第43話 初夜

「…………腹減ったな」


 小指ほどの大きさのチーズの欠片を舐めるように口の中で転がしながら、俺は地面に寝転んで空を見やる。


 そこには日本で見る満月と比べ、倍以上の大きさの碧く輝く月、そして、雲より高い位置にいても見られるかどうかわからない、満天の星の海が広がっていた。

 本来なら漆黒の闇が支配するだろう夜の闇は、不可思議な巨大な月と、自分が一番輝いていると激しく自己主張する星が瞬いているお蔭で一切の不自由は感じなかった


 火を熾すことは失敗した俺たちだったが、幸いにも食糧と飲み水の確保だけはどうにかなった。

 飲み水はゲームで得た知識で井戸の場所を知っていたので、まだ使える井戸を比較的容易に見つけられ、水を入れられる袋も運よく手に入った。

 課長たちがあれだけ空腹でいたのだから、まともな食料を見つけるのは無理かと思われたが、そんな俺たちを助けてくれたのは、以前にも助けてくれたまん丸に太ったネズミだった。


 食べ物が見つからず、途方に暮れている俺たちの前に再びネズミは、厨房の床下に隠されたチーズ工房と思われる収納部屋を教えてくれた。

 室内には様々な種類のチーズが収納されていたが、大部分はカビが発生し、見るからにヤバくなっている物も少なくなく、無事なチーズは決して多くはなかった。

 そんな中、無事なものを全部持って行くのは流石にネズミに悪いと思ったので、一抱えあるチーズを各々一個ずついただくことにした。

 室内には他にも色々と食べられそうな物を色々と見つけたのだが、どれも保存状態がよくなく、口に入れた後に無事ではすまなそうなものばかりだったので、俺たちは当面はこのチーズだけで凌ぐことにしたのだった。


 風呂は用意できなかったが、確保した水で顔についた血だけを洗った俺は、定期的に行っているアラウンドサーチを使って俺たち三人以外に近くに反応がないことを確認すると、同じように僅かなチーズを食べている雄二たちに話しかける。


「なあ? 明日からいよいよ城の外に出るわけだけど……」

「うん?」

「どうしました?」


 俺の言葉に、二人の視線が集まる。


「あっ、いや……そのだな」


 神妙な顔で話し始めた所為か真面目な話と思った二人に真剣な顔で見つめられ、俺は思わず気恥ずかしさでたじろいでしまう。

 いや、実際今からすぐには恥ずかしい話なのだが、それでもこれだけは言っておきたいと思ったのだ。


「今日という日を無事に終えられたのは……あの化物に勝てたのは二人のお蔭だと思ってさ」


 実際、俺一人だったら、最初のゴブリンに殺されて終わっていたと思う。

 俺たちを圧倒したソードファイターの兄弟をもってしても倒せなかったサイクロプスを倒せたのも、雄二が体を張って囮役を買ってくれ、恐怖で萎縮してしまっていたはずの泰三がサイクロプスの特性を見抜き、隙を生み出す手筈を整えてくれたからこそ、俺のバックスタブが決まったのだ。

 グラディエーター・レジェンズをプレイしていた時と変わらない、俺たち三人のチームワークあってこその勝利だった。


 当初、俺はこの異世界でゲームと同じように三人で協力してやっていけるかどうか、不安で仕方なかった。

 だが、こうして一つの大きな壁を乗り越えた今、俺は自分の心の中に芽生えた感情を、素直に二人に伝えることにする。


「色々思うことはあったけど、二人と一緒にこの世界に来られて良かったよ……ありがとう」

「浩一、お前……」

「よ、よして下さい。僕なんかにそんな……」


 俺が頭を下げて礼を言うと、二人の頬が照れ臭そうに朱に染まる。


「何言ってんだよ。こっちだってお前がいてくれたから死なずに済んだんだぜ。いくら感謝してもし足りないくらいだ」

「そうですよ。こうしてご飯を食べられるのも、浩一君がいてくれたからです。本当にありがとうございます」


 俺に倣って、雄二たちも揃って頭を下げて謝意を伝える。


「…………」


 三者三様、それぞれ互いに感謝しつつ頭を下げ続けていたが、


「…………ぷっ」


 何だか馬鹿らしくなって来て、俺は思わず吹き出してしまう。


「あ~、やめやめ。こういうのは俺たちには合わないな」

「全くだ。さっきの浩一、かなり気味悪かったぞ」

「えっ? ぼ、僕は普通に心から感謝していますけど……」

「おいおい、泰三。そこはツッコむところだろうが」


 一人純粋な泰三に、雄二が肘をグリグリ押し付けながら指摘する。


「……まあ、そういうセンチな雰囲気になっていたのはわかる。でも、今さら口にする必要はないだろう? だって……」


 そこまで言ったところで、雄二は照れ臭そうに鼻の下を擦りながら話す。


「俺たち、親友じゃないか」


 その言葉に、俺と泰三は無言のまま頷く。

 改めて口にしなくても、俺たちの想いは一つということだ。


「だけど俺には一つだけ不満がある」


 照れた顔から一転して目を三白眼させる泰三に、俺と雄二は顔を見合わせる。

 すると雄二は、目をギョロリと泰三に向けると、恨みがましい声で話しかける。


「泰三……お前、いつの間に浩一のことを名前で呼ぶことにしたんだ?」

「えっ?」

「いつもは橋倉君って呼んでいるのに、今は浩一君って呼んでいるじゃないか」

「そういえば……」


 雄二に言われて、俺も泰三からいつの間にか名前で呼ばれていることに気付く。

 もしかしたら何か契機があったのかもしれないが、生憎と俺の記憶には泰三がいつ呼び方を変えたのかを覚えていない。

 これまで泰三だけが俺たちのことを名字で呼んでいることに対し少し距離を感じていた俺は、名前で呼んでくれたことで、正真正銘の親友になれたような気がした。


「ほら~、見てみろよ。浩一の嬉しそうな顔をよ!」


 そんな想いが顔に出ていたのか、雄二から透かさず俺へのツッコミが入る。

 慌てて表情を引き締める俺だったが、雄二はそんな俺を無視して泰三に詰め寄る。


「だからよ、泰三。俺のことも親友と思ってくれているのなら、戸上君なんて他人行儀な呼び方しないで名前で呼んでくれよ」

「えっ? わ、わかりました。ゆ、雄二君?」

「何か疑問形になってないか?」

「そ、そんなことないです。雄二君。ううん、これからはこう呼ばせてもらいますね」

「おうよ。これで俺も仲間だな」


 雄二が泰三の肩を乱暴に引き寄せながら笑うのを見て、俺は再び表情が緩むのを自覚する。


 日本にいた時も、俺たちは普通に仲の良いグループだった。

 しかし、それでも時には意見の違いから険悪な雰囲気になったり、不通になったりしたこともあった。

 そんな何処にでもある普通の関係では、もしかしたらちょっとした食い違いで関係が崩れ、そこから崩壊してしまう可能性もあった。

 だが、今日という日を経て俺たちの関係はより強固なものになった。

 これから先、どんな問題が起きても三人で協力すればきっと乗り越えていけるだろう。


 俺たちはこの第二の故郷となるであろう異世界で生き抜いていくのだ。



 こうして、波乱の幕開けとなった異世界での一日目が終わった。

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