする羽目になるもの時間の問題か……そう思っていると、


「コーイチ、しっかりするんじゃ!」

「あいだっ!?」


 テオさんが背中を強く叩いて気合を入れてくれる。


「奴の目を見るな。あいつの目には、人の前後を不覚にさせる効果がある。ユージもタイゾーも、視線を逸らせないなら目を閉じるんだ」

「は、はい!」

「わかった」

「――っ、こうですね」


 テオさんの言葉に、俺たち三人は揃ってメガロスパイダーから視線を外す。

 すると、体全体にのしかかっていた呪縛が解け、ようやくいつもの調子に戻ったことに俺は安心して大きく息を吐く。


「……コーイチ」


 すると、テオさんがメガロスパイダーに隙を見せないように注意深く睨みながら、俺に話しかけてくる。


「いいか? お前さんはユージとタイゾーを連れて、今すぐここから逃げるんじゃ」

「えっ、でもテオさんは?」

「バカモン! 今はワシのことより自分の心配をするんじゃ!」


 テオさんはボウガンではないもう一つの愛用の武器、小振りな斧を取り出して構える。


「そもそも、武器の一つも持ってない、ましてや怪我でまともに物も持てないのにどうやってあいつと戦うつもりじゃ? ハッキリ言わせてもらうが、お前さんたちは最早ただの足手纏いじゃ」

「あ……」


 そう言われて俺は、馬車を軽くするために不要な荷物を捨てるとなった時に、ソードファイターの兄妹が使っていた剣を捨てていたことを思い出す。

 それは雄二と泰三も同様で、俺たちは既に戦う術の一切を失っていた。


 テオさんの言う通り、俺たちにできることは何もなかった。

 だけど、ここでテオさんを置いて逃げるということは、散々面倒を見てもらった命の恩人を見捨てるということだ。

 既にエイラさんという恩人の一人を失っているのに、ここでさらにもう一人の恩人を見捨てるなんて……できるはずがなかった。


「コーイチ、お前さんは優しいな」


 そんな気持ちが顔に出ていたのか、テオさんは優し気な笑みを浮かべて俺の頭を乱暴に撫でる。


「ワシら冒険者は、常に明日も知らぬ身でいつ死ぬかわからぬ毎日を送っている。だから身近な者が死ぬことになれておる……それこそ、それが家族と呼べる近しい者であってもな」

「テオさん……」

「それに慣れろというつもりはない。死に慣れると命を軽んじるようになるからな。じゃが、この世界で生きていくためには、自分の命を最優先に考えるのを忘れてはならん」

「自分の……命を?」

「そうじゃ、今から逃げるのも何も恥じることではない。自分にできる精一杯を選んだ結果が、逃げるという選択肢になったというだけじゃ」


 それに、


「さっき街の仲間に助けを呼んだじゃろ? コーイチたちが上手く逃げて、すぐ近くまでやって来ているはずの仲間たちと合流してくれれば、ワシの生存確率も上がるというものじゃ」


 そう言うと、テオさんは白い歯を見せてニッコリと笑う。

 そこまで言われたら、俺たちにできることは一つしかなかった。

 俺は溢れそうになっている涙をどうにか拭うと、テオさんの目を真っ直ぐ見つめて決意を語る。


「…………必ず、必ず助けを呼んで迎えに来ますから」

「おう、頼んだぞ」


 テオさんは最後に俺の背中をバシッ、と一際強く叩くと、


「三人とも、生きろよ!」


 そう言い残してガシャガシャと足音を立てながら迫って来るメガロスパイダーへと向かっていく。


「痛ぅ…………」


 容赦なく叩かれた背中の痛みに涙目になりながらも、俺は去っていく漢の背中へと一礼して、雄二と泰三へと向き直る。


「…………行こう。テオさんの厚意を無駄にしてはいけない」


 その言葉に二人も頷くと、俺たちは迷いの森の出口に向かって一斉に走り出した。

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