第一章 現代編
第2話 俺たちの日常
そもそも、どうして俺が異世界の国、イクスパニアへと行くことになったかと言うと、それは今からおよそ三ヶ月前へと遡る。
「何度言えばわかるんだ! お前はこんなこともわからないクズなのか!?」
机とパソコンが整然と並べられたオフィスに響く怒声に、俺は「またか」と頭を抱えたくなる。
ここは全国にチェーン展開している小売店を統括する営業本部の一室にある企画経営部。俺はここに配属されて二年目の、ようやく新人気分が抜けてきた程度の若輩者だ。
声の方を見やると、ハゲ頭にチョビ髭の中年課長が、くたびれた背広に負けないくらい肩を落としたいかにも気弱そうな男性、俺と同期入社の
「誰がこんな企画書を提出しろと言ったんだ。ああん?」
「そ、それは……課長がそう言う風に直せと……」
「何だと!? お前、自分のミスを人のせいにするつもりか?」
「い、いえ……そういうつもりでは……」
「じゃあ、どういうつもりなんだ。言いたいことがあるなら言ってみろよ。さあっ!」
ハゲ上司に凄まれた泰三は、困ったように俺の方を見て助けを求めてくるので、俺は慌てて気付いていない振りをして視線を逸らす。
すまん、泰三。お前を助けたいと思うのだが、俺もあのハゲ課長、名前は……まあいいや。とにかく課長と関わりたくないのだ。
泰三はいい奴なのだが、自分に自信がないからか、人前で委縮してしまうことが多く、それが課長の気に障るらしく、今みたいに何かと難癖付けられて怒られることが多かった。
実際、今回の件も課長の言う通りに修正したにも拘らず、その箇所が気に食わないと怒られているのだから理不尽極まりないと思う。
実を言うと、その修正内容について俺も課長から指示を受け、泰三の作業を一緒に手伝った手前、多少の罪悪感はあったりするのだが、ここで名乗り出て一緒に怒られる勇気はなかった。
泰三には申し訳ないが、課長の怒りが収まるまで知らぬ存ぜぬを通すつもりだった。
その後も泰三は、課長の憂さ晴らしに付き合わされるようにひたすら怒鳴り続けられていた。
その日の夜、俺はリクルートスーツを脱ぎ捨て、昼間の冴えないサラリーマンとは全く別の姿になっていた。
中世を思わせる革製の胸当てに両手には小型ナイフ。顔を覆うフードをすっぽりを被る姿は、正にアサシンという言葉がぴったりだった。
そう、この姿こそ俺の真の姿……と言いたいところだが、
「ねえ、橋倉君。今日、僕が怒られるの気付いていたのに無視したよね?」
ヘッドフォンの向こうから聞こえてきた怒った様子の泰三の声に、俺は相手が目の前にいないにも拘らず、ペコペコと頭を下げながら謝罪の言葉を口にする。
「ごめんって。そりゃあ助けたい気持ちはあったけど……あの課長だぜ? 俺が行ったところで、何もできないって」
「それはそうですけど……」
「だから代わりとっちゃなんだが、今日もこうして遊びに付き合っているんだ。悪いがそれで勘弁してくれよな」
「……今日はとことん付き合ってもらいますからね」
「わかった。わかった。今日こそは完勝しような」
「ええ、今日こそは」
俺がサムズアップすると、長大な槍を背負い、革の鎧に身を包んだ泰三もサムズアップを返してくれる。
するとそこへ、
「お~い、お前たち。ゲームやってる時ぐらいは仕事の話止めてくれよな」
ヘッドフォンの向こう側から、泰三とは違う軽薄そうな声、
「浩一、泰三よ~。俺っちだけバイト戦士だからって、無視しないでおくれよ~」
少し泣きそうな雄二の沈んだ声に、俺は苦笑しながら答える。
「悪い、悪い。別に雄二を軽視なんかしてないから」
「本当かよ?」
「本当だって。俺たち、三人でチームだろ?」
「そりゃ……まあ、なあ?」
「そうですね。戸上君がいるのは非常に不本意ですが……」
「何だよそれ~。泰三~、勘弁してくれよな~」
雄二のおどけた調子に、俺も泰三も思わず声を上げて笑う。
俺と泰三、そして雄二の三人は、高校からつるむようになった仲で、高校、大学卒業を経て、今は『グラディエーター・レジェンズ』というオンラインゲームで毎晩遊ぶ間柄だった。
この『グラディエーター・レジェンズ』というゲームは、最大九十九人のプレイヤーが架空の世界にある広大な城を舞台に、三人一組でチームを組んで他のプレイヤーと殺し合い、最後まで残ったチームが勝利という今話題のバトルロイヤルゲームだ。
この手のゲームはFPSにはありがちだが、グラディエーター・レジェンズのメインウエポンは剣や槍、斧などの近距離武器を手に戦うのが最大のウリとなっている。
一応、
普通に考えれば、剣や槍では敵に攻撃を当てることは凄く難しいのでは? と思うかもしれないが、このゲームはVRゴーグルを装着して遊ぶことが前提となっている。
そう、これのお蔭で自分自身がゲームの中にいるキャラクターと同じ目線で、立体的に物を見ることができるので、攻撃する際に距離感を違えることはないのだ。
さらに、VRゴーグルを装着して見る世界はこれが本当に創られた世界かと見紛うほどで、木や石、レンガで造られた一軒一軒の街並みは当然ながら、街の中央に聳え立つ城の内部の造り込みは恐ろしいほど精緻で、踏みしめる石畳の感触や、吹きすさぶ風の匂いまで感じられるのではと思うほどだった。
噂ではこのゲームの開発者の一人は、以前に異世界に召喚されて、そこでの経験を活かしたとか言われているが、その言葉は真実だったのかと思うほどだった。
当然ながらキャラクターの挙動や、質感もこれがゲームかと思うほど物凄くリアルで、キャラクターの視界を通して敵へと近付き、手にした武器で攻撃する感覚は、従来のFPSでは味わえない高揚感と爽快感を味わうことができる。
特に、俺がメインとして使うキャラクター『レンジャー』は、足音を消して敵の背後から近付いて奇襲を仕掛けることで大ダメージを与えるバックスタブという特殊能力を持っており、それを決められた時の快感は、一度覚えたら決して忘れることができない。
以来、俺は体力が低く、防御力も乏しいが、隠密行動に長け、バックスタブができるレンジャーを愛用していた。
ちなみに泰三は長槍を振るって複数の敵に対して立ち回れる『ランサー』を使い、雄二は、動きは遅いが大剣と巨大な盾を手に
今日もいつも通り、それぞれのキャラクターを選んだ俺は、ゲームが始まるまでのカウントダウンを見ながら大きく息を吐く。
すると、
「橋倉君、戸上君……」
後、十数秒でゲームが始まるというところで、泰三が小さく呟く。
何事かと思って耳を傾けていると、
「僕……二人が友達でよかったです」
いきなり恥ずかしいことを言ってきた。
思わぬ一言に面食らったが、泰三の真面目さを知っている俺は、決して茶化すことなく大真面目に返してやると決める。
「何を言ってるんだ。俺たちは友達じゃないだろ?」
「えっ?」
「俺にとってお前たちは友達なんて安いものじゃない、かけがえのない親友だよ」
「そうそう、マブダチって奴だ。泰三と浩一じゃなきゃ、毎日こうやって集まって遊ぼうなんて思わなかったぜ」
「戸上君……」
俺と雄二の言葉に、泰三は感極まったかのように声を震わすと、鼻をすする。
いや、もしかしたら本当に泣いているかもしれなかった。
今日の課長との一件で、相当追い込まれていた泰三が、これで少しでも救われてくれればと思う。
すると、再びヘッドフォンの向こうから鼻をすする音が盛大に聞こえ、泰三の少し元気になった声が聞こえてくる。
「なんか、すみませんでした。今日こそは、絶対に一番取りましょうね」
「ああ、もちろんだ」
「俺たちのチームワーク、世界中に見せつけてやろうぜ!」
雄二が返事を返すと同時にカウントがゼロになり、俺たちはグラディエーター・レジェンズの世界へと誘われた。
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